第2話 見ない顔

 小屋の中。とりあえず、雪が溶けて濡れてきたので、暖房のそばに座らせて乾かしてみた。ついでに怪我の治療をと、救急箱から消毒液を取り出し、幹部に当て続けた。

 改めてじっくりと見てみると、龍のような顔つき、馬の身体、長い尻尾と、まるで神話生物かのような珍しい見た目をしている。動物好きのシモナはつい尻尾を触りたくなってうずうずとしてしまうが、どうにか堪えて隣に座り込んだ。冬毛だからなのか、体毛はフサフサ。手触りもよく、長年自然で生きてきた様には思えない

「寒くないか? 乾かした後だから、暖炉の前にでも居れば少しは暖かいと思うが……」

 そいつは首を横に振り、胡座をかいたシモナの膝に身体を預ける。何処で生きて、何処で産まれ、どうして一匹なのか。聞く由もないが、気になってはいた。

「……何者なんだ、こいつ」

「さぁ?」

 シモナが固まる。謎の生物が突然喋ったのだ。しかしその言語はというと、

「……参ったな。日本語は苦手なんだよ」

 なんと、日本語である。冷静に言った彼女だが、心境を言えばかなり困惑していた。生物が人の言葉を話すわけがないと。そもそも声帯がどうなっているのか気になるところだが、今はそれどころではない。

 キョトンとした顔でこちらを見ると、たちまちにへっと笑いだしてシモナに頬擦りをする。

 変な生物……と言っては言葉が悪いが、そんな生き物が極寒のフィンランドで生きられるとは到底思えなかった。

「………まずお前さ、名前は?」

「なまえ?」

「そう、名前。どこから来たかとか、性別とか」

 分かる範囲の日本語でシモナが色々と質問するが、獣は大きく首をかしげる。それはまるで『何も知らない』と言いたげな表情だった。

 誰かに飼われていたのだろうか。ただ単に名前が付けられていないという考えもあるが、シモナにはどちらともピンとは来なかった。

「……そうか、分からないんだな。いいか? 名前ってのはな、親から貰うこれから一生名乗っていかなきゃならない自分の形見だ」

「かたみ?」

「そう。……人によっては、最初で最後の愛情と言えるかもしれんな」

「あいじょー?」

「そう。上達が早くて助かるよ」

「?」

「とはいえ、私はネーミングセンスが皆無なものでな………どうしようか」

 と呟いた時。

 ガチャッと部屋の扉が開く。振り向くと、驚いた顔をした男性が立っていた。黒髪に青の瞳を持つ、長身の男性だ。シモナよりも随分と大きく、ガタイのいい体格をしている。

「……お、おかえり……でいいのか、シムナ。そいつは?」

 驚きながらも、小さくテナーボイスで呟いたそいつはやがて扉を閉めてシモナに近づく。

「拾った」

「拾った!? どこで!?」

「静かにしろ、隣室のみんなが起きるだろうが。この近くだ。震えていたものでな。寒そうだし、放っておけなかったんだ」

「?」

 母国語のフィンランド語で話しているシモナと同期を交互に見て、その生物はまた首を傾げる。どうやら、フィンランド語は理解出来ても、複雑な文法になると分からなくなる様子だ。

「あぁ、えーっと……同期。同じ年齢の友達」

「へぇー!」

 日本語でそう説明したシモナに対して、生物は納得したような声をあげていた。どの道、この生物には日本語で対応した方がいいのだろう、とシモナは極力会話に日本語を使うようにした。

「俺、挨拶した方がいいのか?」

「その方がいいと思うぞ」

「んーそうなのかぁ……じゃあシムナ、お前日本語話せるんだったら仲介役やってくれよ」

「はぁ? めんどくさいなぁ、いいよ」

「素直じゃないなぁ〜」

 そう言うと、未だにシモナの膝に座っているそいつに「おうボウズ、でいいんだよな? シムナの友達のコルトアだ、よろしくな! お前なんて言う動物? ここらじゃ見た事ねーな!」とフィンランド語でそう言って、生物の頭をわしゃわしゃと撫で回した。

「……私の友達、コルトア。よろしく。だってよ」

「あうあう……よろ、しく!」

「言ってることは分かんねーけどなんか色々端折られた気がする!」

 コルトアに撫で回されながら輝くほどニコニコしている。ウェルカムなハートの持ち主だな、こいつは……なんて考えながらも、仲介役を任されたシモナは「歓迎されてるみたいだぞ、良かったなコルトア」と彼にそう返した。

「変な通訳してないよな?」

「してるわけないだろ」

 コルトアの頭を引っぱたくシモナに対応するように笑いながら受けたその同期は、「いてぇぞシムナ! このやろっ!」とふざけたようにシモナを叩き返す。

 満更でもなさそうな顔で叩き返されたシモナを見て、謎の生物は少しだけ笑っていた。

「というかそいつ、名前は?」

「え? いや、名前すら分からないらしくて。まともに会話なんてしてないし、むしろガルガル威嚇されてたしな」

「そりゃ大変だなぁ! 俺が名付けてやろう!」

「いいよお前ネーミングセンス無いし……」

 そんなのお構い無し、という風にその同期はうんうん考え出す。シモナはそんなコルトアの姿に一つため息をついた。

 ……やがてハッと閃いたように頭を上にあげ、「ガルアットなんてどうだ!」と提案してきた。

「ガルアット……?」

「がるあっと……?」

 フィンランド語でも日本語に近い発音を催すその名前に、シモナと生物は同時に声をあげる。

「さっきガルガル威嚇されたって言ってたろ? それに、クリスマスも近いんだし、「クリスマスヨウルアーット」からとって、「ガルアット」! どうだ?」

「……ガルアット、だと。お前はそれでいいのか?」

「いいよ!」

「いいんだ」

 やっぱりウェルカムなハートの持ち主だ。二回目だけど。

 (ガルアット……だなんて、なんだか男っぽい響きの名前だ。少なくとも私の「シモ」よりはいいだろうなぁ……。)

 なんて思いながらも、シモナはコルトアの方を向く。

「それでいいのか!?」

「いいらしい」

「がる、あっと……がるあっと……がるあっと!」

 どうだ言えたぞ、と言いたげな表情でガルアットはシモナを見た。

 どうやら大層気に入ったらしく、「がるあっと……がるあっと……!」とご機嫌よく連呼している。

「よし、じゃあガルアットな」

 彼女が珍しく笑う。笑うとは言っても微笑み程度の笑いだが、コルトアは度肝を抜かすほど驚いていた。

 何故ならば、「彼女は滅多に笑わない」のだから。驚かされても真顔で「どうした?」なんて言うくらいの人なのだから、そんな彼女が微笑んでいる所を見れば、当然驚くだろう。

「シムナ、お前笑えたんだ」

「何言ってんだお前」

「本音を言った迄だぞ」

「言っている意味がわからないのだが」

「本音を言った迄だぞ!?」

 そんなマシンガントークが続き、やがてコルトアが軽く咳払いをする。

「……というか、そいつどうするんだよシムナ。人外なんて連れてきたら、お前の親怒るだろ?」

「いやそりゃまぁね?」

「そりゃまぁね? じゃなくて! それに、ほかのメンバーにも知らせるのか!?」

 ずいっと顔を近づけたコルトアに対して、「そりゃまぁね?」とシモナは先程と同じ返答をした。

「まぁ、俺は構わないけど、他の奴らがどういうか次第だな。昼寝から起きてきたら皆に知らせるか」

「へーへー」

「んじゃ、俺はもう少し寝てくるわ。おやすみ……」と短い欠伸をして奥の部屋に行ってしまったコルトア。

「いて、いいの?」

「とりあえずはな」

 暖炉の炎が、昼間でも薄暗い森中に建つ狩猟小屋の中をほのかに明るく照らす。

 受け入れてくれるだろうか……等と不安に思う中、ガルアットは彼女の膝で眠り始めた。

 それを微笑ましく見ていたシモナはやがて一息付き、本棚にある小説を読み始めた。

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