一周忌 その四
それから一夜明け、既に通常運転の『オクトゴーヌ』の元に一つの小包が届いた。その時店番をしていたのは堀江、金碗家関係の郵便、配送物が届くことがあったので取り敢えず受け取っておこうとシャチハタ印を用意した。
「ペンション『オクトゴーヌ』さんでお間違いないですかい?」
「はい、ウチです」
「京都から届け物だべ」
京都? 懐かしくも苦々しく響く地名に堀江の体はわずかに硬直する。にしても誰からや? そう思って念のため差出人を流し見て心臓が跳ねた。
「……」
「大丈夫かい?」
配送員に心配されて我に返り、受領欄にシャチハタ印を捺印して小包を受け取った。堀江は小包を抱えたままケータイを掴み、旦子のケータイに通話を試みた。
『なした?』
彼女はワンコールもかからぬうちに通話に出た。
「あの、小包が届いたんです。京都から」
「京都からかい?」
「えぇ」
堀江がそう答えてからしばしの沈黙が流れる。京都に縁のある知り合いを脳内検索しているのだろう。
『したっけ差出人は?』
旦子の記憶の中に京都の知り合いはいないようだった。彼女の記憶力は齢八十六歳になった今でもそこいらの若者以上であり、認知症とは無縁とも言える。
「与田、静さんです」
『へっ?』
珍しく素っ頓狂な声を上げた旦子は、すぐそっちに行くと言い通話を切った。ここから相原家は徒歩十分もあれば辿り着ける距離だが、まだ雪解け時期で道がぬかるんでいることを考えると車で訪ねてくるのでは? と推測した堀江は『離れ』へ移動する前に厨房を覗き込む。
「智君、カフェに出とってくれる?」
川瀬と共に夕食の下ごしらえをしている小野坂に声を掛けた。
「あぁ……何慌ててんだ?」
「金碗家宛の小包が届いたんや、開封するんに旦子さんに立ち会ってもらおう思って」
「最近減ったけどまだ来るんだな」
とは言ってもたかだか数日の交流しか持たなかった相手から先代を偲ぶ手紙や葉書が届くのは、代替わりした自身たちにとってもありがたいものであった。それだけ先代たちが多くの顧客に愛され、そのお陰で五十年以上に渡ってこの場でペンションを営めている何よりの証拠であるからだ。
「うん、小包は滅多に来んからちょっと焦った」
「まぁそうだよな……あっ、来られたんじゃねぇか?」
小野坂は隣の『離れ』から聞こえてくるエンジン音を聞き取っていた。
「ほな行ってくるわ」
堀江は急ぎ足でペンションを出て行った。『離れ』敷地内の駐車場に車を停めた旦子は、八十六歳とは思えぬ機敏な動きで車から降りてきた。
「小包ってそれかい?」
彼女は堀江の小脇にある箱を指差した。
「えぇ。急に連絡してすみません」
「なんもなんも。にしたって半世紀音沙汰無かったしたからさ」
「俺も驚きました。与田さんにはリニューアルのことお知らせしてませんので」
堀江は誰もいない『離れ』の玄関を解錠する。
「悌君はなした?」
「今日は鵜飼さんとこです」
「そうかい」
二人は『離れ』に上がって早速小包を開封した。中には大きさの違う封書が二通とA6サイズほどの手帳が一冊入っていた。大きい封書には特に何も書かれていなかったので堀江が、小さい封書には【金碗衛様】と書かれてあったので旦子が開封して中身を確認する。
堀江が手にした封書には写真が同封されていた。かなり古いものと見られ、ほとんどが『オクトゴーヌ』で撮影されたモノクロ写真であった。
「旦子さん」
「ん? なした?」
「これ衛さんがアルバムから抜き取った写真なんじゃ?」
堀江は写真を旦子に見せる。その写真は金碗八きょうだいと
見たことの無い小柄な女性が写っている集合写真であった。彼女はシンプルな服を着て化粧っ気も少なく、とても枕影響に身をやつしていたとは思えぬ清楚な印象を受けた。
「ん、そうかも知んないべな。こん子が静ちゃんだべ」
「可愛らしい方ですね」
「ん、写真以上にめんこかったんだべ……けど去年亡くなられたんだと、手紙は娘さんからだべ」
「そうですか」
「読むかい? アンタは衛の後継したから私は構わんと思うべ」
「いえ止めときます」
堀江は踏み込んではいけない領域に感じて首を横に振った。旦子は無理強いせず便箋を元の封筒に仕舞い、ハードカバーの手帳を手に取った。
皺の刻まれた細長い指でゆっくりとページがめくられ、二人は頭を寄せて手帳の中身を見る。ノートの色は若干黄ばみ、枠の半分くらいの小さな文字がびっしりと詰まっていた。
「マメな方だったんですかね」
「ん〜、書ける時はページ数を使うって感じでないかい?」
開いたページは既に京都で暮らしている内容で、【気温三十三度、今日も暑い】と当時の北海道ではあり得ない天候の描写がされていた。
【子供は暑さに負けずお腹の中で元気に動いてる。今も腹を蹴った、小さな命の重みと温もりを感じる】
「いつ頃の話なんでしょうか?」
「ちょべっと待ち。昭和四十……まさか」
旦子は指を使って文章を遡り、日記の日付にあたったところで動きを止めた。堀江もその指の先に着目すると、昭和四十年代後半の日付が記されていた。
「大体五十年くらい前、ですね」
「ん。こんなとこに嘘は書かん思うけどささ、あん子が行方くらまして半年も経ってないべ」
「ってことは……」
「衛との子、身籠ってた可能性があんべ」
二人は一度顔を見合わせてから再び日記を読み進めていく。日記はその日から数ヶ月開かれなかったようで、次に記帳した日付は翌年の二月となっていた。
【なかなか母乳を飲んでくれない、毎日のように夜泣きして眠れない。けれどふとした笑顔と寝顔を見ていると癒やされる、これを見たさに日々頑張ってしまうのかもしれない】
それから一枚ページをめくると、更に間が空いて二年が経過していた。
【妙子も二歳になり、日を追うごとに彼に似てきている。かつて愛した彼の子を連れて本日私は嫁に行く。もう迷わない、彼との思い出はここに置いていく】
この一文を最後に静の日記は一文字も埋められること無く、僅かに見せる黄ばみが半世紀分の時の流れを物語っていた。旦子は手帳を静かに閉じて元の位置に戻す。
「これはここに置いとくべ、衛ん遺品と一緒に……仁君?」
旦子は相手の返事が無いのでそちらに顔を向けると、堀江はぼんやりとしたまま固まっていた。目の焦点も合っておらず、思考が明後日の方向に飛んでしまっている様子を見せている。
「なしたんだ?」
旦子は堀江の目の前で手を振ってみせる。
「すみません、何でもないです」
「そうかい。したらこれは衛ん遺品と一緒に保管してけれ、そん方が良い気がすんべ」
「分かりました」
「そろそろ夜営業の支度があるしたから帰んべ、したっけな」
彼女はどっこらしょと言いながら立ち上がった。
「何のお構いも無しにすみません」
「なんもなんも」
堀江も立ち上がって客人を見送る。旦子は杖無しで颯爽と歩き、鮮やかなドライビングテクニックで車を走らせた。それと入れ替わるようにペンションの駐車場に『アウローラ』の移動販売車が駐車し、空箱を持った雪路が車を降りた。
「お帰りユキちゃん」
「ただいま戻りました。今から病院に行ってきます」
精神状態はかなり改善されたものの、昨年の人質被害の残像はまだ少し残っていた。客が悪い訳ではないが、山下を彷彿とさせる見た目をした男性客を見るとどうしても震えや動悸が出ると事務所に避難することがある。
「行ってらっしゃい」
堀江の言葉に笑顔を見せた雪路は厨房に入っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます