長い一日 その五
堀江は小野坂の言葉に甘えて『離れ』に戻る。中に入ると刑事たちの姿は無く、嶺山兄妹は朝の仕込みで既に帰宅していた。仕事があるはずの村木と鵜飼はまだ『離れ』に残っており、四人は疲労している彼を出迎えた。
「お帰りなさい、疲れたでしょ?」
根田は堀江の手を引いて一番大きなソファに座らせる。川瀬はそれに合わせてお茶をテーブルに置いた。
「大変だったね、何か作ろうか?」
「ありがとう、今はいいよ。それより俺のせいで皆に迷惑掛けちゃって」
堀江は長い体を丸めて頭を下げる。
「んなの気にすんな、別にわざとでねしたから」
村木は明るくそう言ったが鵜飼の表情は暗く、そうもいかないと言わんばかりの顔つきをしている。
「説明、してくれませんか?」
「おい、んなの後にしな。何時だと思ってんだべ?」
村木は堀江と鵜飼の間に割って入る。しかし鵜飼は聞く耳を持たなかった。
「あんた一体何者なんだべ? あんなんとどこでどうやって知り合うのさ?」
「止めなって信君」
川瀬も鵜飼を止めようとしたがそれも全く効果が無かった。
「このまんまじゃ気が晴れね。皆はこの人とあの男とのやり取りを見てねしたからんな呑気にしてられんだ」
「それより今は休んだ方が良いよ、皆休んでないんだから」
「それができてんならとおの昔に寝れてっぺ、皆だってあの男との繋がり位は気になってるはずだべよ」
鵜飼は川瀬と言い争いをするつもりは無かったのだが、男に見せた堀江の冷酷な表情がちらついて離れなかった。あれが本性ならこれまで自分たちが見て知ってる姿は何? 鵜飼の疑惑は晴れておらず、疲れているのに思考だけが冴えて段々と気が立ってくる。
「分かった、ちゃんと話す」
堀江の関西弁に一同戸惑いながらも、それぞれが空いているソファに腰を下ろす。一体何を話すのか? 皆彼に注目していたが、耳に届いた言葉を予想できた者は誰もいなかった。
「八年前に、人を殺した」
その言葉を皮切りに、堀江は静かに語り始める。
「当時恋人と同棲してて、彼女をストーキングしてた男に殺されたんや。俺十七やったけど高校行かんと働いてたから、仕事から帰ったところでその現場に鉢合わせてしもて。犯人取り押さえてそのまま警察に突き出すつもりやったけど、そいつうわ言みたいに『これで俺のモンになった!』とか言い出して。今まで経験したことの無い怒りだか殺意だがよう分からん感情が湧いてきた辺りまでははっきり覚えてる」
堀江は当時を回顧しているのか瞳を閉じる。川瀬を始めとした仲間たちはただただ黙って話を聞くことしかできずにいる。この中の誰もが人を殺したことなど一度も無いので、その内容がテレビや小説のサスペンスストーリーのようにしか聞こえてこない。
「気付いたら俺馬乗りになって相手の胸刺しとった、犯人のナイフで。どうやって奪い取ったんか、刺した瞬間とかは未だに思い出せへんのやけど、犯罪に手を染めたって気付いて慌てて警察と救急に連絡して。当然俺はその場で逮捕されて、殺人罪が確定して刑務所に六年服役したんやけど、あの男はその時に知り合って、一年ほど共同生活を送ったんや」
「ってことはあの男も受刑者……」
鵜飼の言葉に堀江は小さく頷いた。
「そいつと親しかったんかい?」
「そうでもなかっただけに、ここにまで来るとは正直思てなかった」
「同類だとでも思ったんでないかい?」
鵜飼の堀江を見る目は完全に嫌悪感丸出しだった。
「オメエ何て言い草すんだ!」
その態度に村木が口を挟む。根田は堀江を嫌う鵜飼を悲しそうに見つめていた。
「そんこと、先代はご存知だったんかい?」
鵜飼の尋問はまだ続く。
「もう止めない? 信君」
川瀬は鵜飼の変貌を見ていられなくなって仲裁に入るが、どうなんだべ? と話を止めようとしない。堀江は事実だけはと言って頷いた。
「最初は引き受ける気無かったから断る口実に話したんや。衛さんはそれを承知の上で俺にここの経営のノウハウを教えてくれて、この場所で彼女を弔うことを勧めてくださった」
鵜飼は半分泣きそうになっており、堀江はその顔をまともに見られなくなっていた。今俺は皆を裏切ってる……こうなることはどこかで覚悟していたはずなのだが、いざその場面に直面するとこれまで築き上げてきた信頼が崩壊する恐怖、受け入れてもらえない悲しさ、過去の過ちへの後悔、そして周囲の皆を騙していたという罪悪感など色んな感情がひしめき合って頭の中は混乱していた。
「んなのおかしいべ。いくら自分を殺した相手でも、仇を取ってくれなんて普通思わないしょ? そんな男に弔われたところで嬉しいと思うもんなのかい? わちには全然分かんない、それを承知してた先代の考えも分かんない」
鵜飼は彼らの下した決断が理解できず、これ以上話を聞けなくなって席を立つ。川瀬は鵜飼の名を呼んで何とか引き留めようとした。
「今の状態で帰るのは危ないよ、せめてご家族に連絡だけでも」
しかし鵜飼はこれ以上堀江と同じ空間をいたくないと首を振り、そのままフラフラと玄関に向かう。
「帰る、もう聞きたくね」
「説明求めたんオメエだべ、いくら何でも勝手すぎるしょ? したっけ、オレが送ってくべ」
村木は鵜飼を追い掛けて外に出る。部屋の中は重苦しい空気が流れ、残されたのはペンションの従業員だけとなっていた。堀江はただぼんやりとソファに座っており、根田は先程の顛末が悲しくて泣きそうな表情を見せている。
「ボクペンションに戻ります、智さん事実上休めてませんから」
堀江の過去を知ったところで特に気持ちの変化が無かった根田は、気の利いた言葉でもと思って色々考えていたが何も思い浮かばず、早朝を迎えたペンションの様子も気になってその場を離れることにする。川瀬もそろそろ朝食の支度を始めなければならない時間になっているのだが、思うところがあるようで何か言いたげに堀江の顔を見つめている。
「一つ、聞いてもいい?」
川瀬に声に反応し、堀江は重そうに頭を上げた。
「うん、何?」
「彼女の写真とか、持ってたりする?」
なぜそんなことを聞いてきたのかその時は分からなかったので、ポケットからパスケースを取り出して川瀬に渡す。
「じゃ、見るね」
律儀に断りを入れてから黒いパスケースを広げた途端表情が変わる。そしてそれをさっと閉じると、びっくりだねと言って堀江に返した。
「この前の子によく似てる。だからあの時驚いてたんだね」
川瀬は笑顔を作って立ち上がると、少し休んでと言った。
「朝食の支度、してくるね」
彼は静かに『離れ』を後にし、堀江はこの空間にたった一人取り残された。疲れているのに全く眠くならなかった。堀江は川瀬に淹れたお茶を飲み干してソファで横になってみる。こんな時はヘタに誰かが傍にいてくれたらなどと考えてしまい、心が折れそうになる。その願いが叶ったのか、朝食の準備を終えた位の時間に小野坂がペンションから戻る。
「少し休んだら?」
「そうしたいけど眠れそうにないわ」
関西弁……小野坂は少し驚いた表情で堀江を見る。それに気付いてか堀江は小さく笑ってみせた。
「俺京都出身やねん、ここへ来る直前までずっと」
「そう。パスケース落としてた時にチラッと使ってたよな、関西弁」
「そうやった?」
堀江はその時を回顧してみたが、どこで使用したかまでは思い出せなかった。
「ちょっと良い? 話しておきたいことがあるんや」
「何?」
小野坂は誘われるまま空いているソファに座る。堀江は一つ息を吐いて彼の顔を見た。
「さっき皆にも話してんけど、俺前科モンなんや」
「うん、知ってる」
小野坂の返事にえっ? と聞き返す。
「旦子さんに聞いたん?」
今となっては相原親子しかこの事実を知らないので、もしかすると小野坂になら信頼して話したかもという考えが頭をよぎる。しかしその思考も彼らに対して失礼な話なのかと思い直し、少々軽率だったかと反省する。
「まさか。この前の写真がテレビで流れてるのを偶然見て、不思議と俺の中で変に符合しちゃってさ。けど最終的には塚原さんから聞いた。ゴメン、こそこそ探るような真似して」
「そんなんええよ、隠してた俺も悪かったんやし。それより塚原さんって……」
「あぁ、あの人市警の刑事なんだ。仮出所中に逃亡して山下の動向を探るために変装してたって」
「そう」
堀江は郵便ポストで出会った時のことを思い出していた。初めて会った気がしなかった、それが過去に触れてきた人種だったからかとようやく納得した。
「昨夜仕事明けてからは塚原さんと一緒だったんだ。一旦別れたんだけど、帰り道に山下と従えてるチンピラどもに絡まれちまってさ。それで助太刀してくれた結果怪我させちゃったようなもんだから、同僚の人が来るまで付き添ってたんだ」
小野坂は昨夜の出来事を堀江には正直に話した。
「それで、塚原さん大丈夫なん?」
「本人ケロッとしてるよ、こっちが呆れるくらいに。昼には退院するってさ」
その言葉に堀江は安堵の表情を浮かべ、ホッと胸を撫で下ろした。
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