長い一日 その三
『離れ』で突発的に始まったプチパーティーはまだ続いていたが、川瀬の夕食時間が終わったので来客たちに留守を任せて一人ペンションに戻る。事務所から中へ入ると堀江が仮眠を取っており、起こさないようにそっとフロントに入ると根田が誰もいないカフェの留守を守っていた。
「お帰りなさい」
「少し休憩しとく? 『離れ』に嶺山さんが試作のパンを持ってきてくださってるから食べてきなよ」
「ハイ、オーナーの分も頂いたら戻ってきます。それより智さん見ましたか?」
根田は勤務時間を外れている小野坂の行方を気にしていた。
「見てないけど、何処か出掛けてるの?」
「散歩で出た割には遅いような気がして」
「それって何時ごろ?」
「ボクが夕食に入った時間ですから六時半過ぎです。余り遅くならないって仰ってたんですけど、メールしても反応が無いんで変だなぁって。ついでですから『離れ』に靴があるかだけ見てきます」
根田はフロント業務を川瀬に任せて一旦ペンションから出て行く。小野坂が普段あまりふらりと出歩かないとは言え、子供じゃないんだからと思ったが、時計を見ると既に十時を過ぎており、散歩にしては遅いのかと思い直す。
実はとおに帰ってきて部屋に篭っているだけかも知れない。でもかなり騒いでたのに出てこなかったな……川瀬は村木が部屋を覗きに行っていたことを思い出して『離れ』での状況を回顧していると、根田が何個かの菓子パンを持って戻ってきた。
「やっぱり智さん帰ってきてませんでした。礼さんが部屋を見てくださったんで間違いないです」
「そう。何だか心配になってきちゃった」
川瀬はそう呟くと、客室から一人の女性客がフロントに降りてきた。
「すみません。眠れないのでお酒、頂けますか?」
「かしこまりました。酒類はドリンクチケット対象外ですのでチェックアウト時のお支払いということで宜しいでしょうか?」
女性客はそれで納得して地元産の日本酒を注文した。川瀬は厨房に入って酒の準備をし、根田は小野坂のことが気になりながらも菓子パンを頬張って夜勤に備えていた。
チンピラたちの乱闘に巻き込まれていた塚原の助けもあって山下以外を既に打ち負かしていた。
「さて、主犯退治といきますか。お仲間が来たらあとよろしくね」
「ちょっと待て! 俺ごとしょっぴかれちまうだろうが!」
塚原は、大丈夫だってと呑気そうに笑ってチンピラの主犯と対峙する。一人になったことで特攻隊さながらに向かってきた山下の動きをあっさり封じ、小野坂は彼の華麗過ぎる立ち回りに思わず見惚れてしまう。そこに遅ればせながらやって来た刑事やら警官たちは、伸び切っているチンピラたちの駆除を始める。ところが金属棒を持ったままなのがまずかったのか、小野坂までもが警官に掃除されそうになる。
「彼じゃなくてコイツ!」
塚原は捕まりそうになっている小野坂を見て慌てて伸びている山下を指差した。彼に指示された警官たちは小野坂から離れると、それに気付いた山下は飛び起きて逃走を図る。
「待てっ!」
彼らは主犯を追うも運悪く居合わせてしまったタクシーに飛び乗り、結局捕り逃した。パトカーに乗っていた者たちがタクシーを追い掛けたが、塚原はそれを見送るだけで動こうとしない。二人はその場に取り残される形となり、小野坂は立ち尽くしている刑事の傍へ歩み寄った。
「あんたが行った方が早かったんじゃねぇの?」
あの華麗な動きを考えたらそうした方がと思ったのだが、塚原はなぜか脇腹を押さえて少しずつ体が丸くなり、片膝を付いてうずくまってしまった。
「どうしたんだよ?」
「不覚、取られちった」
「えっ?」
異変に気付いた小野坂は塚原の前に回り込むと、押さえていた脇腹部分が赤く染まっていた。彼は慌ててポケットからケータイを取り出して百十九番通報をすると、住所を調べるため電柱に走る。
「救急車一台お願いします! 住所は……」
プチパーティーを終えた『離れ』では村木、鵜飼、嶺山兄妹が後片付けをしていた。
「考えてみたら俺ら人ん家で勝手に盛り上がってんねんなぁ」
嶺山は今になってそんなことを言い出したので、村木はえっ? と聞き返してしまう。
「何を今更、最初は義君いたしたから良いしょ」
その言葉にあっそっかとあっさり納得した嶺山に、そうだべと笑う。
「でもここの人らって取っ付きにくそうな割にゆるないですか? 私ら他所の住人ですよ」
そんな和やかな空気の中、明らかに住人ではないドアの開け方をする誰かが大きな音を立てて侵入した。
何事? キッチンに居た鵜飼と嶺山が音のした方へ走ると、侵入者こと鵜飼が見たチンピラが上がり込んでいる。小柄な村木はリビングで倒され、男は雪路を人質に取って二階に上がった。
「ユキッ!」
嶺山は二階へ上がって行こうとするのを鵜飼が引き留め、相手は刃物を持っていることを告げる。
「ペンションに走って仁君呼んできて、あの男多分彼に用事したから。雪路さんの方は僕が行く、あの程度なら何とかなっぺ」
鵜飼は掃除道具のほうきを拝借して二階へ上がって行く。
「ウソやろ?」
嶺山は鵜飼の行動に驚いていると、村木はようやく起き上がって体を擦る。
「あいたたた……」
「大丈夫かいな?」
「オレは良いしたから早くペンションへ。その間に百十番通報しとくけ、信あれでなまら強いしたからそうそうやられやしねっぺ」
「分かった」
嶺山は村木の言葉を信じてペンションへと走る。村木はゆっくり立ち上がって自身のケータイを拾い上げ、百十番通報をした。ものの一分も掛からぬうちにペンションに駆け込んだ嶺山は、事務所で帳簿を広げている堀江を捕まえる。
「『離れ』に変な男が来てユキを人質に取った!」
嶺山の通る声とその内容に堀江の顔付きが変わる。フロントにいた川瀬と根田にもその声は届いており、二人とも事務所に入ってきた。
「侵入者って……」
二人は動揺を隠せない。しかしその後の堀江は冷静で、ちょっと行ってくると二人を制した。
「分かりました、あなたはここにいてください」
堀江は嶺山にもペンションに留まるよう告げると、一人で『離れ』に向かう。すると村木が外に出てきており、鵜飼が雪路を助けに追い掛けた事を知らせた。
「行ってくるよ、礼君もペンションに避難して」
「したって、大丈夫なんかい?」
村木は一見穏やかそうな堀江を不安そうに見上げる。
「大丈夫、そんなにヤワじゃないよ」
堀江は村木に笑顔を見せてから表情を引き締めて『離れ』へ一人入っていった。
「堀江仁は?」
男は雪路を人質に取ってナイフを突き付けている。鵜飼は相手がいつ隙を見せるか窺っている。
「やっぱしそうだ、したら彼女に用は無いべさ。関係無い人巻き込むんは筋違いだと思うけど?」
「ワレガキのくせに生意気やねん」
前回手下たちを打ち負かしているだけに鵜飼のことはどうも気に入らないらしい。それは彼も同じで、仲間に怪我を負わせたこの男が無条件に嫌いだった。
「したらこんなことしねえで直接会いに行けば良いのに、振られるんが怖いのかい?」
「やかましいわ!」
男は逆上して鵜飼にナイフを向けてくる。今彼女から気が逸れてる……一瞬の隙を突いてサッと男に近付き、刃物を持つ左手に小手を、左肩に突きをお見舞いする。ナイフは手からこぼれ落ち、突きに耐え切れずバランスを崩して雪路を放す。すると堀江が顔色一つ変えず三人のいる部屋に入ってくる。ほうきを持っている鵜飼、恐怖からへたり込んでいる雪路、手の甲を気にしている男を冷静に見て表情を険しくした。
「捕まりたなかったらここには来るな言うたはずや」
堀江は今まで聞いたことの無い関西口調で男に話し掛ける。鵜飼と雪路はそんな彼を見たことが無かったので思わず固まってしまい、刃物を持っていたチンピラよりも恐ろしく感じた。
「随分とつれないやないか、一緒に暮らした仲間やろが」
堀江の目付き、話し声、雰囲気全てが冷ややかだったが、男からしたらそれが見慣れた姿のようで特に驚いている感じではなかった。
「仲間? そもそも俺に用なんか無いやろ?」
堀江は完全に別人になっている。これが仁君の本性? 鵜飼は我が目と耳を疑った。
「ゴメン、変なことに巻き込んじゃって」
鵜飼に対しては普段通りの口調で話し掛ける。どっちが本当の仁君? それがかえって彼を混乱させていた。
「今はあいつから目、離さない方が良いんでないかい?」
何を信じれば良いのか分からないからなのか、緊迫した状況からなのかいつに無く冷たい口調になっている。すると彼の言った通り男は再びナイフを手にしようとしたので、堀江は男、鵜飼は雪路の方へ走る。
堀江は一足先にナイフを踏んで男の首根っこを掴み、体を片腕で持ち上げて壁に打ち付ける。鵜飼は雪路を救出するとその場から離れ、彼女を抱えたまま階段を駆け降りた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます