宝物 その四
「「「「「……」」」」」
彼女の表情を見た五人からは先程までの笑顔が消えた。何の返事もできず彼女の後に続き、ずっと開けられる事のなかった手術室に通される。先程一人で新生児室にいたはずの角松も既にやって来ており、沢山の管を付けられて横たわっているまどかに心臓マッサージを続けている男性医師をじっと見つめていた。
「……もう、結構です」
赤岩はピクリとも動かない姪っ子を悲痛な表情で見つめ、医師による蘇生をやめさせる。もう助からない……覚悟を決めてというよりは、この肉体に魂が宿っていないことを悟った上での決断だった。
赤岩の言葉で男性医師は心臓マッサージをやめる。いくら暖房が効いているとは言え十二月、本腰で行われる心肺蘇生の重みを物語るかのように彼の体は汗でびっしょり濡れていた。
それでもやるべき仕事がまだ残っている。額から垂れる汗をタオルで拭い、胸のポケットからペンライトを取り出して患者の瞼をめくり瞳孔のチェックを行う。心拍数を示すメーターは無情にも横一線で僅かな波も見せず、左手首にはめている腕時計を見て非情とも言える現実を告げた。
「十一時七分、ご臨終です」
その後会議室のような部屋に集められた六人は、まどかの死因についての説明を受けた。
「上腹部を擦っていた事、溶血……出血が止まらない症状が見受けられた事で
かねてよりまどかが子供の命を最優先にする事を決めていたのは周知の事実で、緊急事態の際は帝王切開で先ずは子供を取り出す手はずであるという説明は事前に受けていた。
腎疾患がある以上、予測可能な限りの事態を想定して細心の注意を払ってきた。ところが更なる合併症として腎不全を引き起こしてしまい、結果的にその事が直接の死因となったという診断だった。医師からの説明を終えて部屋から安置室に向かう途中、当分忙しなくなんべと衣子が呟く。
「そうですね……ところで宗教は?」
「○○宗だべ、けど元々お世話んなったお寺さんを呼ぶにしたっけ、往復九時間もかかるし移住しまってるしたからさ」
「○○宗したら金碗さんとこと同じだ、私で良ければ早速話してくんべ」
女性陣二人は早速葬儀に向けての会話を始める。
「助かんべ、わちもご一緒してええかい?」
「是非お願いすんべ。遠君は親戚に、礼はご近所さんに報してけれ」
「「おぅ……」」
まだ感傷から抜け切れていなかった赤岩と村木は、気のない返事をしつつもケータイをいじり始める。
「ジジアンタもだよ、ほれしゃんとしな! 正はなるべくまどかの側にいてやんな、喪主したからこん後嫌でも忙しなくなんべ」
女性陣がきびきびと動く中、男性陣の足取りは重く角松のみを病院に残してそれぞれの役割をこなしていく。
村木によってまどかの訃報を知った『オクトゴーヌ』の面々の間でも重苦しい雰囲気が漂っており、全員が厨房に集まって接客では見せられない暗い表情をしている。
「……何か、実感湧かねぇな」
「うん」
小野坂の言葉に川瀬が頷く。
「まどかさんがいらっしゃるの、当たり前になってましたもんね」
きょうだいを亡くした経験のある根田はしょんぼりとした表情を浮かべている。
「通夜か告別式、どっちかには出たいよな」
「せやったらカフェを臨時休業にしよ、明日から二日……友引があるから三日にしといた方がええかな?」
堀江はそう言いながら、厨房と事務所を繋ぐドアに貼られているカレンダーを見てさっさと事務所に入る。
「礼の奴大丈夫かな? あれで結構メンタル弱いから」
普段は邪険に扱っていても親友なだけあって気になってしまうのだろう、ちょうど手空きになっているのをいいことにポケットからケータイを取り出す。
「今はやめておいた方がいいですよ」
「ん? メールなら構わなくねぇか?」
「お葬式って案外バタバタするんです。近しい人が亡くなって精神状態が安定しない状況の中で、次から次へとやることがあって休むに休めないですから」
これは根田自身にも憶えがあった。相手は親切で励ましや慰めのメールを送ってきてくれていたのだが、ある意味異常な精神状態の中で一大行事の渦中にいたせいかそこに構えず既読無視状態を続けたことで、変な誤解を招いて面倒な事になるケースを経験していた。
「ん~、アイツの性格だとかえって気を揉ませるか」
「礼さんならご自分から意思表示なさいますから、それを待ってからでもいいと思いますよ」
「そうだな……」
小野坂はケータイをポケットに仕舞い、無人となっているフロントに出るとまるで見計らったかの様なタイミングで雪路がやって来た。
昼にしても早いなぁ……そう思ったがそこには触れず、いらっしゃいませ。と普段通りに接客すると、彼女はその場に立ったままぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「ユキちゃん?」
「まどかちゃん……何でなん?」
『アウローラ』にもまどかの訃報が届き雪路はショック状態になっていた。この街に来て初めて出来た同性の友達だっただけに、思わぬ形でいなくなってしまったことを受け入れられずにいた。
こんな時どうしたらいいのか? 小野坂にも分からなかったが、今にも崩れそうになっている雪路の側に駆け寄り、一番近くの椅子に座らせた。両手で顔を覆って嗚咽を上げて泣いている彼女の二の腕にそっと手を添え、宥めるように優しく擦るとどうにか泣き止んで嗚咽は治まった。
「ホットミルク淹れたから取り敢えずひと息つこう、僕も正直気持ちがざわついてて……慣れないよこういうの」
川瀬が厨房から出てきて五人分のカップをカウンターに並べていき、根田もそれに合わせてカウンターにやって来た。
「まだ営業中だろ?」
「仁君『明々後日まで臨時休業』って貼り紙出してとっとと店じまいしちゃったよ。チェックインまでにはもうちょっと時間もあるし、これくらいはいいんじゃない?」
「早いな……」
思わず苦笑いした小野坂自身も精神的に浮足立っていて、普段しないミスを犯しそうな怖さもありこの決断はむしろありがたかった。
「んで仁は?」
「電話中です、多分礼さんだと思いますよ」
なら葬儀の日取りの話かと一同は納得の表情を見せた。
「そっか。んじゃ飲みながら待つか」
「そうだね、仁君は猫舌だから逆にちょうどいいんじゃない?」
この頃になると雪路も浮かない表情こそしていたが、幾分落ち着きを取り戻していた。堀江以外の四人で先にホットミルクを飲んでいると、電話を済ませた堀江が事務所から出てきて集団の輪の中に入る。
「葬儀の日程決まったって。明日が通夜で、友引避けて明々後日に告別式やって。場所は○○寺」
「あぁ、金碗家と同じ宗派だったんだな」
「みたいやね。通夜は悌君と俺、告別式は義君と智君とで参列しよか」
「うん、通夜の時間帯だと夕食時と被るからね」
「ですね、さすがに義さんは抜けられないですよね。ユキちゃんはどうするの?」
「私は両方参列するつもり、お兄ちゃんにも一応許可は貰うてる」
雪路は根田の問い掛けにそう返事し、手にしていたカップをカウンターに置いて四人の顔をじっと見つめていた。
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