一周忌 その五

「ごめんください」

 堀江と旦子が小包を開封していた頃、近所では見掛けない一人の老人男性が『オクトゴーヌ』を訪ねてきた。

「いらっしゃいませ」

 堀江に代わって店番をしている小野坂が応対する。

「ここはペンションちゃうかったっけ?」

「はい。今もペンションとして営業致しておりますが、空き時間にカフェ営業も始めてるんです」

「そうなん? せやったらホット一杯貰おかな?」

「ご注文ありがとうございます。お好みの豆の種類とかございますか?」

 小野坂の問いに客人は首を傾げた。

「その辺のことはよう分からんわ。持ち合わせもそない無いからいっちゃん安いんで」

「かしこまりました、ブレンドをお持ち致します。お好きな席をご利用ください」

 この日は空席があったのでテーブル席を案内しようとしたが、彼はカウンター席へ進み、フロントに最も近い椅子に腰掛けた。小野坂は川瀬にオーダーを通し、別の客の接客のため店に出る。老人はそんな彼の姿を面白そうに観察しており、フロント台の角をしきりに触っていた。

 厨房の中でコーヒーを淹れていた川瀬は、客人の動きを背中で感じでいた。何してるんだろ? と気にはなったものの、これ以上の問題行動さえ無ければと気持ちを抑える。

 初見の顧客を気にしながらもコーヒーを淹れ終えた川瀬は自らコーヒーを出しに行く。彼の気配に気付いた老人は机を触る手を止めてコーヒーに興味を示した。

「深炒り豆使うてんのやな」

「はい」

 川瀬は出すだけ出して厨房に引っ込もうとしたのだが、そうはさせてくれなさそうな雰囲気に飲まれてその場から動けなくなる。

「頂きます」

 客はそう言ってからブラックの状態でコーヒーをすすった。その場だけ張りつめた空気になる。他の席にいる顧客や小野坂は和やかな雰囲気でいるのに、自身はその場に似つかわしくないほどの緊張感に包まれていた。

「ん、ブルーマウンテンベースやな」

 メインで使用している豆の銘柄を言い当てられてドキリとする。先程よう分からんとヘラヘラしていたように見えたのに……ハッタリをかまされたことが予想以上のダメージを受けていた。もちろん雑な仕事をした訳ではない、しかし言葉尻につられてしまったことは否定できなかった。

「兄ちゃん、おっちゃんコナの方が好きなんや」

「えっ?」

「コク出すんにモカをブレンドしてんねやろ? ジジイの戯言やけど、コナは個性が少ない分ブレンドした方が良さが出るんちゃうかな思うねん」

「はぁ……」

「まぁ小煩いおっさんが小言呟きおったくらいの認識でええ」

 客人はきれいにコーヒーを飲み干し、テーブル席を見やっていた。

「あれ? さっきの兄ちゃん何処行った?」

「厨房に戻っておりますが……呼んできましょうか?」

「ん、頼むわ」

 川瀬は男性に一礼して厨房に入った。何だか疲れた……変な緊張感で体を硬直させていたせいか、コーヒーを出しに行っただけで一気に疲労が襲ってきた。

「智君、カウンター席のお客様がお呼びなんだけど」

「あぁ、行ってくる」

 小野坂は涼しい表情でカウンター席に向かい、普段通りに飄々とした接客をしていた。客人は川瀬に見せたものとは全く違う嬉しそうな表情を見せており、カウンター台の角に付いた傷を指差しながら饒舌に長話を始めていた。


「あんな兄ちゃん、ここ一遍強盗入ったことあんねんで」

 男性客はそう言ってカウンター台の角を指差した。

「二代目から伺ったことがあります。確か昭和四十年代末期頃……」

「ん、そんくらいの時期やったわ。おっちゃんそん頃仕事で京都と箱館を行ったり来たりしとってな、この日パトカーとかがそこら中走り回っとったしテレビで中継されるしでめっちゃ物々しかったんは覚えてるわ」

 客人はまるで昨日の出来事のように抑揚のある口調で話している。小野坂は彼の話を興味深げに聞いていた。

「事件自体はそない長丁場にならんかったんや。新聞で見ただけやけど、従業員が氷水を犯人にぶっ掛けて戦意喪失させたんやと」

「花火をバラして爆弾作ってたらしいんです。着火させたのを見た三代目が、咄嗟の判断で外に放置していたポリタンクの水を掛けたって聞いてます」 

「確か年末とかやったから時期的に水が凍っとってもおかしないのにな」

「たまたま氷点下にならなかったらしいんです、その日だけ」

 小野坂は二代目オーナーしのぶから聞いた内容をそのまま伝えているだけなのだが、客人にとっては打てば響くやり取りを心から楽しんでいる風だった。

「詳しいな兄ちゃん、何年ここにおんのや?」

「初めて来たのは九年前です。六年前に一度退職しましたが去年再就職してもうじき一年が経ちます」

「九年前かい……ところで兄ちゃん、今のオーナーは何代目になるん?」

「四代目です」

「もうそないになるんか……」

 客人はカフェ内をぐるりと見回して懐かしそうに目を細めている。テーブルや小物といった内装は小野坂が知る頃からも変わっているのだが、カウンター席は五十年そのままで鎮座しているので面影を汲み取っているのかもしれない。

「立ち入ったことを伺いますが……」

「うん。おっちゃん何回かここに泊まったことあんで、せやから金碗さんらとも多少交流はさせて貰うてたんや。五十年経ってるから変わるんは当たり前なんやけど、これがそのまま残ってたんがちょっと嬉しかったんや」

 客人は皺の刻まれた小麦色の手でカウンターテーブルの表面をさする。小野坂は多少お節介な気もしたが、当時の写真を見てみますか? と誘ってみる。

「今日は遠慮しとくわ、そろそろ帰らんと」

「そうでしたか、すみませんお引き留めして」

「なんもなんも、また来るわ」

 客人はズボンのポケットからじゃらっと小銭をカウンターテーブルに置き、右手人差し指で一枚ずつスライドさせてちょうど分の小銭たちを並べ直した。

「ちょうど頂きます」

「ご馳走さん。せや、兄ちゃん名前教えて」

 彼は残った小銭をポケットに仕舞い、小野坂の顔を見た。

「小野坂と申します」

「小野坂君な、覚えた。こんなジジイで良かったらまた相手してくれるか?」

「もちろんです、またいらしてください」

「ほなな」

「ありがとうございました」

 客人は小野坂に笑顔を向け、上機嫌で店を出て行った。

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