第23話 生きる権利

「ほら起きんか……」

「ふええ、すみません……」

 朝六時半。

 シモナに起こされ、コルッカは素早く身を起こす。

 真っ白な戦闘服に身を包んだシモナは窓の景色を見る。

 昨日に引き続き吹雪いている。これだけ視界が悪いと、狙撃にも支障が出そうだ、なんて考えながら髪をまとめる。

「あ、縛りますよ?」

「子供じゃないんだから……自分でできる」

「いや私が縛りたいんですよ」

「なるほど、任せた」

 櫛とリボンを渡し、シモナは再び後ろを向く。あっさり渡してくれた……と思いながらも、コルッカはシモナの髪を纏め始めた。

 部屋の外からは慌ただしく懸ける音が聞こえる。恐らく最前線に出る見回り兵だろう。

 敵兵リュッシャがいつ襲ってくるか分からないこの状況で、自分らだけ遅く準備していてもいいのかと不安にも思う。

「髪の毛、どうしてこんなに長いんですか? 伸ばしてるのでしたら申し訳ないですが……」

「……別に、切るタイミングを失っただけだ。切れるなら切りたいな」

「切ったシモナさんもきっと可愛いですよ。私が保証しますっ」

「そこまで保証されたらしょうがないが、切ったら切ったで縛れなくなってしまう。そこが悩み所だな」

「あっ確かに……」

 もぞもぞ、と布団が動く。

 長い二本の角を生やした生物……ガルアットが起きてきたのだ。

 コルッカ自身、彼については何も思わなかった。

 自分の命を助けてくれた、シモナと同じ『命の恩人』なのだ。今更どうとも思わないと、自己紹介の時にはっきり意思を示した。

 安心している様子を見ていると、あまり世間に姿を見せてこなかったのかな? なんて、コルッカは思っていた。

「おはよう、顔洗わなくていいのか?」

「おはよう、洗うし……」

「おはようございます、ガルアットさん」

 寝起きの悪いガルアットは「おはよ~……」なんてコルッカに対して返答をし、のそのそと布団から抜け出して洗面所の方へと向かう。

「シモナさん、ガルアットさんってどうやって顔洗ってるんですか?」

 リボンを縛りながら質問したコルッカに対し「さぁ? 私にも分からん」と首を傾げたシモナ。

「分からないんですか!?」

「見てないもん……」

「えへへー、秘密ー」

 女子のような笑みを浮かべたガルアットはふふふと笑い、洗面所の中へと歩いていった。

 謎の生物。それでいて、言語を理解出来るだなんて面白い人外だ、とコルッカは不思議と感じてしまう。

「あいつ、なんの生物だと思う?」

「麒麟ですかね」

「実はよく分からないんだよ……」

「なんですかそれ。はい、終わりましたよ」

「ん、ありがとう」

 立ち上がり、シモナは前髪を軽く整えて呟く。

 吹雪はより一層強くなっており、辺り一面は真っ白な景色だ。軸もぶれ、軌道が揺らめくだろう。

 さながら気をつけなければとコルッカと話していると、部屋にルトアがやって来て「おう、もうすぐ行くぞ」と声を掛けてくれた。

「分かった。ガルアット、準備は?」

「いいよー!」

「私も大丈夫です!」

 フードローブを羽織りながらコルッカも準備万端のようだ。

 ガルアットはシモナのフードローブに変化し、マフラーを巻きながら「……行くか」と、珍しく微笑みながらシモナは呟いた。


 ***


「撃てーッ!!!!」

 午後正午過ぎの戦中、ユーティライネン中尉の指示の下、狙撃兵として抜擢ばってきされたシモナ、コルッカ、ガルアットら他軍兵は後方で狙撃の支援をする。

 既に最前線として出ているルトアは、サブマシンガンを持って敵兵リュッシャを食い止めている。

 友軍が死なないようにと、シモナはただ願うばかり。

「死ぬのが怖くないとは、中々ですね」

「戦場は人を選ばない。選ぶ余裕もなく、ただ人を狩る虎のように突撃するだけだ」

 一人敵兵リュッシャを撃ち殺し、リロードをしながらシモナは静かに呟く。

「……」

「祖国のため、家族のため、領地のため……理由は様々だ。私達はその命を、未来を奪いながら生きている。それを忘れるな」

「……はいっ」

「次、コルッカ。左前方、木の影に一人」

「はい!」

 モシン・ナガン小銃を構え、コルッカは狙いを定める。

 木の影にいるのは観測兵だ。双眼鏡越しにこちらの状況を伺っている。

 コルッカがまさに撃とうとした寸前。

 コルッカは見ていた。観測兵が、最前線のいる方面に何か合図を送っている光景を。

「……?」

 撃つ前によく見てみた。

 手を胸に置いて、左から右へゆっくり移動させる。

 左手の親指を立て、右手はピストルのような形を表し、左手の親指へ撃つように上から下へ振り下ろした。

 そして。

 ───狙撃兵、つまりコルッカ達の方を指さしたのだ。

「……! シモナさん、移動をした方がいいと思います」

「え、ど、どうした……?」

「狙撃兵を狙う敵兵リュッシャがどこかにいると思います! 観測兵が手話をしているんです!」

「何?」

 双眼鏡を取り出し、観測兵の方面を見る。

「「大丈夫、撃て、問題ない」……本当だ。移動する……ん?」

『移動するか』と言いかけるシモナの言葉が疑問に変わった。

 雪の塀に弾丸が飛び交う中、「……あ」と何かに気づいたシモナはコルッカに銃を構えるように合図を送った。

「右後方、三百メートルあたりに人が居ないか?」

「右後方……? ……あ、いました! 敵兵リュッシャ、しかも複数人! 何か重そうな大きいものを持っています!!」

「それだ。すぐ側に落ちる。撃てるな?」

「はい!」

 狙いを定める。

 スコープがない上、吹雪の中であり視界が悪い。

 だが、撃たなければならない。

 シモナの手が、モシン・ナガン小銃を持つ震えるコルッカの手に重なる。

「スコープはめの延長線だ。その手助けがない今、天候を有意義に使え。吹雪の時は軌道がズレることが多い故に、少し外すくらいが丁度いい」

「なるほど……では、ここら辺ですね」

 右側の敵兵リュッシャより、少し左に標準を合わせるコルッカ。

「大した奴だ。正解、そのまま撃て」

「はい!」

 カチン、と引き金を引く。

 弾丸はそのまま銃口から発射され、丁度ソ連兵の服あたりを掠める……。

 ……と、その前に強い風が吹き付ける。

 風に煽られフードローブを軽く抑えている間に、大きな爆発が吹雪の中から目立って聞こえた。

 強風に煽られた弾丸の軌道がずれ、そのままソ連兵の持つ集束爆弾に被弾したのだ。

「わお」

「汚い花火だなぁ」

「ほんとだよね……」

 あの観測兵が指示をしていたのはソ連兵の狙撃部隊ではなく、その狙撃兵の更に後方として配属されている部隊だったのだ。

「集束爆弾なんて撃たれたら、それこそ拠点ここが終わりますもんね」

 苦笑いで言ったコルッカを見て、「……確かに、そうだな。お手柄だ、コルッカ」と頭に手を置くシモナ。

「よし、次は家を破壊だ。こんな吹雪で建物無しだったら凍死もありうるからな」

「確か敵兵リュッシャって、キルギスとかタジクとか、雪ってなんですかっていう人達が配属されていると聞いたことがあります」

 銃を構えて撃ちながら、コルッカは思い出したかのように口に出す。

「そうだ。詳しいな」

「ソ連の領地にいた民ですから、これくらい知っておかないと!」

「物知りは人を壊すこともあるから気をつけろよ。私は歴史や世界史に詳しいが、知りすぎた故に少し違和感を感じている」

 最前線のソ連兵を撃ち殺しながら、シモナは不機嫌そうに返した。

 疑問に思ったコルッカが「どうして?」と質問する。

 リロードをして空薬莢を外に排出したシモナはまた構えだし、低い声で呟いた。

「あまりにも残酷、悲惨、恐怖の三連発だからだ。私が想像していた戦争とは、全く持って違う。私のようなには、国のために天寿を全うする兵隊の気持ちが分からなかった」

 シモナは弾数を確認する。

 つられてコルッカも確認すると、残りはあと三発程しかない。


「……三発ですね」

「四発」

「一体どうしたらそんなに弾数が余るんですか?」

「二人一気に殺れるなら、その方が得だろうに。一人一人を狙おうとするんじゃない、一発で二人、いや三人を狙うイメージだ」

「三人……三発で九人か……」

 コルッカは唐突に思い出した。

 自身がケワタガモ猟でしていた『最前の殺し方』を。

「……ケワタガモと同じじゃん」

「おぉ、狩猟民がまた増えた」

 近くのソ連兵へ照準を定める。

 ケワタガモだと思い、その頭が重なった瞬間……引き金を引く。

 モシン・ナガンに使う弾は意外と上部で、案の定二人……いや、三人の頭部を貫いた。

「やるな、それが最善だ。俺もよくやっていた」

「えへへ……それよりも、またってことはシモナさんも?」

「あぁ、ケワタガモを十八年な」

 と、空に何かが放たれる。

 どうやら集束爆弾のようだ。

「ひぃっ、シモォォォ!」

 味方の一人が情けない声を上げて伏せる。

「伏せるな、狙撃しろ! 死にたいのかお前は!」

「この状態で狙撃ですか!? いくらなんでも……!」

「あぁ出来るさ、やれるとも」

「ひぃえ、死んでしまう……!」


 降りかかる数百メートル上空前。

『シモナ』は爆弾に向けて銃を構える。

「ガルアットさん、まだですか?」

「まだだね」

 フードローブに変化したガルアットは当たり前と言わんばかりに呟く。


 三百メートル。

 コルッカはゾワッと身の毛がよだつ感覚を覚えた。

『シモ・ヘイヘ』は殺意に溢れた目で、真上から落ちてくる集束爆弾に銃を構えている。


 百メートル。

 その『死神』は弾丸を放つ。

 右から吹き付けてくる吹雪をよそに、「走れ!」とコルッカの手を掴んで二人に言い放つ。

「はっはい!」

「ひいい!」

 二人が怯えた声を出した直後、上空から破片が落ちてくる……ことはなく、全て左側に流されていく。

 三人は吹雪に逆らう方向、つまり右側に逃げたのだ。吹雪の方向を利用して、破片を逆側に流していくという変わった方法だった。

「づっ……!」

 敵兵リュッシャの流れ弾が足に被弾して、コルッカはその場ですっ転ぶ。

「大丈夫か?」

「いつつ……だ、大丈夫です、まだ……」

「無理するな、背負ってやるから」

 コルッカを背負って、シモナは走り出す。

「……置いて、行ってください」

 彼女の口から何度も発せられる言葉に、シモナは少しだけ不快感を覚えていた。

 それは彼女にとって、一番のトラウマの言葉でもあったから。

「置いていってください以外言えないのか、お前は」

「言えません……お荷物ですから───」

「そんなこと言ったら私もお荷物だろうが。いいから黙って背負われてろ、いいな!!」

 その言葉に、大人しく背負われているコルッカ。

「そんなに言うなんて珍しい……。座右の銘とかありそうですね……何かあるんですか?」と背負われながら口にした。

「死にたくないなら生きていろ! それが日本の『生きる権利』だ!」

「に、日本……!? ここフィンランドですよ!?」

 味方兵の一人がそう叫ぶも、シモナは気にしなかった。

「さすがシモナさんですね」

「……よせ、褒め言葉は終わってからにしろ」

 少しだけ照れている様子が伺える。

 意外と可愛いところもあるんだなぁと、コルッカは自然と思ってしまった。

「シモナ! さっきの花火はお前か!?」

「あぁ、汚ったない花火だったな。夏至祭ユハンヌスの焚き火よりも汚い」

「毒舌、実に毒舌」

「なんだよ……」

 ソ連兵が退散していく様子が見られる。

 今日はここまでのようだ。コルッカを下ろし、シモナはついでにとソ連兵の休息用の建物を銃で一つ破壊する。

 それに便乗するかのように次々と銃を構えて狙撃するそれはまるで『奇襲』のように思えた。

「ふふっ……」

「コルッカもなんだよ!?」

 笑い声が辺りを包み込む。

 ユーティライネンが駆け寄ってきて「なんだなんだ! 俺も混ぜろぉ!」と会話に混ざってくる。

「中尉、こういうのは拠点に戻ってからにしましょうよ」

「おっと、それもそうだな! よし、戻るぞ野郎どもぉ!!」

 今度はけたたましい雄叫びが包み込んだ。

 歩き出す味方兵に続き、コルッカは銃を背負い直して、足を引きずりながらも慌ててあとを追う。

「……コルッカ」

 ガルアットが元の姿に戻っている最中、不意にコルッカに肩を貸しているシモナから声をかけられる。

「なんですか?」とシモナの顔をのぞき込むコルッカの視界には、気温のせいか、はたまたそれ以外のせいか分からないが頬が赤くなっている彼女の顔が映っている。

「……その、ありがとう。助かった」

「……へ」

 変な声を上げたコルッカは、シモナのその顔が照れ隠しの赤らめだと確信出来たのに、そう時間はかからなかった。

「コルッカがいなかったら、観測兵の思惑通りだったかもしれないから。……頬怪我してるし、帰ったら治そう」

「……はいっ」

 マフラーに口元を埋め、白銀の息を吐いたその死神は、死神らしく、初めてガルアット以外の人前ではにかんで笑った。

「珍しいね、シモナが人に笑いかけるだなんて」

「よせガルアット、私に笑顔なんて似合わないさ」

「そうですか? 今笑ったシモナさん、可愛かったですよ?」

「んなっ……!?」

 珍しく驚いた顔をしているシモナを見て、コルッカとガルアットは今現在、恐らく同じことを思っているのだろう。

 このスナイパー、唐突の褒めや出来事に弱いんだな……。

 心の中で意思疎通したのか、ガルアットとコルッカは顔を見合わせてクスクスと笑ってしまった。

 その光景を見て、困惑した表情を浮かべて見ていたシモナに「なんでもありませんよっ。さ、拠点に戻りましょう!」とシモナの手を引っ張り、拠点に向かって走るコルッカ。

「……っ」

 手を引っ張られ、走っている衝撃でマフラーが下にずり落ちたシモナの表情は、やはり笑っていた。

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