一方通行 その一

 それから一時間もしないうちに赤岩と共にいつもの時間いつものように村木が青果の搬入にやって来る。少し疲れた顔をしていたが、普段通り朝から元気いっぱいだ。

「おはようさーん」

 厨房から食材を持って上がり込み、せっせと搬入作業に追われている。

「おはよう、今日も元気だね」

 朝食の支度をしている川瀬は、手を休めないながらも笑顔を見せる。

「今日は休み貰えしたから帰ったらすぐ寝っぺ。ところで仁は?」

「仮眠中、さすがに警察署からの朝帰りは疲れるでしょ?」

「んだな」

 村木は一通りの搬入を終えると、やはり疲れているのか赤岩と一緒に帰っていった。その直後にパンの搬入にやって来た雪路が、昨夜の出来事など無かったかのように明るい表情で搬入口から顔を出す。

「おはようございます、朝の入荷分です」

「おはようございます、休まなくて大丈夫なんですか?」

 朝食のテーブルメイクで料理を取りに来た根田が、人質の被害に遭った彼女を心配する。

「うん、今日は午前で仕事終わるから。これからしばらくはカウンセリングを受けなさいって警察の人には言われてる。病院も紹介してもろたから午後の診察に行く予定」

 雪路はそう言いながら辺りをキョロキョロしている。

「堀江さんは? 昨夜のお礼が言いたかってんけど」

「今仮眠中です、カフェの営業までには戻ってきますよ」

「そっかぁ。夜に出直してもええかな?」

「良いですよ」

 根田の返事に頷いた雪路は、入荷分のパンを置いて帰っていった。


 少し仮眠を取った堀江と小野坂は朝食の後片付けに合わせて仕事に入り、チェックアウト業務をこなすと堀江はフロントに入ってカフェ営業に備えて小野坂は外の掃除をしていた。この日根田は一人でベッドメイクを済ませ、洗濯物を下ろしていると聞き慣れない声が店内に響き渡る。

「こんにちはー、『クリーニングうかい』です」

 堀江が声のした裏口に視線をやると、クリーニング屋はクリーニング屋でも三代目ではなく、二代目である鵜飼の父泰介タイスケだった。

「あの、信さんは?」

「あいつ朝方に帰ってった途端熱出してさ。何日間かは私が伺いますよ」

 泰介は大量のシーツを慣れた身のこなしで抱えている。表向きは引退でも四十代なので、まだまだ現役とばかり精力的に働いている。根田と小野坂も手伝って洗濯物を運び出し、Tホテルの営業停止も解除されて一時的な忙しさからは解放された。堀江は接客を根田に任せて事務所に篭り、川瀬はカフェと夕食に出すデザートを作っている。根田は接客に精を出し、小野坂は夕食で使用するナプキンの飾り折りをしていた。


 昼を少し回った頃、退院してきたばかりの塚原がひょっこり現れる。この時フロントに立っていたのは堀江、川瀬と根田は昼食で『離れ』に居たためコーヒーは小野坂が淹れる。

「いらっしゃいませ」

 いつものように声を掛けるが、この時の彼は郵便局員の制服ではなく本業である警察署員の正装を着用していた。堀江はその姿に見覚えがあり、あっ! と声を漏らす。するといきなりデコピンをくらわして苦笑いしている。

「あいたっ!」

「ったく。たまにカッとなるとこ全然変わってないね」

 堀江はおでこを押さえて痛がっていると、そろそろ思い出してくれたわけ? と堀江の頭の上に右手を置いた。

「そっか、あん時の新米警官……」

「気付くのちょっと遅すぎない? 俺は葉書を回収した時点で気付いてたよ。それより居場所は見つかった?」

 その言葉に弱々しく頷いたが、明け方の一件でその自信は失っている。

「けど俺は皆を騙してた。ここにおる資格、無いんかも知れん」

 堀江は言葉で上手く伝えられず、グチャグチャになった感情が涙となって溢れ出て、途中からは何を言っているのか分かっていない状態だった。

「だとしたら今ここに立たせてもらえてないさ。少なくともここの従業員の皆は、騙されたなんて思ってないよ」

 塚原は大男の頭を手荒にわしゃわしゃと撫でると、堀江はそのまま泣き崩れた。

「君はもう一人じゃない、何なら俺もいるから大丈夫だよ」

 塚原は堀江の体を抱き締めてよしよしとあやす。小野坂は二人のやり取りを厨房で聞いており、一度は裏切って逃げ出した自身と重ね合わせて胸が熱くなる。すると事務所に繋がるドアの開く音がしたので、さっと表情を戻して振り返った。

「入りまぁす」

 フロントの状況を知らない根田がずかずかと店内に入ろうとするのを慌てて止める。

「今入るのはちょっと……」

 その言葉の直前に根田にもフロントの状況が目に入って足を止めた。しかし小野坂が止めに入った理由と根田が足を止めた理由は違っていた。

「あれ? あの人今度は警官のコスプレですか?」

 根田は塚原の今の格好に違和感を覚えているようだ。

「あれが本職。お前、制服の方が気になったのか?」

「ハイ。だって転職で警官ってお手軽過ぎるじゃないですか、それならコスプレの方がしっくりきません?」

「こない」

 小野坂はその思考回路に呆れるも、同時にこの様子だと堀江の過去を気にしていないようだと安心もさせた。

「いやぁ意外と眠れねえもんだべ」

 昨日からほぼ貫徹状態の村木が、ややハイテンション気味に遊びに来た。彼もまた店内に入ろうとして足を止め、警察署の制服を着ている塚原を凝視している。

「そのうち捕まっぺあの人、警官の格好はマズイしょ?」

「お前まで何言い出すんだ? あれがあの人の本職だよ、細かいこと言うと刑事なんだけど」

「ふぅん、まぁそったらことはどっちでも良いしたってさ、なしてんなこと知ってんだ?」

 村木は堀江と塚原の関係には興味が無いようで、小野坂が塚原の本職を知っていることの方が納得いかないと言った顔をする。

「何で? って本人に聞いたからだよ」

「いつ聞いたんだべ?」

 村木は小野坂に尋問を始めた。面倒臭ぇ……そう思いながらも下手にはぐらかす方が時間を食うので、仕方無く正直に答える。

「一昨日」

「いつからそったら親しくなったんだ?」

「別に親しくねぇよ」

「したらなして教えてくんなかったんだ?」

「お前は駄々っ子か!」

 小野坂は子供じみたことを言う友に呆れ返る。しかし村木のなしてだ? 攻撃はまだ治まらない。

「業務上の変装だからって口止めされてたんだ」

「あっそ、あれ変装だったんかい」

 一応事情は飲み込めたのか、不機嫌ながらも尋問は止めた。二人して制服気にするか? 小野坂はそちらの方が気になって今度は小野坂が村木に疑問をぶつける。

「あのさぁ、塚原さんの制服より二人の間柄の方が気にならないか?」

「いや全然。そこまで大事なことかい?」

 村木は首を横に振った。

「そったらもん当人同士が大事にしたら良いことであって、オレの人生には何の影響も無いさ」

 個人主義の村木は独自の持論を展開する。

「大体仁の人となりを見極める判断材料にはなんねえべ。まぁ人格形成上の影響はあるしたって、オレらプロでねしたからそったらこと二の次三の次で良いべさ。変なフィルター付けて本質見ようとしねかったり見えねくなったりする方が一大事だ。必要な時だけ拝借したら良いんでねえかい?」

 村木の持論は人間性よりも世間体を重んじる母親の思考に対する反発からきており、高校卒業後にほぼ絶縁状態だった叔父を頼ってこの街にやって来たのも彼なりのレジスタンスとも言える行動だった。

 オレはあの人が嫌いだ。実母への嫌悪感をストレートに言い放つ村木が潔くもあり、時に寂しくもあるように小野坂には映っていた。

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