第三章 冬戦争
第21話 スロ・オンニ・コルッカ
「コルッカ……」
「はい! コルッカです、シモ兵長!」
スロ・オンニ・コルッカ。
小柄な彼女は確かにそう言った。
「……え、あの、中尉?」
シモナの視線の先には、ユーティライネン中尉がにこやかな顔で光景を見つめている。
シモナが驚くのも無理はないと言えるだろう。時は、彼らが配属される一か月前……つまり、ツツリの死亡が確認されてから、数時間後のことまで遡る。
***
「スロ・オンニ・コルッカ、という人が行方不明……ですか?」
司令室に呼ばれたシモナとガルアット。
相手はもちろん、カール・グスタフ・マンネルヘイム元帥。
「そうだ。ツツリの死でショックを受けていると思うが、その子を探して欲しいとの依頼が来てな。引き受けてくれないか?」
「それは構いませんが、何故私とガルアットなんです?」
「なんでなんだろうなぁ……」
元帥は頭を悩ませているようにも思えた。
まるで、見つけられないとこの先困るとでも言うかのように。
「ちなみに、性別はどちらで?」
「女だそうだ」
「は? え、待ってください。スロって……」
そこでシモナは何かを察したのか「……いえ、なんでもないです」と少々遠慮気味に言葉を繋げた。
「言いたい気持ちも分かる……。分かるんだ、今は伏せよう」
「はぁ……まぁ、分かりました。どの辺にいるかという確証は?」
「ラウトヤルヴィの方面で目撃情報が集まっている。出来るだけ早くとのことだ。狙撃をされたらやり返せ。いいな?」
「了解しました。それでは」
「失礼しますー!」
なんの事だか分からず一応引き受けたシモナとガルアットは、司令室を出て話をしていた。
「スロ・オンニ・コルッカって誰? 名前からして男の子だよね……」
「僕は
「いや、名前が男の子なんだよ……私のシモみたいにガッツリ男の子なんだよ……」
性別は女だと言っていたが、名前が男なのだ。シモナは何かの見間違いか聞き間違いかと思っていた。
渡されたコルッカの写真を見ながら、特徴を確認する。
茶髪よりかは少し赤い髪の毛を斜めに切ったショートに、身長はやや低めの百五十センチ。それでいて、赤の瞳。
「……この子も、か」
赤い瞳が目につく。
シモナと同じ、赤い瞳だ。フィンランドの民は基本的に青の瞳であるため、一部のフィンランド界隈からは、赤い瞳はあまり好かれない。
シモナの家庭は皆赤目。そのためか学校に通わず、狩猟や農民を主にして隠れるように生活してきたのだ。
「……早く見つけ出さないとな」
「個人行動はあまり良くないしね」
「怪我をしていたら良くないし……衛生兵を外で待機させておくか?」
「その方が良さそうかも」
「よし」
衛生兵を呼び出して外に待機しておくよう指示すると、シモナはガルアットに乗って走り出し、ラウトヤルヴィの町の外れへと着いた。
ラウトヤルヴィはシモナの故郷だ。
その近くと言えば……狩猟をしていた森がある。
その辺りを隈無く探せば見つかるだろうか。
灰色の空に覆われ、不思議とラウトヤルヴィの町は少し暗く思える。
今日は雪が降るだろう。
「……今日は吹雪になるな」
「なら、早く帰らないとね」
町外れから、森の方へと視線を移し、
「そうだな」
小さく、彼女は呟いた。
***
「……ねぇなに、なんなのあれ!?
ラウトヤルヴィ町、外れの森中。
白樺が
銃は持っておらず、見るからに平民だと思える服装をしている。
「わっわっ!」
雪が被さった木の根元で足をつっかえ、ゴロゴロと下り坂の底へ転がり落ちる。
『おい、どこ行った!』
『探せ探せ!』
あちこちから銃声、怒号が聞こえる。
ラウトヤルヴィはいまやソ連の領地と化している。その為、森の中には
「ひ……!」
『見つけたぞー!』
そんな声が聞こえたあと、辺りから多数の足音が聞こえる。
こちらに向かってきているのだろう。
「嘘……私死ぬ……っ!?」
もうダメだと思い、反射的に目を瞑った時だ。
脳が弾け飛び、
『スナイパーだ! 敵襲ー!』
そんな声が聞こえると同時、一つの銃声。
先程逃げた時に聞こえた銃声と全く同じ銃声だ。
それは少しの間が空くが、それでも連続するように聞こえ、
「……へ」
一瞬のことで、何が起こっているのかまでは分からなかった。
が、その一瞬の最中、『助けられている』と感じた。
『銃口狙いやがったぞ……!』
『なんなんだ、どこから狙ってやがる!?』
『落ち着け! たかだかスナイパーごときに我々ソ連兵が止められるはずが───』
と、真面目なことを呟いた司令官らしき
『ひっ……』
静かな殺意を催した、こちらに銃を構える女のフィンランド兵。
白樺の木を背景に西日が差し込み、影がフィンランド兵を覆う。
白い息を吐きながら、光の無い目で輝く銃口を構え、こちらを見つめる黒髪のその姿は、まるで『死神』のようであった。
『化けっ────』
呟きかけた直後、頭を撃ち抜かれて後ろに倒れた。
『ち、中将ーッ!』
『どうするんだよ! 上の指示がないと俺達は動けないぞ!』
『う、うわあぁ!』
『ひぃぃいい!』
散らばり逃げようとするソ連兵。
しかしそのシルエットも、連続で放たれた弾丸により体制を崩し、次々と倒れてゆく。
「シモナ、もういいんじゃない?」
「私が気に入らん、逃がすか」
「はぁ……左四十度、木の影に一人」
「ありがとう」
そんな会話が聞こえ、それまで瞑っていた目を開ける。
一つの銃声を確認。やがて、パァンッとなにかが弾ける音がし、他のソ連兵同様に後ろに仰け反り倒れた。
そうして、ラウトヤルヴィの森中は静かになったのであった。
「大丈夫か? 平民なら早く逃げた方が……」
やがてその者は彼女に近づき、彼女の顔を確認する。
茶色のショートに、百五十センチ程の低身長。それでいて赤い瞳。
「シモナ、まさか……」
「……スロ・オンニ・コルッカだな?」
そう、その彼女こそ『スロ・オンニ・コルッカ』なのである。
***
「えっあ、え? なんで私の名前を知ってるんですか……?」
「行方不明の捜索でな。あなたの名前が出ていたんだ」
シモナとガルアットが森の中を捜索して二時間あまり。
銃声が聞こえるとのガルアットの報告があり、聞こえる方向に走っていき、二百メートルほど近くまで来た時に一つのシルエットが逃げている姿を目撃できたのだ。
すぐ側で『探せ探せ!』と怒号をあげる
「怪我は無いか? 立てるなら立って、私の軍で治療を受けるといい」
「いえいえ、無いです……大丈夫です」
「そうか……なら良かった。どこから来た? ラウトヤルヴィの民ではないな」
赤い瞳とはいえ、顔つきや話し方からしてラウトヤルヴィの者ではないとシモナは感じた。
ラウトヤルヴィの民とはほとんどが顔見知りなので、見知らぬ顔だということも理由の一つであった。
「えぇっと、サッキヤルヴィです」
「サッキヤルヴィ……カレリアの?」
「はい……」
ラウトヤルヴィと同じく、ソ連の領地と化している町だ。
出身から追い出され宛もなく歩いていた所へソ連兵に襲われたという。
「そうか……」
「……?」
「いや、なんでも。それより、これからどうするんだ? 衛生兵に頼んで病院に運んでもらうのが一つの手だが……」
「行く宛もないですし……出来ればそうしたいです」
「決まりだな」
***
「んじゃ、頼む」
「はい、お任せ下さい!」
衛生兵率いるヘラジカのソリに乗せられたコルッカは「あの……」と、そばにいたシモナに声をかける。
「?」
「お名前……聞かせてくれませんか」
「シモ・ヘイヘ」
「……男みたいな名前ですね」
「そっちこそ、スロ・オンニなんて男のような名前だな」
クスクスと珍しく笑ったシモナと、つられて笑っていたコルッカに対して(あぁ……これは吹雪になるのも分かるわ……)なんて思っていたガルアットである。
***
「ゆ、ユーティライネン中尉とマンネルヘイム元帥……もしかしてこの子は……」
「予想通りさ、シモ」
「あの時シモナが助けた、フィンランド人の女の子だ」
あの後に衛生兵へと送り届けた後、シモナはソ連とのぶつかりの関係ですぐに出撃した為に、それ以上長く話をすることはしなかった。
「まさか戻ってくるなんて……」
「あの時はお世話になりました、シモ兵長!」
また抱きついてきたコルッカに少々困惑しながらも「よせ、兵長だなんてあなたが言うには似合わない」と苦笑混じりに返すシモナ。
「じゃあシモナさん?」
「うーん、それでいいか」
「いいんだ……」
「あ、シモナ」
と、元帥が思い出したように呟く。
「?」
「そいつ、お前と同室だからよろしく」
「は!?」
「え!?」
「うん!?」
シモナ、コルッカ、ガルアットの順に驚きの声が三連発飛び交い、中尉は愉快に笑っていた。
笑ってる場合じゃなくて……とシモナは言いたかったが、流石に何されるかわからないので言うことを諦めた。
「シモ! そいつは誰だー!?」
「姉妹か!」
「ちげぇよ、今日からユーティライネン中尉と一緒に配属されるコルッカだよ」
「可愛い!」
わっとシモナとコルッカの周りに同期が集まる。
困惑するコルッカを抱き寄せながら同期の相手をしているシモナを見て、ガルアットはフードローブになりながら、窓に映し出される景色を見る。
やはり吹雪いている。シモナが予想したとおりだったようだ。
……いや、八割型シモナの微笑みから来ているのだろう。
そう思うと、彼女はやはりすごい人物だと、改めて知らされる夜の日であった。
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