第27話 あの日のお話
時は一九一四年、二月十五日。
その日はやけに太陽が高い位置にある、午後十三時五十一分。
白樺が生い茂るラウトヤルヴィの森の中、真っ白い雪景色の中に姿が二つ。
「いい? シモ。スコープは銃の虫眼鏡。お目目の延長線よ。でもね、確実に当たるわけじゃないの」
一人は、彼女の名前を呼んだ女性、マリア・ヘイヘ。
マリア・ヘイヘは、ヘイヘ一家の中の長女。ついでに言うとシスター&ブラザーコンプレックス。とりあえず下の妹弟達が大好きな、家族思いの姉だった。
「銃の虫眼鏡?」
「そう。撃つための手助けをしてくれるのがスコープなの。だから、あまりスコープに頼らないようにした方が身のためよ」
「分かった……!」
カシャンッと丁寧にスコープを外し、コートのポケットにしまい込む。
再びグリップを握る小さな手に、大きな手が重なる。
狙うはケワタガモ。こちらには気づいておらず、本能のままにぺたぺたと移動している。
そのケワタガモは、その三秒後に弾の餌食となった。頭を撃ち抜かれ、ぱたりと倒れたところを駆け寄り、拾い上げる。
「よく出来ました。しかも頭を狙うなんて分かってる。シモは凄いね」
「えへへ……」
頭を撫でられる度に揺れる髪の毛や帽子に合わせて、手に持つケワタガモも一緒に揺れる。
暖かそうなコートに身を包み、背中には大きな狙撃銃を持つ。果敢に森の中を駆け巡るその姿は、身長百センチにも満たない黒髪の女の子。
八歳の時の、幼いシモナだった。
シモナは、マリアの他にも六人の兄姉を持っていた。
そのうちマリア、カトリと姉は二人。他のマッティ、ユハナ、アンッティ、トゥオマスは全員兄だった。
「今日はケワタガモのスープだね、マリーお姉ちゃん。お母さんに作ってもらわなきゃ……!!」
「はいはい、お姉ちゃんもシモも手伝おうね~」
シモナもまた妹の立場だったため、十五歳上のマリアや五歳上のカトリが大好きだった。
シモナの下には、四歳下の妹ヒルヤもいる。立場的に言えばカトリと同じ、姉もいて妹もいる存在だった。
「そう言えば、カトリは?」
「カトリお姉ちゃん? シモは見てないけど……」
「おかしいわね……」
ヒルヤ含まず、ヘイヘ一家の三姉妹は、冬は皆狩猟をして育ち、他にいる兄達もまた狩猟を行っていた。
たまにシモナの後ろについてくる妹のヒルヤは、上の兄姉が好きで好きで仕方がなく、「ねえねたちがじごくにいくのなら!」と、死ぬまでついてくるとの発言もあったりするほどで、三姉妹はそんなヒルヤに毎回困り果てていた。
「カトリを探しながら、家に帰らなきゃね」
「……うん、帰りたくないけど。それにしてもカトリお姉ちゃん、どこにいるんだか」
シモナはこの時から大人しい性格をしていた。理由としてはやはり父のこともあるだろう、人混みや沢山の人々を目にすれば上の兄姉の裾を握って後ろに隠れるほど臆病な性格であり、いつもその背中を追って育ってきたせいもあってか、反面強気な性格が目に見えることもある。
言い方を悪くすれば、いわゆる『反面教師』。父や知らない人の前では警戒し、逆に身内の者であれば難なく接することが出来る。
マリアは、そんなシモナを「大丈夫大丈夫〜」といつも頭を撫でて落ち着かせる役割を担っていた。
「……シモばっかり、ずるい」
不機嫌そうにその光景を木の上から見つめる、一つの姿。
マリアの妹であり、シモナ、ヒルヤの姉であるカトリ・ヘイヘだった。マリアと同じく妹好きな彼女であったが、この時のカトリはとてつもなく機嫌が悪く、狩猟に行く寸前にマリアとちょっとした喧嘩を起こしていた。
その手には狩猟用の狙撃銃を持っていた。リロードをし、先程撃ったのであろう空薬莢を外に出す。
「……」
狙いを定める。スコープの視線は、とある人物に向いていた。
シモナだ。ここ最近、カトリはシモナやヒルヤに嫉妬する事が多く、最も気性が荒かった時期とも言える。
「ねえね!」
その時、誰よりも明るい声が聞こえる。
やっと見つけたと言わんばかりの顔をして、末っ子のヒルヤがてちてちとシモナに駆け寄ってきていた。
最悪のタイミングだ。この時にカトリは引き金を引き、ヒルヤを抱こうと前に赴いたシモナを外したおかげでマリアに気づかれたのだから。
「……!!」
「えっ……?」
いつも表情を変えないシモナも、こればかりは流石に驚いた表情をしていた。
誰かが私を殺そうとしている。そう思うと一気に不安が押し寄せてくる。
「カトリ! いるんでしょ、出て来なさいよ!!」
「え……?」
「ねえね、おこってゆ……」
この銃の腕はカトリそのものだとすぐ気づけたのは、ヘラジカでもケワタガモでも頭を狙う癖があるから。
カトリ、シモナに銃を教えたのはマリアだ。長年教えているせいもあってか、確実にカトリの仕業だと気づいた。
「か……カトリ、お姉ちゃん?」
「かとりねえね?」
「いるんなら早く出てきてよ。お姉ちゃんもう怒ってないからさ、一緒に────」
マリアの発言を遮る弾丸の音。
シモナは自分よりもヒルヤの命を優先して、ヒルヤを庇うように抱きついて目を瞑り、しゃがみこむ。それを覆うように庇ったマリアの身体が妙な振動を起こした。
同時に、シモナの肩に何かが掠る感覚を覚えた。
すぐに目を開く。あまりにも不可解な振動だったものだから。
「……カトリ!!!!」
マリアの叫び声がカトリの耳に響き渡った時には、既にマリアはM三五を取り出してカトリに向けて数発撃っていた。
バキバキンッと重々しい音がし、カトリの持っていた狙撃銃にその数発全てが吸い込まれ、使い物にならない廃銃に姿を変えた。
「……シモ、ヒルヤ……怪我は?」
「な、無いよ……大丈夫、それよりもお姉ちゃんは──」
恐る恐る声を出したシモナの言葉が止まる。
シモナから見て右側の脇腹あたり、マリアのコートが赤く染まっていたのだから。
力なく、マリアはそのままシモナにもたれかかるように倒れる。
「……おねえ……ちゃん?」
慌てて受け止めたシモナの思考回路は、上手く回ってはいなかった。
何が起こって、何に当たって、どうして姉が倒れてきた?
自分の右手に染まるは、真紅の血。
それを見てようやく理解した。
姉が自分を庇ってくれた。
姉が姉に撃たれたと。
「お姉ちゃん……お姉ちゃん、お姉ちゃん!!!!」
その身体を揺さぶるが、反応はない。
シモナの耳元では、ただただマリアの荒々しい息遣いが聞こえるのみ。
死んじゃう、どうしよう、どうすればいいんだっけ。
「ねえね! おかーさんに!! おうち、かえろ!!」
ヒルヤがそう声をかけてくれたおかげでようやく我に返り、小さな身体で家の方向へと歩を進める。
ヒルヤが後ろから押してくれたおかげで少し楽に移動ができた。
「……いて」
「え!?」
「置いていって……」
「やだ!! お姉ちゃんの笑顔まだ見たいんだから!!! だめ!!!!」
マイナス三十二度の中、シモナは家まで彼女を運び込んだ。
カトリは姉を撃ったことに対しての罪悪感でパニックに陥り、その場から動けずにいた。
「…………」
まさかこんなことになるなんて。
廃銃になった狙撃銃にはら、数発の弾丸跡が、そして、シモナの背負っていた狙撃銃には、グリップより後ろ辺りに一発の弾丸跡が残っていた。
***
「それで、お姉さんはどうなったんですか……?」
「……一命は取り留めたさ。でも、あの日から二年後に嫌気がさしたのか家を出ていった」
ジリジリ、とランタンが燃える。
時計が無いので何時かは分からないが、シモナは体内時計で二十一時半頃だろうと仮定していた。皆が寝静まったであろう静かな空間でただ一つ、シモナ達の部屋の明かりだけがついていた。
「あれは俺も悪かったって思ってるさ。元々はお前を殺すつもりだったんだから」
「カトリさん、捕まらなかったんですか?」
「そりゃもちろん捕まったさ。少年院に二年だ」
あの後、マリアはシモナ達を残して家を出ていき、カトリは少年院に二年間入れられ……兄姉が全員出て行き、シモナとヒルヤのみが残った。
のちにヒルヤも行方不明になり、未だに見つかっておらず、シモナは生きていることを祈るばかりだと口にする。
「……そりゃあシモナさんが殺したくなる気持ちも分かりますよ。殺人未遂ですもん」
「だよなぁ……。……なぁシモ」
「なんだ」
「よりを戻す気はないのか?」
「ない」
目を瞑ったシモナは即答した。
元は仲の良かった姉妹といえど、マリアを生死の境地へと追い込ませたカトリだけは、シモナはどうしても許せなかった。
「そうかいそうかい、じゃあ俺は戦場で勝手に死にますよ」
「命を賭けているのか?」
「はっ、こんなシケた世界に命を賭けるアホがどこにいるってんだ?」
立ち上がり、扉へと向かったカトリをシモナは見届けずに目を瞑ったまま俯いている。
「でもな。勘違いするなよ、シモ」
思い出したような扉前で立ち止まり、呟く。
「俺は
「だからそうやって、お前は悠々とした態度をとっていられる。少年院に入れられても何をされても、お前は平気な顔で社会の真ん中に立っているんだろう」
「違うね。お前らがそうしたんだ。お前らが俺を軍に入らせたんだ。俺に死を受け入れてくれる場所を与えなかったのは紛れもないお前らだ」
扉のノブを静かに回し、最後に低く、カトリは呟く。
「……だけどな。俺はいつまでもお前らのことを忘れない。忘れられない。兄貴も姉貴も、お前もヒルヤも……俺は大好きだったからだ」
パタン、と扉は閉ざされ、再び静かな空間が室内を包み込んだ。
「シモナさん……」
シモナは俯いたまま、何も言わずにただ床を見つめている。
『置いていって』
その言葉は、シモナの何よりもトラウマの言葉。
いつからこうなったのだろう。いつから壊れて、姉さんや私は銃を握り、人を撃ち殺す獣になってしまったのだろう。
様々な疑問が浮かび上がり、頭が混乱する。
あんな風になったのは私のせいなのではと考えてしまい、シモナは自然と気分が落ち込んだ。
あの時のように、家族でまた笑えたのなら。
彼女が、今一番そう思っているだろう。
「……もう、後戻りなんて出来ない」
自然にポツリと呟いたシモナその言葉は、穏やかな雪の振る光景が映る窓に、室内に反響して、静かになくなっていく。
シモナのその声を扉越しに聞いていたカトリは、静かに涙を流した。
まるで、もう会えないことを分かっているかのように、誰にも気づかれないようにその場でへたりこみ、声を押し殺して泣いていた。
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