長い一日 その四

「どうせなら死ぬまで会いとうなかったわ」

「それは無理やろ? 善人ヅラしとっても所詮は罪人や。同じ穴のムジナ、もうちょい仲良うしてくれてもバチは当たらん思うで」

「お断りや、小悪党と一緒にされたない」

 堀江は男の腕を捻って体を反転させると、顔すれすれのところを壁に穴が開くほどの勢いで思いっきり殴り付ける。

「まぁお前人殺しとるからな。それ知ったらあの連中どない思うやろな」

 男は羽交い締めにされているにも関わらず減らず口を叩く。堀江は自身で保っていた理性が一瞬消え、瞳に冷たい光が宿ると男の後頭部を鷲掴みにする。

「そいつにその価値は無い!」

 その言葉に堀江ははっと我に返る。と同時に二人の警官が男を取り押さえ、力を緩めて声のした方向へ振り返った。

「山下貞行! 傷害罪、麻薬取締法違反、及び不法侵入罪で逮捕状が出ている。連行しろ!」

 声の主は先日ペンションを訪ねに来た刑事の渡部だった。彼は山下のナイフを拾い、部下に手渡すと堀江の元に歩み寄る。

「君あの後何するつもりだった? あれじゃ君まで傷害罪に問われてしまうだろ。折角手にしたこの生活を自分で手放すような真似をするな」

 渡部はそのまま堀江を連れて下に降りる。

「事情を伺いたいので署までご同行願います」

「はい……」

 その言葉に頷いた堀江は刑事と共にパトカーに乗り、警察署に連行された。


 小野坂が手配した救急車で病院に運ばれた塚原は、脇腹を十五針縫う大怪我を負って一晩安静にすることになった。本人は意外と元気で大袈裟なんだからと笑っているがさすがに放置もできず、同僚の迎えが来るまでの間だけ付き添っていた。

「ったく、驚かせやがって」

 そう毒吐いてはみたものの、自身の助太刀が元なので多少なりとも申し訳無い気持ちはあった。それに内心は彼を信頼しはじめていたので、ごく自然に怪我の具合を心配している。

「いやいや、死んだかと思ったよ、ハハハ」

「笑ってる場合じゃねぇ! ミイラ取りがミイラになってどうすんだよ!」

 相変わらずヘラヘラしている刑事に小野坂はイライラする。一体どんなメンタルしてんだよ? 塚原のその態度がどうにも信じられなかった。

「それより君に怪我が無くて何よりだよ、市民を守る警察が君を守れなかったら何にもならないからね」

「それはあんたのお蔭だよ」

 小野坂は言いにくそうに感謝の言葉を口にする。すると塚原は嬉しそうに彼の顔を見つめると、可愛いこと言うねと茶化す。

「今茶化されると結構ムカつく」

「まぁまぁそう怒らない、俺らマブダチじゃん」

「はぁ?」

 小野坂は嫌そうに塚原を見ると、その態度が心外と猿芝居並みに驚きの表情を見せた。

「何? ヤなの?」

「ヤだよ! 俺はあんたが嫌いだ!」

 小野坂は力を込めて言い返すと、塚原の同僚らしき男性が病室を訪ねに来た。

「大丈夫なんですか?」

「ダイジョブダイジョブ、強制的に一泊入院しなきゃなんないけど」

「それ大丈夫じゃないじゃないですか」

 同僚も塚原の呑気そうな態度に呆れてから、こちらの方は? と小野坂を見ながら訊ねた。

「うん、マブダチ」

「そうですか」

 男性はあまりに躊躇無く言ってのけるその言葉を真に受けている。

「違います、そこまで親しくありません」

 小野坂が男性に訂正を入れているのを見た塚原は少々不服そうにしている。

「ヤなの?」

「ヤだよ!」

 迎えが来たのでここにいる必要性の無くなった小野坂は帰り支度を始めていると、同僚は山下が逮捕されたことを塚原にそっと耳打ちする。しかし場所が『オクトゴーヌ』と分かると表情が変わる。

「彼、そこの住人だから話して良いよね?」

「えっ?」

 同僚は小野坂を見て首を捻るが、それを思いっきり無視して事実を伝える。

「山下が逮捕された。仁君目当てに『オクトゴーヌ』に侵入したそうだよ、本人も事情聴取で署に連行されてるから早く戻った方が良い」

 その言葉を受け取った小野坂は、同僚の男性に一礼してから病室を出ようとするとありがとうと声を掛けられた。礼を言われることなんてしてない……そう思って振り返ると、塚原は優しい表情を小野坂に向けていた。

「こちらこそ、ありがとう」

 素っ気ないながらも素直な気持ちを口にした小野坂は、急ぎ足で“自宅”へ戻った。


 小野坂が戻った頃の『オクトゴーヌ』と『離れ』では警察関係者が敷地内を右往左往しており、村木、鵜飼、嶺山兄妹はペンションの裏口から不安そうな表情で『離れ』を見つめていた。話には聞いていたがここまで物々しいと思っていなかったので、その場にいなかったことが妙に入りにくくさせている。そんな中で村木が真っ先に小野坂の帰宅に気付き、ペンションから出てきて駆け寄ってきた。

「こんな時間までどこほっつき歩いてたんだべ?」

 事件に巻き込まれた村木は、未だ落ち着かない様子で声がいつもより少し高くなっている。何て言おう? 塚原と一緒だったことはまだ言えなかった。

「散歩の途中で変なのに絡まれちまって」

「散歩? もう深夜二時だべ」

 村木は変な顔をして友の顔を見る。そこへ一人の刑事がやって来て村木に声を掛ける。

「中で事件当時の状況をお聞かせ願えますか?」

 村木は別の警官に誘導されて『離れ』に入り、鵜飼と嶺山兄妹もペンションから移動していく。村木を呼びに来た刑事は小野坂の隣から離れず、塚原のことで感謝の言葉を述べた。小野坂はその顔に見覚えがあったので驚いていると、彼は手帳を出して身分を明かす。

「市警の阪田と申します。小野坂智さんですね」

 この刑事は先日塚原と一緒に居たスーツ姿二人組の背の低い男性だった。

「はい、そうです」

「ここに不法侵入してきた男を逮捕したんです。女性を人質に取っていて直接救助したのは別の男性なのですが、堀江さんが男を取り押さえて怪我人も無くそれは良かったんです。ただそのやり方が多少過剰だったようでして、今上司が署で事情を伺っているところです」

「その男って山下貞行……」

「えぇ、塚原からある程度話は聞いてますよね?」

 刑事阪田の言葉に小野坂は頷いた。

「でしたら堀江さんと山下が同じ刑務所に服役していたこともご存知ですよね?」

「はい」

 小野坂は力無く返事をすると、阪田はそれ以上のことは訊ねなかった。

「あの、ペンションにいらしてる従業員さんにもお話を伺いたいのですが」

「分かりました」

 小野坂は阪田に一礼してからペンションにいる川瀬と根田を呼びに行く。中に入ると根田が駆け寄り、どこ行ってたんですかぁ? と半べそに近い顔で出迎えた。

「悪い、散歩の途中で変なのに絡まれてさ」

 小野坂は村木に話したままの言い訳をした。川瀬もいつに無く動揺はしているようだが、努めて冷静でいようとそれを顔には出さなかった。

「お帰り、災難だったみたいだね」

「ゴメン、こんな時に家にいなくて。それより刑事さんが呼んでる、ここは俺が入るから『離れ』に行って」

「うん、じゃお願いするね」

 川瀬は根田を連れてペンションを出る。小野坂は一人店番をしながら堀江の帰りを待っていると、ほぼ日の出時刻の午前四時頃に堀江が帰宅した。

「ただいま」

「お帰り、ここはいいから皆に顔、見せてやって」

「うん、ありがとう」

 堀江は何だか元気が無かった。明け方までの事情聴取に疲れたのだろうが、それよりもむしろ今の平和な生活を山下に掻き回された疲労の方が大きいのかも知れない、事情を知っている小野坂はそう思わずにはいられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る