夏本番 その三
翌日、いつものように朝食業務を終えて『DAIGO』のアルバイトに入っていた川瀬は、『オクトゴーヌ』同様出店レシピのオファーがあったことを知る。それもそのはず、『DAIGO』は一昨年は大悟、昨年は北見のレシピで二連覇中なので当然といえば当然の流れであった。
「今年も盆踊り大会の出店レシピのオファーがあったべ。システム変更で今年からスタッフが出場しささることになったんだけどさ、今回野上を出さすつもりだべ。サポートには夜の
大悟の言葉にスタッフたちから拍手が起こる。その中でキッチンスタッフの女性が緊張の面持ちで大悟を見上げている。
「えっ? 私でいいんですか?」
「ん、これも勉強だべ」
「はい。足を引っ張らないよう頑張ります」
「ヒトエちゃん、君は僕よりも才能があるんだから気負い過ぎないで」
彼女は一年目からこのような大役を仰せつかると思っておらず、早くもガチガチになっている。
「野上さん、ヒトエちゃん、頑張ってください!」
「国忠君も良い人したからさ、間違っても
最古参のフロアスタッフの女性が、川瀬をチラと見やってそっと耳打ちした。目黒の隣に立っていた同期入社のキッチンスタッフの男性は、彼女を励ますようファイティングポーズを作って鼓舞させる。
「ルール上投票はできませんが皆で応援してますよ」
「三連覇目指しましょう!」
他のスタッフたちもチーフとして絶大の信頼を勝ち取っている野上に声援を贈る。大悟と北見との実力差を知っている川瀬は、無責任な応援だなと白々しく場の雰囲気を眺めていた。
「僕にそこまでの実力はありませんが、ベストは尽くします」
彼自身も実力の程度はきちんとわきまえており、三連覇を狙えるとは思っていない。ただそれでいじける性分ではなく、持てる力を全て出して『DAIGO』の看板に恥じぬ料理を作ろうと覚悟を決めた。
「ん。今回は強敵の参加が決まらさってるしたから気負う必要は無いべ、わちらが出らさっても勝てる相手でね」
その言葉にスタッフ間でざわめきが起こったが、大悟は話を打ち切って業務連絡に話題を切り替える。職場内の空気は通常の状態に戻り、全員がオーナーの言葉に耳を傾けていた。
盆踊り大会の準備でそこいらに顔を出して忙しくしている旦子が、少しばかり久し振りに客として『オクトゴーヌ』にやって来た。彼女はカウンター席に悠然と腰掛け、接客担当の堀江と情報交換をしている。
「そっちは義君かい、こっちは野上君だべ」
「それでですか……」
堀江は今朝になって出店レシピの出場を決めた川瀬の本意を知る。彼がアルバイト先のチーフスタッフである野上を
「ん。正直三連覇は厳しいしたってさ、あん子も実力は着実に上げてきてるべ」
旦子からしても野上の調理スキルの評価は決して高くない。しかし仲間思いで指導力のある点で絶対の信頼を置いている。
「何か凄い方が出場なさるとか」
「んだ、元Gホテルの総料理長だったんだべよ。定年退職でこっちに移住しささってさ、半年前に店オープンさしたって聞かさってんべ」
「居留地区ら辺ですよね?」
「ん。暇がてらまくろうてみたけどささ、大悟や北見君でも歯が立たんくらいだべ」
そんなに凄腕の料理人が近くに店を構えているのであれば是非行ってみたい……外出嫌いの堀江でさえもそのレストランには興味が湧いた。
「行ってみたいですね」
「近いうちに連れてってやんべ、もう一人の子とパン屋の子なら知ってるんでないかい? 神戸のGホテルしたからさ」
「かも知れませんね、多分義君も……」
「それは無いべ、あん子は同業者に興味無えしたからさ」
と言っているところに悌が旦子のオーダー分を運びにカウンターに入る。
「お待たせ致しました、ナポリタンでございます」
「ん、ありがとう」
彼女は話を中断して早速ナポリタンを食べ始める。一口入れるとふふふと笑い、ゆっくりと咀嚼してから堀江を見上げた。
「あん子また更に腕上げてんべな」
「ありがとうございます」
「私はあん子の方が勝負にならさると思うべ」
二人は接客をひと段落させて厨房に引っ込んでいく悌の姿を視線で追う。彼がカフェ営業で本格的に腕を振るうようになってから若い女性客が増え、決して得意としていないパスタ料理の売上が伸びている。
「それはどうでしょうね、ただお陰様でカフェの売上は順調に伸びてます」
「そうかい、良いことだべ」
旦子は八十六歳とは思えぬ食欲でナポリタンを完食した。
「おはよーございまぁす!」
早朝から元気一杯で外の掃き掃除をこなす義藤は、今や日課状態で『アウローラ』開店待ちの客に挨拶活動を始めている。
「おはようさん。今日も元気だべな、ぼん」
と『アウローラ』常連客のじいさま軍団が順番待ちの列に加わった。
「今日は早いっすねー」
「んだ、ユキちゃんに用があらさってさ」
「お触りは厳禁っすよ!」
「そったらことしねえべ」
このじいさま軍団は坂道商店街自治会加盟店の元店主たちを中心に結成されており、今は雪路の私設ファンクラブを名乗って毎日のようにここに訪れている。ついでに『オクトゴーヌ』のカフェも時々利用するので、彼らにとっても上客様である。
「実はさ、用ってか頼み事なんだけどささ」
「ふんふん」
義藤は掃除を放っぽってじいさまの相手を始める。
「今年の盆踊り大会のミスコンに出てほしくてさ」
「ワシら一年頑張ってサイトってやつの問い合わせフォームとやらに他薦しまくらさったんだけどさ、実行委員から音沙汰が無いんだべ」
彼らは雪路をミスコンに出場させるべく、組織票運動を起こして実行委員を動かそうと企んでいた。
「ユキちゃんがミスコンかぁ」
「んだんだ、浴衣姿見たいべ」
「見たいべさ」
じいさまたちは声を弾ませて活き活きとした表情を見せている。
「オレも見たいっ!」
「したらぼんからもお願いしてけれ」
「はいっ!」
「その前に仕事しろ」
「はぃっ」
はしゃぐ義藤の背後に小野坂が立っており、注意を受けてしょんぼりと肩を落とし仕事に戻っていく。それを見届けてからじいさま軍団に声を掛けた。
「おはようございます。今日はお早いですね」
「おはようさん。ぼんはワシらが誘ったしたからさ、あんましキツう当たらさらんでけれ」
「分かりました。それよりユキちゃんをミスコンに出場させる気でいらっしゃるんですか?」
小野坂はメンタルクリニックに通院中である雪路を慮る。
「んだ、本人が嫌だってこかさるなら無理強いはしないべ」
「決めるんはユキちゃんだべ、強要はワシらの意にも反するべさ」
「であればいいんです。ただ何日か前に実行委員の方がその件で隣に来られてたそうですよ」
「ホントかい?」
じいさま軍団はその言葉に希望の光を見出していた。
「したらさ、ユキちゃんなら真剣に考えてくれてるべよ」
「んだんだ、あん子はめんこいだけでのうて心もキレイしたからさ」
彼らは吉報だとばかり色めき立ち、その空気に付いていけなくなった小野坂はそっとその場を離れる。
「俺また余計なこと言っちまったみてぇだ」
その後じいさま軍団の企みが実を結ぶ形で雪路はミスコンへの出場を決める。彼女自身イベント事は嫌いではなく、頼まれてモデルを引き受けた経験も過去にはあった。
そうと決まった直後から、じいさま軍団の奥方で結成されたばあさま軍団が『離れ』に訪れるようになり、地元に伝わる盆踊りの特訓を受けて忙しい日々を過ごしている。
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