第19話 追い討ち

「……眠れない」

 ぱっちりと目が覚めてしまった。こうなってしまっては、僕はしばらく眠れない。外に出て見回りしてもいいけど、敵襲にあったらかえって迷惑になるしなぁ。

「……少しだけ、中の見回りをしようかな?」

 シモナを起こさないようにそぉ〜っと起き上がり、扉をそぉ〜っと開けて廊下へ出る。

 僕の蹄の音は結構目立つ。だから、慎重に歩かなくちゃいけないんだけど……どうやらそうすることは出来ないみたい。パカ、パカ、と小さな音が廊下に響き、どこかに吸い込まれて消えていく。

 ふと通った部屋の前。そこには「医務室」と雑にフィンランド語で書かれている。扉の間に隙間があいており、僕はそこから覗き込む。コルトアが眠っているベッドの傍に、誰かが寄り添うように腰掛けていた。

「……ツツリ?」

 たまらず僕は扉を開ける。起きていたようで「ん……ガルアットちゃん。どうかしたの?」と顔を上げてニコッと微笑んだ。

「眠れないんだ。そういうツツリは何を?」

「何も。ただずっと、傍に居ただけよ」

 既に息すらしていないコルトアを見つめ、ツツリは静かに呟く。「ダメよね、こんなんじゃ。頑張るって決めたのに」と、彼女の瞳が次に僕を捉えた。

 エメラルドグリーンの瞳。赤色の僕の目とは大違いだ。でも、その綺麗だったであろう瞳は、今は少し澱んでいるように見える。

「ねぇガルアットちゃん、戦争はどうして無くならないと思う?」

「え? どうしてだろう……争う人がいるから?」

 いきなりの質問に戸惑いつつもそう答えた僕に「んー、正解だけれど、言葉が足りないかも」と僕の頭を撫でる。

「「矛」という人と「盾」という人がいるからよ。それがぶつかりあって、「戦争」という名の「矛盾」になるの」

「矛盾……? 韓非子の?」

「そうよ。矛盾の法則は、戦争が起きるきっかけとよく似ているの。うちの妹にも話したわ、懐かしい」

「え、ツツリ妹さんいるの?」

 それは初耳だ。ツツリに妹がいたんだ。

「えぇ。だいぶ下の妹二人ね。話したのは次女のスチェンカの方」

「……そっか、ツツリはソ連出身なんだっけ?」

「あら、シモナから聞いたの? その通りよ。私は北の方の出身だから、雪が凄いところでね。実家はサラブレッドの馬を飼っていて、厩舎もあるの。うちからデビューした馬も沢山いるわよ」

「へぇ……でも、どうしてフィンランドに?」

「あそこは子供が少ないから、誘拐被害に遭う事が多いの。だからこうして、誘拐対策として働きに出たり軍に入ったりししているのよ」

 あちらでは誘拐が多い。それはよく聞いている。軍に入らせたり風俗に売り付けたりすると、シモナが教えてくれた。フィンランドでもそういうことはあったりするけど、ラウトヤルヴィでは無かったかな。

「妹さん達と離れて、寂しくない?」

「んー……全く。って言えば、嘘になるわ。本当はすごく会いたい。会いたくて仕方がないの。こんなところから逃げて、実家に帰って、妹達と平和に暮らしたいわ」

 ツツリは意外と寂しがり屋なんだ。コルトアがいなくなったからというのもあるかもしれないけれど、この性格は本来の彼女のそのものを表しているように思える。

「……僕には何も出来ないけど、話を聞くことくらいだったらできるからね? あんまり溜め込みすぎないでね」

「ガルアットちゃんは優しいのね、ありがとう。でも大丈夫よ。本当に……」

 彼女の頬に、一筋の涙が伝う。ポタポタと床に落ちていき、「……あれ? 大丈夫なのに。なんで、どうして……?」と袖で拭うが、それでもまだ流れて来る涙を抑えられないようだった。

「ガルアットちゃん、これ、なんなのかな? 止まらないんだけど」

「ツツリ、ここにはコルトアと僕しかいない。だから、泣きたかったら泣いていいんだよ」

「……っ、う、ぁ…………」

 やがて僕に縋るように泣き始め、そのまま動かなくなってしまった。

 僕は何も出来ない。何も出来ないからこそ、人のために寄り添えるような存在になりたい。初めてそう思ったのが、シモナだった。

 今の僕は、果たしてそれが出来ているのだろうか。


 ***


 翌日の朝。

 またしてもぱっちりと目が覚めてしまった。

 僕は基本的に夢を見ないため、寝て起きたらもう朝というサイクルを、シモナと会った時から含めてもう十年は繰り返しているだろう。

 時刻は……五時半。みんなが起床するのは六時半だ。一時間ほど早く起きてしまった。

「可愛い寝顔……」

 小声で呟いた僕の視線にはシモナの寝顔がある。それを見て僕はホッとした。あれから泣き止んだツツリと別れて自室に戻り、僕はいつものようにシモナの隣で眠った。

 ここ最近、ずっとそうだ。僕は言ってしまえばロングスリーパーな方で、一度寝てしまったら半日は起きない事が多い。逆に言うと、一度起きてしまうとしばらく眠れないのだ。

 そんな時はシモナが先に訓練に行っているのだけれども、最近になって早く起きるようになってしまった。

 寝起きのお陰からか頭が朦朧としていて、思考回路が巡らない。

 昨日は何をしていたんだっけ。シモナを慰めて、寝かせて……。

 ……そうだ、コルトアが、コルトアが亡くなって、ツツリが泣いて。

 もしかして、シモナが死んでないかどうかが不安なのか? だからこうして、朝早くに起きて彼女の安否を確認するようになったのか?

「……?」

 そこまで考えたところで、僕は自室の隣の部屋から聞こえた妙な物音に気づく。

 擬音語で例えれば椅子が倒れた時の『ガタタンッ』だ。

 ギリ……ギリ……と、ロープにぶら下がった何かが重たく揺れているような音もする。

 隣といえば、丁度ツツリとコルトアの部屋だ。今はツツリ一人だけど。

 ……椅子、ロープ……?

 確か部屋の天井には、照明を取り付けるための部分が存在したはずだ。

「……シモナ、シモナ!」

 そこでようやく僕は彼女を起こす。

 果てしなく嫌な予感がしたから。

 そしてこれは、

「……どうした?」

「ツツリの部屋から物音がして! 気のせいじゃないんだ、これは……」

 話を聞いているうちに、シモナの顔が段々と青ざめていった。

 シモナが素早く起き上がり、長い髪をリボンで縛りながら「行くぞ」と珍しく焦るような声が僕の耳にこだました。

「……うん」

 僕も立ち上がり、ツツリが居る部屋の方面へと歩を進める。

 どうか、早まらないで欲しい。いくらこの運命を辿ったからと言って、彼の後を追うようなことだけはしないで欲しい。

「嘘だろ、鍵が開かない……」

「それはまずいって!」

 ハンドルを捻るが、その扉はつっかえるだけで、一向に中の景色を見せてこようとしない。

「ツツリ……ツツリ! いるんだろおい、何してるんだお前!!」

「ツツリ!! ツツリ!!!」

 扉越しに呼びかけても何も反応がない。

 ただ静寂の中に、先程のロープのような音が聞こえるだけだ。

「……シモナ、どうした!」

 ユーティライネン中尉が不審に思ったのか駆け寄ってきてくれた。事情を説明し、シモナが扉を壊していいかを聞いている。

 僕にとってこの時間は、長くも短くも感じる時の流れで。

 でも、初めてだという感覚はどこか掴めなくて、コルトアの死と向かい合ったからなのかと疑問に思ってしまう。

「……緊急事態なんだな? それなら許可する」

「念のために、衛生兵を何人か呼んできてください。もし死んでいたら……私が動けなくなってしまうので」

「分かっている。お前のトラウマは知っているさ」

 かくして中尉は衛生兵の元へと向かっていった。

 ……この扉、壊すよりもこの複雑そうな鍵穴の部分を僕が解読して鍵になればいいんじゃ?

「変われ」

 ボフンと煙を散らし、鍵穴の中に入り込んでみる。

 予想通り複雑なキーロックを難なく解除し、「開けたよ!」とシモナに報告した。

 そしてシモナが扉を開けた瞬間だ。

「ツツッ……」

 シモナの口が、途中で話すことを停止してしまった。

 元の姿に戻り、僕も後ろから見てみる。

 ……やはり、やはりそうだった。

 もう少し解読が早ければ、と一瞬で後悔をする自分がいた。

「……お、い。……おい、嘘……嘘だ、そう言って……お願い…………」

 力が抜けて床に崩れ落ちたシモナが掠れた声で呟く。

 その言葉は奇しくもツツリと同じ言葉で、心做しか胸が痛くなった。

 ロープに首を絡ませ、傍に椅子を倒したツツリの姿がそこにあったのだ。

「ツツリ! ダメだよ君、戻ってきて!」

 ロープを噛みちぎり、ツツリを背中で受け止める。

 背中越しでも分かる、ひんやりとした冷たい感覚。

 もう、遅かった。

「シモ兵長!」

「衛生兵、ツツリを……頼む」

「は、はい!」

 その場に座り込んだままシモナは呟く。

 すぐに集中治療室に運ばれ、ツツリの部屋には静寂が訪れた。

 初めて……いや、何回目かの感覚に思える。少なくとも、一回目ではない。そう確信がもてたのは、やはり僕の知らない記憶やコルトアの死からだろう。

 物や資料が綺麗に揃えられたテーブルに置いてある、小さな一つの写真立て。それはツツリとコルトアを写していて、二人とも幸せそうな表情をしていた。

 どうしてこうなったんだろう。ツツリは元々僕と同じで、コルトアと一緒に着いてきたようなものだ。

 後追いしたくなるのも分かるけど、シモナがかなり辛い思いをしてしまうから、できるだけやめて欲しいと思っていた。

「…………」

 やがてシモナは立ち上がり、何も言わずに俯きながら部屋を出る。

 こうなると口が聞きにくい。特にここ最近は彼女にとって不幸続きと言えるだろう。

 また、十代の時の目に変わらないといいんだけど……いいや、変わらないで欲しいと、僕はそう願っている。

 案の定ツツリはもう手遅れだったようで、息も無く器官も心臓も機能を停止していた。

 ツツリの綺麗な死に顔を見つめるシモナは、今何を思って、彼女の死に顔を見ているのか。

 僕には、まだそれが分からない。


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