第5話 帰りたくない家

「おいルトア、出るぞ」

 三日後の七時頃、支度をしたシモナは支度に手間取っているルトアに向けて声をかける。

「え、待ってまだ準備して──」

 言いかけた時、足元にある布団で足を滑らせたルトアは盛大に転ぶ。

まだ日は昇っていない。フィンランドは基本的に九時頃に日が昇るため、まだ辺りは薄暗く足元に気をつけないとルトアのようになることはほぼ確実だ。

「……だいじょぶ?」

「心配されてるぞ」

「だ、大丈夫だし!? 布団で滑ったとかそんなんじゃないし!?」

「見え見えだな……」

「みえみえ」

「ガルアットはともかく、聞こえてるぞシモナ! ったく……」

 鞄を背負い、靴を履くルトアを見て何を思ったのか、フードローブに化けているガルアットが吹き出して笑っている。

「どうしたガルアット、何か面白いことでもあるのか?」

「えっと……んふふ……」

 フードローブがちょいっちょいっとルトアの頭を指さすように動く。

 そのフードローブが向くルトアの頭の上には、知らぬ間に小さな虫が乗っかっていた。

「ひっ!?」

 ものすごい勢いで二メートルほど飛び退いたシモナに気づきルトアは顔を上げる。

「どうした?」

「虫ー!」

「その、頭に乗っかってるの早く! 早く取って!」

「頭?」

 手探りで頭を触り、「あ、これか」と呟いた後にほれとシモナに向けて虫を軽く投げる。

「うわぁぁぁぁぁ無理無理やめろなんで投げるんだよ!!!!!!」

 悲鳴をあげたシモナは更に後退し、いつもの所に直そうと思って手に持っていたモシン・ナガンをバッと構えてルトアに向ける。

「えっちょっと待ってシモナそれは洒落にならないぞ! 下ろして! まずはその殺意溢れる銃を下ろして!」

「おろそう……」

「次やったら許さないからな……!」

 やがてゆっくりと銃を降ろした彼女は涙目で、小声になっていたがそう呟いたのを二人は聞いていた。


 ***


「よく覚えておけガルアット。こいつは虫が嫌いだ。特になんだっけ? ご……ごき……」

「ゴキブリ」

「そうそうそれそれ。俺達の住んでる地域にはいないが、シモナは見たことがあるんだろ?」

「あるよ。シュッて動くんだ、きしょいんだ」

「お前何言ってんだ?」

「スケッチしたの家にあるから! 絶対気持ち悪いって言うから!」

 半泣きで彼女が言うのを見て、「ゴキブリー?」とガルアットが呑気な声をあげる。

「ゴキブリ……ガルアット、その言葉を聞くだけで無理ダメ、頭痛い……」

 頭を抱えて嫌そうに呟くシモナに「そんなに嫌いなのかよ」と呆れ半分で答えるルトア。

 シモナは大の虫嫌い。蜘蛛や蝶ならまだ大丈夫だが、セミやゴキブリなどといった人類に決定的な悪をなす害虫と言える虫は滅法嫌いだった。

 花粉症も同じくで、白樺ではないがスギやヒノキも駄目な様子だった。

「女の子だもん」

「え? しもな、おんなのこ?」

「何言ってんだお前」

「雪に埋めてやろうかお前ら」

「じょーだん!」

「冗談だって………あ、ほら見えてきたぞ」

 ルトアが指をさした方向には、小さな町。

 現在のロシアとの国境付近にある、ラウトヤルヴィ町。シモナの地元であり、家がある町である。小さな町にも関わらず、町中は左右どこを見てもクリスマスムードだった。

「リア充爆ぜろ」

「分かるわ〜!」

「わかる!」

 二人と一匹は非常にリア充という存在が好ましくないようで。

 あちこち見ながらそんなことを口にしていた。

「お前分かるのか?」

「いやでもよ、俺達みたいな農民兼狩猟民ってだいたい非リアが多いよな」

「それな?」

「んええ……」

「いや、いるぞ? リア充なやつ。彼氏彼女いるやつ」

「いるのー?」

「ほら、ツツリとか」

「つつり!? いるの!?」

「いるぞ? 彼氏」

 そう、ツツリにはコルトアという立派な彼氏がいるのだ。

 あの二人を簡潔に言うと、とりあえず『似合いすぎる』。

 コルトアはシモナと同じく遠距離型で、目もいいためスコープを使わずとも獲物を視認出来る。それに対してツツリは基本的に近接型な為、コルトアが見つけた獲物を素早い動きで追いかけ、両手に持つナイフで獲物を刺し殺すと言ったように、獲物狩猟でも二人のコンビネーションは最高だった。

「現代日本の女子高生は彼氏のことなんて言うんだっけシモナ」

「彼ピッピ」

「それだ彼ピッピ」

「なにいってるか、わかんない」

「だろうな」

 真顔でガルアットの言葉に返答したシモナに「なんでそんなに日本のこと知ってるんだよ?」とルトアは日本語で質問する。

「え、別に関係無くない?」

「いやぁ義弟として知りたくてさ」

「知らなくていい」

「えぇーっ!」

 そうこうしているうちに家へと着く。

 三階建てのごく普通の一軒家だ。所々が雪で埋まっていて、屋根の端には氷柱つららがいくつか出来ている。

 玄関前でローブに積もった雪を払いながら「……ルトア、開けて」と彼女は静かに呟いた。

「おうよ、開けるぞ〜」

「ガルアット、中では静かにな。喋ったら……言ったよな? しばくって」

「おーけい、しばかれたくないので、がるあっとはおくちちゃっくしています……」

 ガチャッと子気味のいい音を立てながら扉は開く。ドアを閉めると、二人分の楽しそうな会話が聞こえてくる。

「……あ、機嫌いい」

少し安堵したように呟いたシモナに、「良かったなシモナ」とルトアが気を遣うように言った。

「?」

 靴を脱いで居間へと足を運ぶ。ドアを開けると、成人男女二人が楽しそうに話をしている。

「あらシモナ、ルトア、おかえりなさい!」

「……ただいま、母さん、父さん」

「ただいま」

 靴を脱ぎながら、シモナとルトアは迎えに出てくれた母に挨拶をする。

 居間に出ると、ふとテレビの横にツリーが飾ってあるのが見えた。毎年飾る事が恒例になってきている。家でもクリスマスの雰囲気を醸し出すとは、やるな母よ。

「ツリー、今年も飾ってるんだ」

「もちろん。クリスマスだしな?」

「ま、まぁ確かにそうだな……」

「さて、ご飯できてるよ! シムナもルトアもお腹すいてるでしょ?」

「うん、お腹空いた」

「俺も!」

 二人と一匹(変化中)は椅子に座る。

 フードローブ……基ガルアットを膝に置き、二人はテーブルに置かれた朝ご飯を食べ始めた。

「メリークリスマス、私の可愛い子供達」


 シモナの母──カトリーナは優しく微笑んで呟いた。

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