第14話 実践、猿でも分かる初心者魔法

 学校を出たミリエルは王都の外に向かう通りを歩いていく。しばらくすると前方に高い壁が見えてくる。

 広い王都の外周には高い壁が建っていて、ぐるりと城下町を囲むように一周している。

 この壁はまだ魔王がいて魔物達の行動が活発だった時代、外敵からの侵入を防ぐために造られたものだ。そうミリエルは学校の授業で習った。

 魔王が倒されて強くて凶暴な魔物が出なくなった今も壁は取り壊されることはなく残されている。

 そんな歴史にたいして思いをはせることもなく、ミリエルは平和な時代に生まれた現代っ子として日々通い慣れた王都の道を歩いていく。

 たいして警備が厳重でもない兵士の立っているだけの人の行きかう門から外に出て出てしばらく歩くと王都周辺にあった賑やかさは次第に去り、豊かな自然の風景が広がってくる。

 ミリエルは左右を草原に挟まれた広い道を歩いていく。しばらくすると前方に公園が見えてきた。

 周りを木で囲まれていて人通りの少ない閑静な場所だ。これからやろうとすることに都合のいい目立ちにくい環境。

 今日はその公園に寄ろうと決めていたミリエルは黙ってそこへ足を踏み入れていった。

 日頃寄らない場所に寄ったのが気になったのだろう。少女の中の声が話しかけてきた。


『寄り道はしないのではなかったか?』

「ちょっと家に帰る前に試したいことがあってね」

『ほう、親には言えないような何か面白いことをするつもりなのだな』

「別にそんなに面白いことをするつもりは無いんだけどね……ほら、ネネちゃんに本をもらったでしょ」

『ああ、猿でも分かる初心者魔法だな』

「それをちょっと試そうと思ったのよ」

『ほう、それは楽しみだ』

「楽しみなのか」


 ミリエルは別にそんなに面白いことをするつもりは無かったのだが。学校では人目があるし家でやるのは危ないと思っただけで。

 ともかく鞄をベンチに下してネネからもらった本を取り出す。中の人も教室でタイトルを見て知っている本、改めてそのタイトルを口にした。


『猿でも分かる初心者魔法。どんな物なのだろうな』

「初心者向けだからたいしたことないと思うけど。あんたの期待する物じゃないと思うわ」

『だからこそ興味深い。俺はベテランを自称する者の魔法はよく見たが、初心者はあまり見たことがないのだ』

「ああ言えばこう言う。わたしの初心者魔法にびびらないでよね」

『お前もやっとやる気を出したのだな。どんな派手な魔法が飛び出るのか今から楽しみだ』

「別にそんな派手な事をするつもりは無いけど……期待しないでよね」


 変に期待を持たせてしまっただろうか。反論してつい強気になってしまった。

 ハードルを上げられた気分でまごついてしまう。でも、見られてると思うと良いところを見せたくなってしまう。

 ちょっとやる気を出す。

 公園にはうまい具合に他に人がいない。派手にぶっ放すには都合がいいが、公園を破壊しないようには気を付けないといけないだろう。

 ミリエルは慎重に事を進めることを決意した。

 手元で魔法の書、猿でも分かる初心者魔法を開く。ページを開くなり少女は声を上げてしまった。


「うわ」

『ほう、これは』


 中の人も感心したように唸る。

 開いたページに載っていたのはとても分かりやすく。大きな図解入りで子供でも読めるように書かれた魔法の解説だった。

 随分と前に読んだ折り紙の折り方の本に似ているとミリエルは思った。

 最初のタイトルは『猿でも出来る、簡単ファイアボールの打ち方』と書かれてあった。


『これがお前には合っているのだな』

「馬鹿にしないでよね。猿でも出来るからって」

『ともかくやってみてはどうだ? 猿でも出来るのだろう』

「うん、猿でも出来るからね」


 やれとわざわざ言われるまでもない。そのためにここへ来て、ここでこうして本を開いているのだから。

 ミリエルは本に書いてある通りにファイアボールを使ってみることにした。

 魔王がいて世界に凶暴な魔物が跋扈していた時代では子供も戦う術を学ぶ必要があったので幼少の頃から剣や魔法を学ぶのが通例だった。

 魔王が倒されて平和になった現代では、魔法は子供がふざけて使うと危険なのでもっと高学年になってから学ぶ物とされている。

 だが、教育に熱心な親がいたりネネのように魔法に興味を持つ子だともっと早くから学ぶ子もいた。

 早い子だと幼児の頃から家庭教師に習うこともあるという。

 ミリエルもまだ学校で習う年では無かったが、ネネから薦められた魔法の書だ。ここで試してみることにする。

 本に載っている通り、炎をイメージして呪文を詠唱する。初心者向けなので載っている魔法も簡単だ。


「あかいほのお、もえてもえてもえて、ファイアボール!」


 だが、何も出なかった。ミリエルが翳して撃とうとした右手には炎どころか煙すら出なかった。

 少し状況を伺っていた様子の中の声が話しかけてくる。


『どうした? ファイアボールを出すのでは無かったのか?』

「つ……杖が無いのがいけないかも」

『ページには杖を用意しろとは書かれていないようだが』

「…………」


 確かにそうだが……ミリエルは気を取り直して前を見る。再び試す。


「これから出すよ。凄いファイアボールをね。あかいほのお、もえてもえてもえて、ファイアボール!」


 シーンとしずまり返る公園。空虚な風だけが吹き抜ける。ミリエルはあきらめて両手を下ろして息を吐いた。


「今日は帰ろうかな。調子が悪いみたいだし」

『待て待て、まだ凄いファイアボールを出していないだろう。そうだな……凄いファイアボールを出そうとするのが良くないんじゃないか。凄くない物からイメージしてはどうだ?』

「ぶう」


 確かにそうかもしれないが、凄くないファイアボールを出したいわけじゃないのだ。馬鹿にされたくはないと思うミリエルだった。

 まだ帰ろうとしていると、中の声が言葉を続けてきた。


『待てよ。まだ1ページ目しか読んでいないではないか。そうだな……お前なら火より光の方が良いのではないか? ほら、部室で使ってただろ。光ってたの』

「うーーーん……」


 確かに部室では何かが光っていた。あの時は特に魔法を意識したわけでは無かったのだが。

 まあ、せっかくの助言だ。ネネから薦められた本でもある。ミリエルは光のページを見ることにした。暗い場所を照らす光の魔法が載っていた。

 光の魔法はあまり猿でも使える物が無いのか人気が無いのか、他の属性に比べるとページ数が少なかった。

 ともあれ使ってみる。

 光をイメージし、呪文を詠唱する。


「ひかりよ、やみをあかるくぴかーとてらせ、ライト!」

『…………』


 だが、何も起きなかった。ミリエルは諦めて両手を下ろした。


「まだ明るいから光は必要無いみたいね。帰るか」


 今度こそ本を鞄に仕舞おうとすると中の声が静止してきた。


『待て待て。諦める前に俺にもやらせてみろよ。猿でも使える魔法とやらを』

「あんた、そんなに猿でも使える魔法が見たいの?」


 森で黒い炎弾を放っていた彼には必要ないと思うのだが。それとこれとは違うようだった。


『見たい。猿でも使える初心者魔法など見たことがないからな。この詠唱も全く知らない物だ。使ったらどうなるのだ? お前は見たくないのか?』

「見たいけど……」

『なら決まりではないか』

「…………」


 勝手に決められても困るのだが……ともあれ見たいというのはミリエルも同じ気持ちだったので。

 諦めて息を吐くことにした。仕舞いかけた本を再び取り出す。


「良いけど、公園の木を吹き飛ばしたり燃やしたりしないでよね」

『お前は何を吹き飛ばしたり燃やしたりするつもりだったんだ?』


 無言で答える。魔法は子供が不用意に使うと危険なのだ。

 改めて規則を意識していると、中の声が乗り気な声を上げた。


『よし、やってみるぞ』

「うん、どうぞ」


 体から力を抜いて中の人の意識に任せる。魔法部で勝手に闇の力を使われたことや狩りでの経験からやり方は掴めていた。

 狩りで黒い炎弾を放っていた彼なら猿でも分かる魔法も使えるかもしれない。ミリエルはちょっと期待してわくわくしてしまう。

 中の人も同じ気持ちだったのだろう。何か分かる気がした。

 少女の手は改めて本を開いて魔法に挑戦する。


『あかいほのおよ、もえてもえてもえて、ファイアボール……これでいいのだな?』

「うん、それでいいと思うよ。後は魔法を意識して」

『よし、やるぞ。あかいほのおよ、もえてもえてもえて、ファイアボール!』


 今度こそ魔法を実践した。

 すると何ということだろう。彼の動かしたミリエルの右手の先に赤い炎の玉が出来上がったではないか。

 別に凄くはない小さな炎だが、確かに魔法のファイアボールだった。

 少女は目を煌めかせてそれを見る。

 初めての成功に中の人も緊張から解放された声を出していた。


『なんだ簡単に出来るじゃないか。これが猿にでも出来る初心者の魔法なのだな』

「凄い、どうやったの?」

『本の通りにやっただけだ』


 なんかむかつく言い方である。本の通りにやって出来なかった少女がここにいると言うのに。

 悪気が無いのは分かっているが。

 ミリエルは不満に唇を尖らせつつ、左手を翳して呪文を詠唱する。

 だが、ファイアボールは出来なかった。中の人はあきれたように嘆息した。


『お前、なんで俺に出来ることが出来ないんだ? 同じ体を使ってるのに』

「これは……きっと猿にしか出来ないのよ。わたしにはシズカ先輩の薦めてくれた本の方が合っている」

『お前、友達より先輩の方を信じるのか』

「…………」


 ともかく出来ないものは仕方がない。いつの間にか時間も結構経ってしまった。

 公園に人が入ってきた。貸し切り状態もおしまいだ。

 ミリエルは今度こそ本を鞄に仕舞って帰ることにした。

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