長い一日 その二

山下貞行ヤマシタサダユキ、ちょいちょい悪さしては捕まってる小悪党だよ」

 カウンターバー『セクレ』で落ち合った小野坂に、塚原は山下貞行という名の男の写真を見せる。この男には見覚えがあり、数日前に鵜飼を囲んで刃物を持っていたチンピラの主犯だった。

「コイツ、この前商店街で結成したパトロール隊を怪我させた奴だ」

「商店街西側であった騒ぎのことだよね? 何か言ってた?」

「俺には何も。ただ刃物持ってた、多分バタフライナイフだったと思う」

「ったく、仮出所の分際で余計なことを」

 塚原は写真の男の行動に呆れ返る。

「ホント懲りない男でさ、今度はハーブと称したドラッグを手に入れてるみたいなんだ。この街を選んだのは知り合いの仁君を嗅ぎ付けてきたんじゃないかと」

「この二人が? 冗談だろ?」

 小野坂は信じられないと言わんばかりの表情を見せる。

「そう思いたいのは分かるけど、この二人一年ほど同じ釜の飯食ってた仲なんだ。とは言っても友達とかではないみたいだけどね」

「できれば外れて欲しかったよ」

 小野坂は独り言を言ったが、塚原はもちろん聞き逃さない。

「君良い勘してるよね、あんなワイドショーで気付くなんて」

「じゃあアレ聞いてたのか?」

「まぁね、この前も言ったでしょ? 俺耳が良いの」

 塚原は事も無さげにそう言って、出されている酒を一口飲む。

「アレだけでって訳じゃないよ。仁が持ってた写真の女の子がその事件の被害者に似てたから変に繋がっちまって」

「似てるも何もご本人だよ。咄嗟だったんだろうけど、仁君と俺を見てチャンネル換えたでしょ? それで長居するとまずいと思って引き上げたら案の定バレちゃったって訳」

 塚原はそう言いながらも楽しそうだった。小野坂は堀江の看視に夢中になっていると思っていただけに、まさか自分にも注意を向けられていたという頭は全く無かった。

「そこも見てたのかよ」

「当然でしょ? あんま警察ナメないでよね」

「別にナメちゃいないけど」

 小野坂はすっかりお手上げ状態で本職刑事の郵便局員を見る。

「で、話を山下に戻そう。最近仁君電話とノート気にしてたでしょ?」

 塚原は話を本題に戻す。

「あぁ、態度の悪い電話が何度かあって、義と俺も一度ずつ取ってる。それ以来ずっとあんな感じで」

「それだな。山下のことは上司が彼の耳に入れてたみだいで、その件で連絡はあったって聞いてるよ」

 上司? その言葉で先日見掛けた二人組が頭に浮かぶ。

「上司ってあんたが私服で来た時に落ち合ってたスーツ姿の……」

「あれ見られてたんだ。ひょっとして俺のこと、好き?」

「いいやむしろ嫌いだ、そういう話なら帰るけど」

 小野坂は目の前にある酒を飲んで帰る仕草を見せるが、まだ話は終わった訳ではないので行動には移さない。

「仁はこのこと把握してたのか?」

「うん、山下がこの街に入ってきてることくらいはね。その時はあいつの狙いがはっきりしてなかったのもあってあまり詳しく話してないみたい」 

 それでか……小野坂は変な電話に対しても案外冷静にしていた堀江の姿を思い出していた。塚原から聞かされている話の内容と、ここ数日の出来事が彼の中で繋がっていく。今起こっている“事件”とも言える出来事を頭の中で整理していた最中に、どう思った? と塚原が何の脈絡もなく訊ねた。

「どう? って何がだよ?」

「仁君のこと、蔑視してる訳じゃなさそうだけど」

 塚原は出されている食事を少しつまむ。小野坂はこの事実を知って驚きはしたが、堀江に対する感情に大きな変化は無かったのでそれを正直に伝えて刑事を見た。

「ただ随分と衝動的な行動に出たんだなってことには驚いたけど」

「まぁ今の彼を見ればそう思うかもね」

「まるで昔の仁を知ってるような口振りだな」

「そう聞こえた?」

 塚原はニヤッと笑うだけできちんと答えない。小野坂もこの時点ではさほど重要なことと思わなかったので、この話題はそのまま放置された。

「けどって何か思うことでもあったりする訳?」

 こっちの話には耳ざといのかよ? 一瞬そう思ってイラッとしたが、ワイドショーで言っていた“世論”が彼の心の片隅にずっと引っ掛かっていて、他人事のようなそうで無いような中途半端な共感を抱いていた。

「大切な人が殺された現場で犯人と居合わせたら俺ならどういう選択をするのか? 相手を殺害するという形での解決ってのは道徳上間違ってる。頭では分かっててもそこを考えると何とも言えない」

 その言葉に塚原は、ふぅんと嬉しそうな視線を視線を送る。

「大切な人、いたの?」

「俺の話はよくないか?」

 小野坂は面倒臭そうにため息を吐いた。

「へぇ、いたんだね」

 塚原は小野坂の横顔を見てニヤッと笑う。それを嫌がった小野坂は席を一つ離れ、気味悪そうにその顔を見た。

「何だよ、気持ち悪ぃな」

「聞かせて欲しいなぁ、君の恋話」

「ヤダね」

 小野坂はあっさり拒否すると、そっぽを向いて残りの酒を一気に飲み干した。


 ほぼ同じ頃、『離れ』では川瀬と鵜飼が神妙な顔つきで向き合っている。

「やっぱヤバいべさね?」

「そうは言っても……」

 二人は自分たちの手に負える気がしなくて、大事にならないようにしたくても妙案が全く思い浮かばない。

「したって何かあってからじゃ遅いべ」

「そうなんだけど、あの一件で警察も一応把握はしただろうからお任せするしかないんじゃない?」

 そんな話をしていると、『アウローラ』の営業を終えた嶺山兄妹がパンを持ってやって来た。

「昼の賄いのお礼、新作できたから味見してえや」

 嶺山はお邪魔しますと『離れ』に上がり、雪路もそれに付いて来る。二人は何も知らない嶺山の耳に入れる訳にもいかず、話はそこで中断される。

「もう七夕ですか?」

「何言うてんねん、遅いくらいやわ」

 四人は試作品の菓子パンを早速味見をする。川瀬が飲み物を入れに席を立つと、村木が『赤岩青果店』の営業を終えて遊びにやって来た。

「おばんです、今日は賑やかだべね」

 大人数で集まるのが好きな村木は嬉しそうな顔をして『離れ』に上がる。嶺山に試作の菓子パンを勧められ、五人が一つのテーブルを囲むとその場はプチパーティーのような雰囲気に変わる。取り敢えずその場の空気に合わせて楽しそうにしていた鵜飼だったが、いまいち気持ちは晴れないままだった。


 夜も更け、根田に言ったこととは裏腹にすっかり遅くなってしまった小野坂は、塚原と別れて帰宅の途に着いている。そう言えばと『セクレ』にいる間にメールの受信があったことを思い出し、一旦足を止めてケータイをいじっていると向かってきた男性とぶつかったので、反射的にすみませんと言った。相手から特に反応が無かったので端によってメールのチェックをしていたが、いきなり肩を掴まれて殴りかかられる。

 え? 驚きはしたが何とかそれをかわす。しかしそれで収まらず更に脚が勢いよく迫る。避けるのは無理と判断して身を挺し、腕でガードするのが精一杯だった。ったく何なんだよ? そう思いながら相手の出方を伺うと、再び殴りかかってくるので今度は拳を弾き返し、男は勢い余って勝手に転んでしまう。その割には身軽な男はぱっと立ち上がり、街灯に照らされたその顔には見覚えがあった。

「山下貞行?」

「何や、ワイのこと知っとんのか。ますます気に入らんわ」

 山下の一声を合図に似たようなチンピラたちがぞろぞろを集まってくる。十人以上の男たちに囲まれてしまった小野坂の目が吊り上がった。

「命乞いするなら今やで」

「……」

 面倒臭そうに一つため息を漏らす小野坂に、金属棒を持っている男が背後から殴りかかる。小野坂は男の手首を掴んで軽く捻り、金属棒を奪って背中を少々強めに押した。男はあっさり吹っ飛び、仲間二人とぶつかって一気に三人が崩れる。

 弱っ! 手に入った武器を木刀に見立てて剣術の中段構えで相手の動きを伺うと、別の男がまたも背後から金属棒を振りかざしてきたのだが、小野坂に届くことなく勝手に横に吹っ飛んだ。

 あれ? 左方向から違う空気を察知した小野坂は、何が起こったのかを目だけ動かして確認する。

「助太刀、要るでしょ?」 

 チンピラたちとは明らかに違う空気をまとって輪の中に入ったのは塚原だった。

「あんた帰ったんじゃなかったのか?」

「うん、でも変なのがたむろってたから職業上見過ごせなくて。付いてったらここに来たんだけど、向こうからお出ましとは手間が省けたよ」

「あっそう」

 塚原は肩をすくめる小野坂の背後に立ち、背中預けるよと余裕の笑みを浮かべる。

「あんま信用しないでくれ」

「そお? お仲間が来るまで持ち堪えてくれりゃ良いからさ。君、覚えあるでしょ?」

「何のだよ?」

 小野坂の言葉は相手が殴りかかってきたことでかき消される。二人はそのまま乱闘に巻き込まれるも、彼らは人数の割にあっさりと殲滅した。

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