第6話 最悪のメリークリスマス
ヘイヘ家には、きょうだいが沢山いる。父、母、長女のマリア、長男のマッティ、次男のユハナ、三男のアンッティ、次女のカトリ、四男のトゥオマス、シモナ、そして末っ子にヒルヤが居る十人家族だ。
しかし、皆が皆成人したり、ちょっとした事件を起こしたり、行方不明になったり等しており、今はアンッティ、ユハナ、トゥオマス、シモナ、そしてルトアしかいない。
「シモナ、ルトア、ちょっといらっしゃいな」
時は過ぎて十九時十八分。晩御飯が終わり、テレビを見ていたシモナ達はカトリーナに声をかけられ、彼女の方を振り向く。
「……?」
「いいから来なさいって」
「う……うん」
ニコニコと笑って部屋を出るカトリーナの後を、少し怯えながらもシモナはついて行く。
もちろんガルアットも、彼女の腕に抱えられるフードローブとして一緒だ。
「……お母さん、どうしたの?」
「えへ〜、シモナとルトア、いつも頑張ってるからお母さんちょっとプレゼントを買ってきたのよ」
「プレゼント……!?」
「マジかお母さん!」
「お父さんには内緒よ? はい、どうぞっ。これがシモナで……これがルトアよ」
カトリーナの片手それぞれに収まる小さな箱が、彼女達の手に渡る。
箱を開けてみるとネックレスが入っていた。シモナのネックレスは淡く綺麗なターコイズが、ルトアのネックレスには彼岸花のアクセサリーがついていた。
「ありがとうお母さん!」
「ありがとう、お母さん」
「ふふ……当然よ、お父さんはあんなんだけど、お母さんはシモナとルトアを愛してるわ。血は繋がっていなくても、大好きな子供達だもん」
そう言って優しく二人を抱きしめるカトリーナ。
シモナは母、カトリーナ・ヘイヘの匂いが好きだった。クッキーを焼いたような、甘いお菓子の香り。カトリーナはお菓子作りが好きだった。その名残りが、匂いとして残っている。
小さな頃のおやつは決まって母の手作りお菓子だった。それは十六になった今でも続いている。過保護かとも思えるが、シモナにとっては好きだった。
「……さ、それ部屋に持ってって、早く風呂入って寝なさいな」
「うん!」
「……うん」
「あ、シモナ」
不意に呼びかけられ、俯いていたシモナは弾かれたように母の顔を見る。
「?」
「……今日は、お父さんにされないといいわね」
「うん」
さっきよりも、少し暗めの声でシモナは頷きながら言った。
「大丈夫だよ母さん、俺がシモナを守るから」
「あらそう? お母さんも守ってあげたいけど、家事とか色々あるから……」
「いいよ、お母さん、ルトアも。今日も、来たら耐えるから。……だから、今日は一緒に寝たい」
「……分かったわ、約束ね?」
「ん」
指切りをして、母やルトアと一緒にまた部屋に戻る。
「ほらルトア、シモナ、先にお風呂入っちゃいなさいっ」
「ん、入る!」
「……うん」
***
「シモナってさ、俺が来る前からあんな事されてたのか?」
ガルアットを連れて浴槽に浸かり、息をついたシモナに向けて、ルトアはそう質問をなげかける。
「あぁ、そうだよ。いつもろくなことしかしないからな……」
居間にいる父に聞こえない声で、彼女は呟く。
「そうか……」
「なんで?」
小声でガルアットが質問をなげかける。
「……んいや、なんでもないさ」
「?」
キョトンとした顔でルトアを見つめるシモナ。見続けられて恥ずかしくなったのか、「お、俺先に上がる!」と言って湯船から身体を出して浴室を出ていってしまった。
「……?」
何が何だかわからず、無表情のまま考え込んだシモナに対し「ほら早く上がってこいよ! 父さんが入れなくなるぞ!」と浴室の扉を開けてルトアは言った。
「……あぁ」
ガルアットを抱いて浴槽の淵に片手を置き、シモナは同じく湯船から身体を出す。
……その身体には、無数の傷跡。
しかし、彼女の足のかかとまである長い黒髪によってそれは隠される。
彼女の髪は長かった。
いつもは母手作りのリボンで縛っているが、風呂に入る時などに苦労しそうだなぁ……なんて、ルトアは考えていたのだろう。
だがシモナは傷を隠せるだけで、ただそれだけで良かった。あまりにも醜く残酷ないくつもの傷跡を、人に見せたくないと思っていたのだから。
はぁ、とシモナは一つため息をつく。これからされる一つの悲劇に見舞われる被害者はたった一人、シモナだけなのだから。
***
「……お父さん、お風呂、空いたよ」
ガルアットが変化したフードローブを抱いて、恐る恐る居間の扉から顔を出し、椅子に座って新聞を読む父、ユホ・ヘイヘに声をかける。
「……」
暫くの沈黙。
新聞にはフィンランド語で「辺り一面クリスマス 雪国寒波の影響」とでかでかとゴシック体で書かれているのが視界に入る。
「……な」
ようやく父の口から発せられた言葉が聞こえず、シモナは「……え?」と短く声を発した。
「視界に入るな、クソガキ!」
物凄い勢いで新聞を投げられる。
あろう事かそれはシモナに当たり、短く悲鳴をあげ身を縮こませた彼女の髪を乱雑に掴む。
「ひ……!」
「いちいち視界に入んなっつってんだよ! 分かんねぇのかこのクソガキが!」
父が叫ぶ度、シモナの身体は小刻みに揺れる。それだけ勢いのある叫び声なのだから。
「ほら、何とか言えよクソガキ。俺の子だろ? 何も言えないのかよっ!」
彼女の髪を掴んだまま、力任せに扉に叩きつける。
「っ……!」
「何も出来ねぇくせに、何もしねぇくせに、何俺に話しかけてんだよ?」
「ごめん、なさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私が悪かったです、私が……悪いんです」
「……それでいいんだよ」
もう一度、叩きつけるようにシモナの髪を乱雑に離し、父は浴室へと向かった。
「……」
『家庭内暴力』
この言葉が正しい言い回しであろう。
シモナはほぼ毎日、このような状況を耐えていた。何故父がルトアを愛し、シモナだけを軽蔑するのか。
父は元々男の子を望んでいた。しかし他の兄姉を除き産まれたシモナは心も身体も女だった。目の色は、父母どちらにも継いではおらず、母の母……つまり、シモナの祖母の目を継いだ目は真っ赤な色をしていた。
そんなシモナを、父は十六年間ずっと殴る蹴るなどの暴行を繰り返しているのだった。
「私が……全部悪いんだよ……」
座り込んで彼女は呟く。
服に少量の血痕がついているのが分かる。舐めてみると、少し鉄の味がした。
「……だいじょうぶ?」
父がいないのを見計らって、抱いていたフードローブ……基、ガルアットが小声で問いかけてきた。
「大丈夫」
「ないてもいいんだよ?」
「泣かない。大人しく部屋に戻る方がいい」
ゆっくりと立ち上がってドアを開け、居間から静かに出ていく。その強気な態度は、例えるなら反抗期の中学生のような、無邪気な言い回しだった。
「……お腹、空いてないか?」
「がるあっとは、食べなくても平気なからだだから、大丈夫」
「本当か? 無理してないよな」
「してないよ、大丈夫」
……純粋なその答えを聞く限り、どうやら嘘はついていない様子だった。食事が必要ない動物などこの世にいるのだろうか。髪と息を整えながら階段を登り、自分とルトアの部屋のドアを開ける。
「……シモナ、聞こえてたぞ。大丈夫だったか?」
「今日は、まだ軽い方だった」
「あらシモナ、大丈夫だった!?」
母が駆け寄り、シモナの口元の血をハンカチで拭き取る。
「……他にどこか、怪我してるところない?」
「頭、ぶつけたけど大丈夫」
「そう、良かった……」
母も、父が怖くて止められなかった。
酒癖が強く、ありきたりな言葉で母の溺愛っぷりを見せる父は、言うならば「メンヘラ」などといった言葉がお似合いだろう。
そんな複雑な家庭環境から、母に愛され育ったシモナだったが……最低限のこと以外、父には何も話す気力を持たなかった。
持てなかった。言い返す言葉すらも考えないそれは『無』に等しいだろう。父の機嫌を損ねれば、自分が被害を食らうことはよく知っている。シモナやルトアのような農民兼狩猟民は、自分の意思で学校に行かず、家庭を支えるために働くのが殆どだろう。ルトアもその一人だ。
シモナはその真逆。本当は学校に行きたかったが、父の威圧に押されて働く道のレールを歩かされた人。十六となれば、高校に入り自立する頃だと考える人も多いであろう。シモナやルトアといった家庭環境に置かれている子供は、自立せずに親のために働く、悪くいえば「奴隷」のような扱いを受けることが多い。
「……さ、布団に入って寝ましょ? 今日はもう遅いし」
「ん、寝る」
明日は、されないといいな。
母に抱かれ、シモナは眠りにつく。
ルトアがシモナの隣に入り、ニカーっと笑う。
……少しだけ、笑い返したのがルトアには見えたのだろう。
「……お母さん、明日やっぱ雨降るよ」
やはり、一言呟いた。
***
その夜。
皆が寝静まった頃、動くものが一つ。
「………………」
彼は月を見ていた。
「…………どうか、彼女に」
彼は月に願った。
「……幸福が、訪れますように」
聞いている者は、誰もいない。
その声が、月に届いたか否かさえも、定かではないのは誰でも分かるだろう。
しかし彼は分かっているかのように、
月に向かって、静かに微笑んだ。
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