第20話 配属
「……そういえば、今日はユーティライネン中尉と……あと一人、配属されるんだったよな」
ツツリの死からわずか一ヶ月後、十二月二十四日。
戦場の最中、張り込みの為に木に登っていたシモナがポツリ呟く。
そういえば、配属されるのは今日の夜だったっけか。シモナ自身は会いたくないからと一日中張り込みをしてソ連の様子を伺うことにしたのだ。
とは言えど、もう夜時なのにも関わらず一向に動かないソ連の連中。朝から張り込みする必要なかったんじゃ? とまで思っている僕だけども、何されるか分からなくてたまったもんじゃないから言うのはやめることにした。
降り積もった雪は辺りを白銀に染め、空は灰色に包まれている。森の中も鬱蒼としていて、音があるといえば、すぐ近くで銃撃戦がやっているという事だけだろうか。
「……シモナ、本当に会わなくて良かったの?」
木色のフードローブに擬態した僕が日本語で問いかけてみると、シモナは当たり前だと言わんばかりに「会う必要はない。会うなら戦場でだ」と、同じく日本語で吐き捨てる。
ツツリやコルトアの死から、シモナは少しだけ変わったように思える。それは明るい方じゃなくて、むしろ暗い方向に。
また昔のように、一人の殻に篭ってきている気がする。気がするだけかもしれないんだろうけど、周りから見れば孤独に狙撃するスナイパーに見えてしまうかもしれない。
「……って、何食べてるのそれ」
ふと、シモナが食べているものが気になった。
「Salmiakki」と書かれた赤いパッケージ箱を左手に持っている。その中から出てくる黒いダイヤ状のものの事だった。
サル……何これ?
「サルミアッキ」
「サルミアッキ?」
「人によっては美味しくないと感じるかもなぁ……」
「そんなに美味しくないの?」
「食べてみるか?」
一瞬変化を解いた隙に、一粒口に放り込まれる。
味といえば、例えるならゴム……かも。
「クソ不味い」
「だろうね」
「ちょっと待ってシモナ、これ食べてるの? この世のものとは思えない味をしてるんだけどこのキャンディさん」
「私の故郷関わらず、フィンランドならサルミアッキはみんな食べてるぞ」
北欧地域では伝統的に食べられているサルミアッキだが、味は本格的にゴムの味をしている。
「塩化アンモニウム」「リコリス」とフィンランド語で書かれているのが目につき、化学物質混ぜてるのかよ! と心の中で突っ込んでしまった。
そりゃあ一般人が食べたら美味しくないよな、納得。
「えぇ……ルトアに聞いてみよう……」
「あ、ルトアならお前と考えてること同じだぞ」
「は? どういうこと、それ」
「ルトアは異国民だからな」
「え? ってことは、フィンランド人じゃないの?」
「ルトアどころか、コルトアもツツリも違うぞ?」
また一つ、サルミアッキを取り出して口に放り込みながらシモナは当たり前だと言わんばかりの発言をした。
驚いた。彼らの名前がフィンランド語で何を示すか分からないことは分かっていたが、そもそも異国民だったとは知りもしなかったのだ。
なんだ、教えてくれれば良かったのに。
聞くところによると、ルトアは不明だが異国民の血が通っている。
ツツリはアルメニア人、コルトアはイギリス人なんだとか。
皆違う出身地なのね……。なんて思いながら、僕は
「
「今はいないな。まだ動きもない」
「じゃあ、今は安全なんだね」
「まぁ、そう言えるな」
いつになっても、この人は冷静な人だ。
撃つ時も、褒められた時も、皆がシモナを囲んで成果を喜んでいる時も、シモナは「ありがとう」や「うん」としか言わない。
怒号を挙げて戦争に加担するものが殆どなこのフィンランド軍の中で、彼女だけが静かに、冷酷に、且つ残酷に人を殺している。
そこだけがどうしても、僕は疑問を持ってしまうのだ。
「……ねぇ、シモナ」
「ん?」
「シモナはさ、今幸せ?」
そんなことを質問してみた。シモナは首をかしげ、『どういうことだ?』と言わんばかりの表情を浮かべている。
「ほら、今僕らは戦場に赴いているわけでしょ? そんな中で、シモナは人生が幸せなのかなぁって、凄い疑問に持っちゃって」
「幸せ、か……」
物憂げにシモナは復唱する。その視線の先には、かつて
少し薄汚れた茶色の木製の小銃。スコープはついていない。
シモナが、スコープを付けることを拒むのだ。狩猟時代にスコープの反射で位置が気づかれてしまい、獲物に逃げられた経験があったからだ。
「……幸せとは、言えないかな」
それほど大きな声でもないのに、雪が積もるこの空間に、彼女の声が響いたような感覚を覚えた。
「どうして?」と僕が聞くと、シモナは少し考えて、やがてこう口にした。
「他人の命、その家族の幸せを奪っているからだ。祖国のために、人の死はお互い様……とはよく言うものの、俺はあまりそうは思わないな」
「つまり、
「言い換えればそう言うことだ。生きるためとはいえ、やっぱり胸糞悪いしな。狩猟も同じだ」
相変わらず堅苦しいなぁ。
でも、シモナの言い分は不思議と納得出来る。狩猟に何度か連れて行って貰ったが、殺した獲物には死体のそばで必ず手を合わせていたのだ。
僕達の生きる原料は動物にある。ヘラジカでも、ケワタガモでも。
「ん、動いたかな」
銃を構えてシモナは呟く。
僕も一緒になって見てみると、軍服を着たソ連兵がなにやら準備をしているのが目に見えた。
一キロ先で聞こえる声はあまりにもざわざわしすぎて、何を言っているのか分からない。ロシア語なのは確かだが、それ以前に数が多すぎる。三十はいるだろうか。
「……なにか言っているか?」
「うーん、人数が多すぎて何言ってるか分からない」
ふと一つだけ有力な声が聞こえた。
『火薬庫』と。
しかし一体どれが火薬庫? 僕には分からないのだけれども……。
「……シモナ、火薬庫ってどれだか分かる?」
「急に何を言い出すのかと思えば……」
「いやほら、火薬庫を撃って爆発させたらさ、楽なんじゃないかと思ってね」
「冴えてるな。でもそれはあとだ」
ジャコン、とリロードをして呟いた彼女の片手には、リロードで出てきた空薬莢が握られている。
「な、何するの……?」
ピン、と甲高い音が響く。
それは
『……?』
空薬莢に気づいた
「かかったな」
それを見て素早く狙撃。叫んだ
「さて、叫んでいる声の中でガルアット君に問題です」
「いきなり何か始まった」
「一番頭の高い総司令官はだーれだ」
総司令官?
……見たところ、そのような人物はいない。全員が全員という訳ではないが、通常の軍服を着て、角々した帽子を被っているのだから。
「いない」
「正解。じゃあもう一問」
間髪入れずに狙撃をしながら、シモナは出題をやめない。
こういう幼さが残っているって、僕はいいと思うんだ。
「総司令官がいない今、彼らは何を行おうとしているのだろう?」
「え?」
「最高責任者が目に見える所にいないとなると、だ。逆に、目に見えない所にいたとしたら?」
「え? あぁ、そう言う事ね……」
察してしまった。シモナは今からとんでもないことをしようとしている。
だってその銃口は……。
「火薬庫ね」
火薬庫らしき建物に向いているのだから。
「正解。お礼に花火を見せてやろう」
入口に綺麗に吸い込まれた弾丸はカコン、と軽い音がし、すぐに大きな爆発へと姿を変えていった。
あ、花火だ。
『ひいいい! 少将がぁぁぁ!!』なんて情けない声をあげた
時刻は深夜を回っていた。
無線に『こちらマンネルヘイム、シモナ応答願う、どうぞ』とフィンランド語で通信が入ってきた。
「はい、なにか。どうぞ」
『ユーティライネン達が到着した。戦中であれば撤退してこい。どうぞ』
「既に仕留めていますが……その、私自身あまり会いたくないのですが」
『そんな堅苦しいことを言うなって! それにもう一人の方はシモナの部屋で共同だぞ? どうぞ』
「聞かされてないのですがそれは? どうぞ」
『言ってないもん?』
「…………」
『まぁとりあえず、早く帰ってこい。命令だ、いいな?』
「あーもう、分かりましたよ……」
『よろしい。拠点で待っているぞ』
「はいはい……」
無線を切ると同時に深いため息をついたシモナを見る。
物凄く嫌そうな顔をしている。会いたくないっていう気持ちがまんま読み取れる。
「……行くか」
そう呟いて気から飛び降り、深い雪に足を突っ込む。
銃を持ち直して歩き始め、後ろに小さな足跡を点々と残していく。
目立つのも嫌なので、僕はいつもの純白フードローブに色を変え、シモナにくっついた。
そして帰隊した拠点にいたのは「おう! 久しぶりだなシモ!!」と声をあげる『アールネ・エドヴァルド・ユーティライネン中尉』。
「……はい、お久しぶりです、中尉」
微笑みを零しながら握手を交わすシモナ。
シモナと中尉は、シモナと僕が軍に入った時に一度だけ会っている。というか、面識がある。
あれ? もう一人は?
そう思った矢先、シモナに向かって走ってくる一つの影が目に見えた。
「……は?」
突如シモナに抱きついてきた女の子。
この少女こそが、言っていた『もう一人の人物』だと中尉は言う。
でもそれはあまりにも小さな身体だ。シモナより体格は小さいが、身長差はさほど変わらずシモナの方が大きいだろう。
「んん~お久しぶりですっ!」
「……あの、待って、とにかくさ、あの離れて」
「あ、すみません! つい嬉しくて!!」
高いソプラノボイスだ。パッと離れたその少女はシモナの目を見て、やがてこう呟いた。
「改めて初めまして! 『スロ・オンニ・コルッカ』です!!」
NEXT……第三章『冬戦争』
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