第24話 捕虜された味方兵の道
拠点に帰還した後、シモナの耳に届いたのは「ルトアが居ない」ということ。
最前線で向かった軍人が戻ってこないというのはよくあることだが、この時の場合はルトアのみが戻ってきていないという珍しいケースだ。
シモナもコルッカも、最初はそんなはずはと思い最前線の人数や安否を確認したのだが、やはりルトアだけ、安否が確認出来なかったのだ。
「居ないとはどういうことだ、突撃する前はいたんだろう?」
「いたんだよ。でもそれがいつの間にか居なくなっていてさ。探したんだけどいなくて……」
「それってもう捕虜としか考えられなくないですか?」
コルッカが不審に思い、そんなことを口走る。
「捕虜となったら、ソ連かドイツの二択だが?」
「確実にソ連だよな、私でも分かる」
「最近、ソ
「は? それだったら私を捕虜にすると思うんだが……?」
待てよ……とシモナは言葉を繋げる。
「捕虜としてルトアを捕らえたということは、私以外にも目的があるんじゃないか?」
「どういうことですか?」
「さっきも言ったが、捕虜として捕らえるなら私を対象にするはずだ。だけど私を捕らえないとすると」
「罠?」
「そういうことだ」
人質を取って誘き寄せようとしていると考えれば妥当だろうか。
そうなったら厄介だ、とシモナは悪態をつかれたように軽く目を細める。
今まで捕虜として捕えられたフィンランド兵は、誰一人として帰ってこなかったことを、シモナも他の味方兵も知っている。
殺される、もしくは殺されている可能性が高いのだ。そのようになれば、こちらは
「……いい方法がある」
と、ユーティライネンは一言口に出す。
シモナやコルッカ、他の味方兵が振り向くと同時、ユーティライネンはこんなことを話し始める。
「シモナ、お前は仲間を信じるか?」
唐突に放たれたその言葉。
『仲間』。それは恐らく、ここに残っているフィンランド兵やコルッカ、今は亡きコルトアやツツリ、捕虜として捕えられているであろうルトアのことを言っているのだろう。
「信じます。仲間は、戦死以上の信頼を持っていますから」
「……そうか。なら、シモナ自身が乗り込むというのはどうだ?」
ざわっ、と辺りがどよめく。
ガルアット、コルッカは驚いた様子でユーティライネンを見る。
シモナはと言うと、少し考えている様子が伺える。
「シモナさん、まさか乗り込む気ですか!?」
「やめた方がいいって。罠って確信が持てるなら、さながら危険だよ」
その意識は、そうシモナに声をあげたコルッカやガルアットではなく、ユーティライネンや他の味方兵でもなく。
『…………ザ……ザッ、ザザッ……』
耳に付けている無線の音に向いていた。
それは段々と通信が回復していき、やがて複数の話し声や駆け寄る音など様々な音が聞こえる。
シモナは無線を耳から外して、木製のテーブルに置く。
ただただ雑音ばかりが聞こえる無線は、シモナにとってとある信号のような役割を催していた。
『ザ、ザ、ザ、ザーッ、ザーッ、ザーッ、ザ、ザ、ザ』
「……なんですか、この音?」
「モールス信号」
「もーるす……?」
「あぁ。前世で日本の旧陸軍について調べていたことがあってな。前世の父が通信兵の友達を持っていたから、気になって学んでいたんだよ」
本来、モールス信号は軍の民や通信兵が、遠い位置にいる味方兵に送る暗号のようなものだと、シモナは前世の父に習っていた。
前世の父……つまり、『心寿』の父は陸上自衛隊だった。階級が曹官のためモールス信号に触れる機会が多かった心寿の父は、度々心寿にモールス信号を教えていたそう。
「まさかこんな所で役に立つとはなぁ……」
「それで、なんて言ってるんですか?」
「ト連送で『SOS』。多分これはルトアだな」
「そんなことが分かるのかよ!?」
「すごいなシモ!!」
「騒ぐな、聞こえにくい」
どよめきが走る拠点内で、唯一シモナだけが冷静な対応を取っていた。
風の音は聞こえない。建物の中に幽閉されていることだけは確認出来る。
モールス信号を送り続けているルトアは、陸軍に入ったら通信兵になりたいと言っていた時期があった。
時が経つにつれて最前線に選ばれたのは他でもないが。
「……『敵兵、向かう、そちらへ。戦闘準備、迎え撃て』そう言っている」
「なんて罪悪な!!」
恐らく、無線を外して息を吹きかけているのだろう。近くからは人の声が聞こえ、シモナにはよく分からない『ロシア語』を話している。
「……中尉」
「おう?」
「私が最前線で行きます。中尉と他の部隊は、防衛線で援護をお願い出来ますか」
「正気かよシモナ!!」
「突っ込むのか!?」
「一か八かか……」
「一か八か、じゃない。私は正気で言っているんだ」
シモナの頭の中には、心寿の父の声が響いている。
『いいか心寿、外国人兵は最前線に選ばれることが多い。最前線に選ばれない外国人兵は、捕虜の射殺を担当することが多いんだ』
もしこのことが本当ならば、自分が捕虜として捕まれば、運良く会えるかもしれないと思っていたのだ。
「中尉、もし私が死んでも知らないですからね。この作戦を思いついたのは、紛れもないあなたなんですから」
苦笑いで呟いたシモナを見て、「ふん、その覚悟を持ち合わせた上で突撃するのだろう? ならば我々はそれに従うのみだ」と楽しげに返すユーティライネン。
「さぁ! 捕虜のため、祖国のため、我々は死ぬために突撃すると思え!! 楽しい楽しい
言葉にならない歓声が辺り一層に響く。
相変わらず慣れないのか身を縮めるコルッカ、やれやれと溜息をつくガルアット。
その中で、やはり一人、シモナは静かにマンネルハイム線を見つめていた。
***
「作戦はさっき伝えた通り。もし私が捕まっても文句言うなよ」
「分かってらぁ。援護は任せろ、シモナも気をつけろよ」
「あぁ」
心配そうにシモナを見つめるコルッカを横目で見たあと、シモナは立ち上がり銃を背負い直す。
「気をつけて下さいね」
「……うん」
バッと積もる雪の上に立ち、鼻元から下をマフラーへ深く埋めた。
すぐ向こうに見える
「ガルアット、一つ聞いておきたい」
「うん?」
「銃にはなれるな?」
「もちろん」
「よし、充分だ」
シモナの持つ銃は、シモナが羽織るフードローブに隠れて、深くまで被るフードから見え隠れする。
隠すなら白に染めればいいのに、なんて思うガルアットをよそに、シモナは銃を背負い直し、静かに呟いた。
「……さぁ、最前線に向かおう、カワウ中隊諸君」
***
ソ連領域。
「さみぃ……」
拠点近くで寒さを紛らわすために焚き火をしていたソ連兵の一人が、妙な足音に気づき口元に人差し指を持ってくる。
ここの近くは木々が鬱蒼としていて、見つけようにも見つけられないはずだ。
「どうした?」
「……誰か来る、構えておけ」
「気の所為じゃないすか? ここらへんは見つけにくいって中将が──」
トスンッ。
妙な音を立てながら、ソ連兵の身体は横に傾く。
「ス、スナイ──」
言い終わるか否か、頭を撃ち抜かれ雪に凭れ倒れるソ連兵。
一斉に構えた先には白樺が覆うのみで、他には何も居ない。
ソ連兵にとって、この白樺こそどこから撃たれているか分からないため恐怖に近い感覚を覚えるのだ。
「ヒィッ!! 撃たれ────」
次々と撃たれていくソ連兵を、近くのソ連兵は半泣きで見ているしかなかった。
「……邪魔だな」
シモナは白樺の木の上から銃を構えて呟く。
当たり前だが、中に入る時はまず前にいる監視兵をどうにかしなければならない。
この調子なら早く終わるか、とシモナもガルアットも思っていた。
「次、右奥に一人」
「よし。そいつを仕留めたら向かうか」
「シモナ兵長! アイツらの相手は私らがしておきます、あなたは中へ行ってください!!」
突然、真下にいるコルッカがそう言い放ったのだ。
最前線であるシモナが今抜けてしまったら、防衛線は崩れるか全滅してしまうかの二択だ。
「しかし……」
「いいから行ってください!! ルトアさんが待っています!!」
言いかけたシモナの言葉を遮って、コルッカは銃を構えてまた撃ち始めた。
「左の方に裏口らしき入口を見つけたんです。もしかしたらそこから入れるかもしれません」
「本当か?」
「行くのでしたらそこしかありません。正面はどのみち
左を見る。
確かに入口らしき扉が見える。その扉から人は出入りしておらず、完全にがら空き状態だ。
「……非常口か」
白樺の木から飛び降りながら銃を構える。
ソ連兵の一人が見たのは、下に落ちながら銃を構える、あの『死神』の姿だった。
ヘッドショットを決めながら地に降り立ち、コルッカに小さくお礼を言ったあと素早く移動して入口付近まで来る。
乗っていた白樺はそう高くないし、耐性も脆い。が、フィンランド兵にとって最適な木なのだ。
木に擬態でき、木の上に登り、狙撃する。
白樺がある所で基本的にシモナが行っているのは、その狙撃法だった。
「ふっ……!!」
息を吐きながらソ連兵の拠点を見つめる。
ソ連の拠点は、今防衛隊がいる位置から二メートルほど下に位置する。
つまりはクレーターのようなところにあるのだ。白樺やほかの木が生い茂り見つかりにくいし、安全である。
しかし、そんな安全なところに位置するからこそ危険なこともあり、今のような襲撃に逢いやすいというのもデメリットの一つであった。
「シモナ、飛び降りれる?」
「もちろん」
臆することなく飛び降りて、受け身を取る。
「ひぃっ、し、死神……」
真正面に待ち構えていたソ連兵は、腰に構えていたプーッコで首の大動脈を切り裂き気絶させた。
「止まれ!」
ロシア語でそう言われ、シモナは大人しく止まる。ロシア語が分かるガルアットのおかげだ。止まる直前、ガルアットは彼女に「止まってって言ってるよ」と小声でサポートをしていた。
銃を持っていない代わりに、鋭そうな刃物を持っている。近接戦担当の兵士だろうか。
それならと、シモナは銃剣がついたモシン・ナガンを構える。
近接戦闘はあまり好きではない。いざとなればプーッコもあるし、大丈夫だとは思うが……なんて思いながら、相手の攻撃を待った。
「うらぁっ!!」
ソ連兵が声を上げると同時、走ってこちらに近づいて来る。
シモナの横腹付近を狙って刃物を横振りしようとした矢先、シモナの銃剣によってそれは防がれる。
「うーん、楽しくないな」
「楽しくないの?」
退く暇も与えずに、シモナは頭に向かって蹴りを繰り出す。
スカートなのによくやれるよねと、ガルアットの引き気味な声がシモナの耳にはしっかりと聞こえていた。
蹴りをもろに食らい近くの雪に紛れたソ連兵は再び立ち上がり、シモナに襲いかかる。
「学習しないな。ロボットか?」
そう呟きながら繰り出してきた刃物を持つ左手を掴み、右側に捻ってソ連兵の身体ごと仰向けに投げ倒した。
同時に手に持った刃物を見る。
銃剣よりかは余程鋭い。それを心臓付近に突き刺すと、立ち上がって扉の方へと向かっていった。
右頬に銃弾が掠る。赤い鮮血が、シモナの頬から少々出た。
同時に複数の銃撃がほとばしる。扉を盾にして全て受けきり、モシン・ナガン小銃で全て撃ち殺した。
「惨殺……この言葉がまさに
思わずボソリと呟いたガルアットに「お前は古代人か?」とツッコミを入れながら中へと入る。
木製の小さな小屋であった。死体のおかげか
そんな中で、一つの部屋からモシン・ナガン小銃に使える弾を見つけ、リロードをして弾を入れる。
「……ごめんなさい、使わせていただきます」
そう静かに言い放ち、辺りを見渡す。
外を除き、案外静かだ。ソ連兵の殆どが外へ出てしまったからだろう。
窓から見えるソ連兵はまたもや集束爆弾を投下しようとしている。
「させるかよ」
「やるの?」
「落とせればいいんだが」
窓を開けて撃ったその弾は見事集束爆弾に命中し、爆撃がソ連兵を襲う。
「うーん嫌な花火だ」
「焚き火じゃなくて?」
「
ふと、テーブルに置かれた一枚の写真を見つける。
その写真を、シモナは思わず二度見してしまった。彼女にとってそれは、見覚えのある写真だったのだから。
ギリスーツに身を包んだ複数人の子供達が写っている集合写真。
中央には紛れもない、シモナとガルアットが写っている写真だ。
裏には『一九二四年十月三日』と、綺麗なフィンランド語で書かれている。
あの時、ツツリとコルトアの部屋にも飾ってある写真たてに入っていたものと、全く同じものであった。
「……じゃあ、ここは……」
ルトアの部屋?
そう答えを導き出すや否や、部屋の外から物音が聞こえる。
モシン・ナガンに手を当てながら、物陰に隠れてやり過ごす。
ガチャッ。
その時、シモナのいる部屋の扉が開かれた。
モシン・ナガン小銃を構え、前に向けて出したと同時に、相手もモシン・ナガン小銃を構える。
「……!!」
構えた相手に驚いた。
何故なら、その相手は、
「……シモナ……?」
捕虜として捕まっていた『ルトア』本人だったのだから。
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