第8話 夢の主人公は

 とある国。とある地域。

 伸びる交差点の横断歩道……よりかは少し遠く、およそ五十メートルは離れているだろう。

 起点となる横断歩道から私に向けて、ペンキを雑に塗ったような鮮やかな鮮血が、私の今いる位置からまっすぐと伸びている。

 私のいる逆側……つまり、横断歩道の奥側。

 ひっくり返ったトラックがある傍に、ひしゃげた五台程の車がまばらに散っている。それは、まだ乗れるものもあれば、まるでプレスで潰されたかのように原型を留めておらず、辛うじて車だと分かるものまで。

 横たわって見ていた私は立つことが出来なかった。

 きっと、全身を打ち付けて痛みで立ち上がれないのだろう。身体に力すら入らない。

 自分の目だけで見るしかなかった。耳の鼓膜が破れていて、止まっているパトカーの音だって、巻き込まれて神経麻痺を起こした■■■の奇声だって、周りの住民の叫び声や悲鳴だって、何も聞こえないのだから。


 ──あぁ、死ぬんだ。

 直感的に、私はそう思った。


 ***


「───っ!!」

 シモナは咄嗟に身を起こした。

 あの時の圧迫感と苦しさが同時に襲ってきて、呼吸の速度が速い。シモナの視界はあの時見えた残虐な光景では無く自分の部屋だった。

「しもな?」

 弾かれるように声の方向を見る。声の主はもちろん、キョトンとした顔でシモナを見つめるフードローブ……基、ガルアットだった。

「どうしたの? なんか、辛そうな顔、してるけど……」

「あぁ、ちょっと……」

「……しもな、なんで泣いてるの?」

「え?」

 泣く理由など、どこにもない。だがシモナは溢れる涙を止められずにいた。

 ……あの夢は、彼女の『前世』の光景そのものだった。ごく普通の日本に住んでいた、ごく普通の大学生だったのだ。友達もいて、家族もいて、とても幸せな生活を送っていた。

 それが帰り道、大学のすぐ付近の交差点で彼女は信号無視をしてきた大型トラックに轢かれる。

 そこは、小学生の時に亡くした母が轢かれた交差点と同じ所に位置する場所であった。

 あの夢は、そんな彼女が一時的に意識が回復した時の光景だ。

 あの後、前世のシモナは出血多量で死亡したのだ。

「あらシモナ? どうして泣いてるの……大丈夫? 怖い夢でも見たの?」

 やがて母が起きて来て、未だ泣いているシモナの背中を優しく擦る。

 その時は帰省ラッシュに飲まれていた午後十六時過ぎ。まだ寒さを残した四月下旬頃に、シモナはあの交差点で命を落とした。

 一緒に帰っていた亜久里あぐりという女の子もシモナと同じく交通事故に巻き込まれ、生死をさまよっていた。だけど、その亜久里が今生きているのかと言われれば……それはまた答えにくいものであった。

 何故なら、次に気がついた時には既に違う景色があったのだから。手足も痛くない、打ち付けた頭だって痛くない。ただ残っているのは、あの時に感じた『死』を直感した感覚だけ。

 生まれ変わり……といっては、人によって解釈が違う。タイムスリップをしたとでも言えば良いのだろうか。

 前世のシモナ自身、こんな体験は初めてだった。生まれ変わりを経てフィンランド人になったシモナは、既に前世で『シモ・ヘイヘ』という存在は知っていた。

 物心がついて、自分の名前がシモ・ヘイヘだと分かった時は心底驚いた。なんて家系に産まれたんだろうと。

 しかし反面、私なんかが良いのか? とも思っていた。

 生まれ変わるなら、私よりももっと苦しい生活を送っていた前世を持つ人がいるはず。

 ……本当に、いいの?

 何回も、母カトリーナに聞いた。

『大丈夫。シモナは、シモナのままでいいの』

 母は母国のフィンランド語でそう言った。

 スウェーデンの血が混ざっているその笑顔は、心做しか前世の母のように思えてしまい、重ね合わせて見ていると余計心苦しい気持ちになった。

「ごめん」

 やがてしばらくして泣き止んだシモナは一言呟いた。

「……心寿みことの夢を見ていただけだよ」

 前世での彼女の名は『月見里 心寿やまなしみこと』。

 心も寿命も、長生きして欲しいという両親の願いから名づけられた名前だ。

 父も母も大好きだった。

 なのにどうして、あの時。

 一階に続く階段を降りながら、シモナは考える。

 前世のシモナは、幸せだっただろう。

 それでは、今よりも幸せだったのか?

 考える度に余計な記憶が邪魔をして遮ってくる。

 それはシモナの記憶にない心寿の記憶だった。

 心寿の傍にいるのは、紛れもない『鬼』。

 女性の鬼だ。

 ……あぁ、そう言えば。

 小学五年生の時、真夏の記憶が殆ど無い。

 最後の一段を降りようとする足の動きが止まる。

 どうして無いのだろうか。小さい時から、この理由は考えていた。

 ……しかし、行き着く答えはいつも『否定』だった。

 思い出すことを否定してしまうのだ。

 それでもあの時、心寿は何かを失い、何かを愛していたのだ。その何かと別れる際、心寿は酷く泣いていたのだ。

 それだけは、記憶の隅に残っている。

「……お、はよう」

 シモナが小さな時、毎日ドアの前でされていた時がある。

 少々否定気味にドアを開ける。

 予想通りだ。父が出待ちしている。

「おうシモナ! おはよう!!」

 ガバッと抱きついて来ようとする父の手を華麗に避けたシモナは「ふっ、父さん……そう上手くいくと思うなよ……」と、父の後ろで一言呟いた。

「それは笑ったわシモナ、どこかのSF映画の主人公みたいな台詞だったぞ」

「うるせえ」

「シモナ、もう大丈夫なの?」

「ん、うん。大丈夫」

「お父さん悲しい」

「知るか」

 椅子に座り、パンをトースターで焼き始める。

 新聞を読んでいる父の傍に駆け寄り、父と新聞の間にひょっこり顔を出して一緒に新聞を読んでいた。

「シモナ、髪の毛また跳ねてるぞ?」

「え? 櫛、櫛……」

 ポケットに常備していた櫛を取り出して、髪を梳かしながら再び新聞を読み始める。

 フィンランドの新聞は、日本の新聞と比べて大分変わった内容がよく書かれている。

『連続放火事件発生 犯人は十八歳の少年』

 ……やっぱ日本と変わらないかも。

 そう思いながら、焼けた事を知らせたトースターの元へとシモナは歩み寄り、朝ごはんを食べ始めた。

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