第25話 三つ
「シモナ……」
「……」
シモナは静かに銃を下ろした。
ただ、ルトアは下ろさずに、銃口を彼女に向けながら驚いた表情を浮かべている。
部屋越しに駆け回る音を聞きながら、シモナは質問をする。
「……どうして、ソ連の軍服を着ている」
ルトアは、ソ連の軍服を着ていた。
つまりは……
「……もう、
見間違いだとは思わなかった。
ルトアがソ連に張り付く道を選ぶのであれば、止めはしないと覚悟を持って来たのだから。
ルトアは何も言わず、すぐに戻った冷静な顔で、ただただ銃口をシモナに向けている。
その目は悲しげでも、怒りげでもない。
十四の時に、彼女がルトアを拾ったあの時動揺、『無』の感情を持ち合わせた静かな目だ。
「……そうか、そうなんだ」
捕虜として捕えられたルトアは、寝返ってソ連の軍に就いたのだ。彼にとって最善なのか否なのか、シモナには全くもって検討もつかなかった。
「……れ」
「……?」
「殺すなら、殺してくれ。俺はシモナを殺す気はない」
「なら、なぜ銃を構えている?」
ルトアの持つ銃が、少しばかり震える。
それがどういう意味を表しているのかは、シモナにはやはり分からない。
「……
「そうか……」
シモナはモシン・ナガン小銃を構えなかった。
代わりに、腰に備えていたプーッコを鞘から引き抜き、静かに呟く。
「三つ、ゆっくり数える。残って私に殺されるか、お前の着飾る軍服の
プーッコを構えながら、シモナは呟く。
とはいえ、正直に言って撤退して欲しかった。
味方兵をこれ以上死なせる訳にもいかない。かと言って、味方兵を撤退させれば、しつこいソ連兵は必ず追ってくる。
だから、情けをかけるのも一つの理由として、ここから撤退して欲しい。そう願っていた。
「一……」
シモナは、殺意などどこにもない普段通りの目をしている。
心配そうに見つめるガルアット、カチ、カチ、と鳴り響く時計の音。
写真に写るあの時はもう程遠くて、もう戻れないことを、シモナは感じていた。
「二……」
ルトアにとって、考えるには充分すぎる時間だった。
どちらにつくかなんて決まっているだろう、と言いたげだが、時間が経つのを待っているのか、その場から動こうとしない。
「三……」
「シモナ、一つ聞いておきたい」
ルトアは口を開く。
プーッコを持つシモナの手は揺るがない。
「なんだ?」
「今ここで俺を殺さなかったとして、今後お前は俺を殺すのか?」
「殺さない……いいや、殺せない」
即答だった。いくら
「……そうか」
やがてシモナに近づき、とある言葉を囁いた。
「……ありがとう、****」
「……!!」
シモナがハッと顔をあげた時には、もうルトアの姿は無かった。
あちこちで撤退の声が聞こえ、辺りはより一層静けさを増していく。
「……シモナ?」
無言で部屋を出るシモナと、フードローブのままシモナを見つめるガルアット。
その時彼女が何を思っていたのかはガルアットには分からず、ただただ見つめることしか出来なかった。
***
「
コルッカや他の味方兵は、ソ連兵が次々と退いて行く様子を見ていた。
あんなに応戦していたのにも関わらずあっさりと撤退して行く光景に違和感を持つも、シモナが帰隊したことによりその考えは打ち消された。
「シモナさん!!」
「……あぁ、コルッカか」
「おかえりなさい、ルトアさんは……」
「寝返った」
「寝返った……ということは、ソ連兵に……」
無言で頷くシモナを見て、コルッカは大体の事情を察した様子だった。
いつもの様に集まってくる仲間兵に、シモナは何も言わずに、ただ頷いている。
そんな景色を見て、コルッカは自ずと胸が痛くなった。
元の姿に戻ったガルアットも、シモナの顔色を伺うようにじっと見ていた。
***
「……シモナさん」
帰隊後、自室に戻ってきたコルッカはシモナに声をかける。
「……?」
「嫌なことを聞きますけど……どうしてルトアさんは寝返ったんですか?」
巻いていた黒いマフラーを解くシモナの手が止まる。
不味いことを聞いたか、とコルッカは自分を責めそうになった。
「あいつの選んだ道だ。それを私が止めなかった、それだけのことだ」
「……そう、ですか」
あんなに仲が良かったのに今更寝返るなど、コルッカには信じ難いことであった。
それこそ、家族のように接してきたシモナだからこそ、もしも反発することがあったとしても止めると思っていた。
だが……それはコルッカ自身が思う『シモナさん』であり、今いるシモナさんはコルッカの思うシモナさんとは違う人格を表しているのかもしれない。
「……悲しかったですか?」
「悲しくはなかった。だけど……なんなんだろうな……」
俯いた彼女の肩が震えていることが気にかかり、コルッカはシモナに歩み寄る。
「胸の奥で何かがつっかえて、どうしても取れないんだ……」
黒いマフラーを握って、大粒の涙をこぼして泣いていたのだ。
初めての涙姿に少しばかり驚くも、コルッカはシモナの肩に手を置いたあと、静かに抱き寄せた。
「なぁ、私はどうすれば良かったんだ? あの場で殺せば、全て解決したんじゃないのか……?」
「……」
「答えてよ……どうすればよかったの……」
頭を撫でながら抱き寄せたコルッカに包み込まれるように、シモナは顔を埋めて泣いていた。
ガルアットはそんな光景をただただ無言で見つめるしかなかった。
***
「……ありがとう」
布団の中、コルッカは目を開けて、シモナの背中を視界に入れる。
「いいんですよ。いくら軍人とはいえ、家族を失えば誰だって悲しいんですから。辛いんですから」
「……」
「だけど、私たちはそんな幸せを奪って、悲しく、辛い人を作り続けている。……祖国のためなのに、家族のためなのに、どうして悲しむ人が増えるのでしょうか」
「さぁな……分からない」
「逆に、シモナさんはどう思います?」
「愚問だな」
もぞ、とシモナの身体が少しばかり動く。
自分と身長はさほど変わらないため、足の位置も同じくらいなのだが、探っても無いということは身体を丸めているのだろう。
「……正直、私も思うさ。誰にも愛されず、ただ一人戦場に出て孤独に死んでいく……そんな人生を、最初私は望んでいた」
「……」
「だけど、ガルアットやラウトヤルヴィの狩猟仲間と知り合って、ツツリやコルトアの死を目撃して、少し変わった気がする」
窓から差し込む月の光は、明るくその姿を照らす。
「と、言うと?」
「生きていかなければって、そう思ったんだ。あいつらのためにも……寝返ったルトアのためにも」
「……やっぱり、死神なんかじゃないですよ、シモナさん」
眉を顰め、コルッカは笑う。
気のせいかは分からないが、シモナも笑っていたような気がした。
「……寒いです」
そっとシモナに触れる。
暖かい。このまま寝てしまいそうだ。
と、不意に柔らかな服の感覚がコルッカを包んだ。数秒して、自分がシモナには抱きつかれていることを知ったコルッカは驚いたが、抵抗もせずにそのまま
「触るだけなら、こうした方が暖かいんじゃないか?」
「確かにそうですね……暖かい……」
やがてうとうととし、コルッカはそのまま眠ってしまった。
ふっと息を零し、シモナは微笑んでいた。
コルッカにとって、母に抱かれているような感覚だろう。シモナの母は、シモナを抱いて寝ている時こういう気持ちだったのかと納得してしまう。
「守って……あげなきゃ」
深夜○時半。
そう言ってシモナは目を閉じた。
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