第26話 再開
一九三九年から一九四〇年まで、冬戦争は長くにわたって行われた。
ソ連兵は多くのフィンランド兵を殺し、フィンランド兵もまた、相打ちとしてソ連兵を殺した。
怒号が響き渡り、死を恐怖せぬ者達が最前線で繰り広げる戦争はあまりにも残虐で、残酷で。
各国の民や、他の国の民は見ていられることが出来なかっただろう。
時は一九四○年一月七日、フィンランドカイヌー県、ケヒュス=カイヌー郡。
ソ連第一六三・第四四
気温はマイナス四十六度。足先は凍りそうな程冷え、リロードをする余裕も気力も無いまま、ソ連兵は一列になってひたすら森の出口に向かって歩いているのだ。
「元帥……寒いっす……スナイパーもいつ来るか分からないですし、早めに行きましょうよ……」
ソ連兵の一人は歯をがたがた音を立てさせながら、震え声で呟く。
「何を言っているんだ、我々の陣地はほとんど破壊されてしまった、こんな所でまた襲撃でもされたらひとたまりもない!!」
こんな森、早く抜けなければならない。
指揮官、アレクセイ・ヴイノグラドフはそう思いながら、前で詰まる長蛇の列をあちこち見渡す。およそ八キロメートルはあるだろう。
アレクセイは出来るだけ多くの軍兵を引き連れて、フィンランドの地へとやってきた。しかしその方法は、この自然広がるフィンランドの地として、最悪な方法でもあった。
道が狭いのだ。馬や戦車等、様々な戦略を施したのだが、どうもフィンランドの森の中は道が狭く、戦車も上手く通らず木々が生い茂り、挙句の果てにはこのような長い列を作ってしまう事態になったのであった。
そこへ待ち受けるスナイパーの群れ。一月の五日、つまり二日前からフィンランド兵の襲撃を受け、残りは三割ほどしか残っていない。
これは失態だ……などと考えていると、耳で聞こえるほど大きな銃声が聞こえ、辺りはどよめきに包み込まれた。
フィンランド兵による襲撃だ。辺りが白銀に包まれ、どこから撃たれているのかが分からない。
ソ連兵の一人が「スナイパーだ!!!」と大声で叫ぶのを、アレクセイはしっかりと聞いていた。
「なんだ……どこから撃っている!?」
アレクセイは列の中央にいた。
しかしそれが仇となったのかも知れない。ハイエナのように群がる
「クソッ!! 空軍は何をしている!!」
もちろん、空軍も援軍として飛来していたのだが……真っ白い景色でギリスーツが擬態となり、フィンランド軍兵の姿は直視出来ずに襲撃されたという訳だ。
「……さて、司令官はどいつだ?」
「うーん。これだけいると、どの方が司令官だか分かりませんね」
「それならいっそまとめて全滅させようよ。こう……ババッと囲んでさ」
「それもありだな。シーラスヴオ大佐に聞いてみようか」
「それなら移動ですね!」
真っ白なフードローブやギリスーツを身にまとい、彼女達は森中を駆け回る。
援軍が欲しいとのヤルマル・シーラスヴォ大佐からの連絡を受け、シモナ、コルッカ、ついでにガルアットも一緒にひっついて来た。
「シモ!」
シモナ達に気づき、シーラスヴォは左横から声をあげる。
シモナ、コルッカは一瞬、シーラスヴォの顔が見えなかった。フード付きのギリスーツでは、横からではとてもではないが顔が見えにくい。せめて下から見ればハッキリと見えるのだが、この戦場の中わざわざそういう行為をするほど彼女達軍人は人の顔を見なかった。
全て声だけで判断するのだ。たまに似ている声同士がいるとどちらかは分からなくなるが。
「シーラスヴォ大佐、この状況は包囲をして狙撃をした方が、効率がいいかと思われますが……」
「ほう? その理由は?」
「……補給を求めるはずです。そこで放置すれば、勝手に死んでくれます」
「よおし、そうしようか!!」
即決だなぁ……と、コルッカとガルアットは同時に心で呟いた。
***
時間にして午後二十一時半。
七割ほど撃ち殺した所でソ連兵を真っ向から囲い、フィンランド兵はそこに銃を向ける。
「ヒィッ……は……ほ、補給を……補給を恵んでくれ……」
案の定、ガルアットにはそう聞こえた。
完全に包囲をしたフィンランド兵は、ソ連の司令官アレクセイを前に引きずり出す。
「どうする? 僕達としてはここで撤退をして欲しい。そうしないと君達の軍がどうなるか……分かるよね?」
ガルアットはフードローブのままロシア語で話す。
それがアレクセイに通じたのが不幸中の幸いで「分かった、分かったよ分かったから!! 撤退する、するから撃ち殺すのだけはやめてくれ!!」と弱々しく、しかし荒々しく悲鳴に近い声をあげた。
「……撤退するって」
「ふぅん。私は知らん、こいつらがやる通りにすればいいさ」
「シモ、お前なぁ……こいつら敵だぞ?」
「関係ないですよそんなこと」
シーラスヴォは苦笑気味に彼女の名前を小声で言い放つ。
「……よし、包囲を解け。行かせてやろう」
その一言で、ソ連兵の引き返しとなっていた道を開き、彼らを撤退させていった。
「や……」
「やったぞ!! ソ連兵を撃退した!!!」
歓声が森中を響き渡らせ、辺りはピリピリした空気から喜びへと変わっていった。
フィンランド軍にとって、これは大きな成果でもあったから。
「……ふん」
満更でもなさそうなシモナの態度を見たコルッカは「どうかしたんですか?」と訝しげに質問を投げる。
「……いいや、なんでもないさ。私達も明日にはカワウの方へ戻らねばな」
「そうですね、ユーティライネン中尉も人手不足の中ここに緊急配属した訳ですし、それに───」
「シモ?」
コルッカの発言を遮るほど大きな声でシモナを呼ぶ声が聞こえ、シモナは声の方向へ振り返る。
それはシモナの味方側……狙撃師団メンバーのとある一人の声。
それは最前列にいた。フードを取っ払ったその姿は、中央分けの黒い髪の毛に、右側の茶色のメッシュ、それでいて赤い瞳。
「…………え……?」
コルッカは見間違いだと思った。
それはあまりにもシモナにそっくりであったのだから。
「……カ、トリ?」
「あぁ……シモだ、やっぱりシモだ!!」
「え……な、なんで? どうしてここに……」
言い終わるが前に、その者はシモナへと思いっきり抱きつく。
ガルアットも混乱の意を示していた。
姉さんとは、と。
「久しぶりだなシモ! 死んでなくてほんと良かったよ!」
「え? え、でも、でも……だって、なんで……?」
シモナもまた、混乱していた。
どうしてここにいるのか。どうして軍人になっているのか。
どうして、戦争に参加しているのか。
聞きたいことは山ほどあったが、まずは離してくれと宥め、シモナから姉さんと呼ばれていたその者は彼女から離れる。
「なんだぁカトリ、知り合いか?」
「妹のシモだよ。お前らにも話してただろう?」
「へぇ! それは大したこった、お前に妹がいたなんてなぁ!!」なんて冗談交じりに声をあげた味方兵に「それは酷くねえかぁ!?」と笑いながら返答をする彼女。
「…………」
「どうした、シモ?」
「気安く呼ぶな、このクソ姉が!」
途端に目付きを変え、銃をカトリに向けるシモナ。
さらに困惑するコルッカと、それを見つめるガルアット。
カトリに抱きつかれたその時、シモナの中にはとある記憶がフラッシュバックしていた。
「おぉいなんだなんだ、どういうことだ!?」
「まぁ、ここじゃあなんだ。拠点に戻ってから話せ、な?」
シーラスヴォが仲介に入って一時は収まったが、コルッカから見たシモナの顔は酷く険しいものであった。
拠点へと歩いている途中、コルッカは質問した。何故銃を向けたのかと。
シモナは「後で話す」と言ったきり、マフラーに埋めた口を開くことは無かった。
ガルアットにも聞いてみたが、「それが僕にもサッパリで……ごめんね、シモナこうなると口聞いてくれないからさ」と申し訳なさそうに呟いた。
***
「それで、あの方はどなたなんですか? 姉さんと言っていましたが、もしかして……姉、ですか?」
拠点に戻り、部屋の中で少し落ち着いたコルッカはシモナに改めて問いかけてみる。
「カトリ・ヘイヘ」
「カトリさん……。やはり姉なんですね」
「あぁ。五つ上の、私の大嫌いな姉だよ」
「大嫌い、とは?」
「そうだな、どこから話すべきなのか──」
不意に、シモナは立ち上がり扉付近に向けてプーッコを構える。
コルッカは驚いた様子で一歩退き、扉に視線を向けた。
「シモ……おぅぇ!?」
部屋に顔を出しに来たカトリだった。唐突に飛んできたプーッコを反射的に避ける。
「何をしに来た」
「え、ちょっと顔出しに……って、待って待って!」
壁に突き刺さったプーッコを引き抜いてカトリに構えるシモナを見て思わず「俺が何をしたって言うのさ!?」と声を出すカトリ。
「何をしたか?」
ガッと足を真横に回し出しカトリを転ばせ、カトリの上に乗ったシモナは彼女の首にプーッコの刃を当てがう。
「わわっシモ、何を──」
「それはお前が一番分かってんだろうが!!!!」
今までに聞いたことの無い、テナーボイスの怒号が室内に響きわたり、ビクッとコルッカの身体は無造作に跳ねる。
ガルアットも驚いた様子でシモナを見ていた。こんなに怒った
「……お前、私が八歳の時、マリアに何をしたか覚えてるよな。言ってみろ、言えないならこの場で楽にしてやるよ」
「シモが八歳の時? あぁ、そんな事もあったっけ。その時は確か、俺が十三の時だよな?」
「あぁそうだ言ってみろよ、お前が姉貴に犯した罪を、その腹の立つ笑みを零した口で言ってみろよ!!」
八歳の、時?
コルッカやガルアットは、シモナの過去には一切触れておらず、何があったのかが全くもって分からない。
この状況も上手く把握出来ず、ただただ見つめることしか出来なかった。
「し、シモナさん、一旦落ち着いて! まずは何があったのかを私たちにも聞かせてください!!」
「シモナ、僕からもお願いするよ。……君の過去に、一体何があったの?」
友軍二人に言われ少し落ち着きを取り戻したシモナは不機嫌そうに舌打ちをし、カトリから離れる。
身体を起こして少し
その目はまだ険しい目だった。だがコルッカやガルアットには、その険しい目はどこか悲しそうな目にも思えた。
「……私が八歳の時だ」
静かに座ったシモナはやがて話し始めた。
自身が体験した『とあるトラウマ』を。
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