第8話:ハーブ豚からハーブの香りを感じたことはない

 銭湯から家に戻った俺は、いささかの恐怖とともに玄関のドアを開けた。

 どうかバターを丸々溶かした謎の料理なんて用意されてませんように……!


「お帰りなさい! ごはんにします? お風呂にします? それともわた……」


「言わせねえよ! つーかなんでまた脱いでんだお前は! 服を着ろ!」


 メニュー云々ではない絶望がそこにあった。


「言ってみたかっただけなのに……」


「マジでその姿で閉め出すぞ」


「って言いながらコート掛けてくれる九郎さん大好きです」


「クソッタレァ!」


 俺は口喧嘩でスト子に勝てる気がしなくなったので、とっとと部屋に入り、用意されている食事の前に座った。

 並んでいるのはトーストと、食材から予想していた通りのアヒージョ。


「見た感じバターは使っていないようだが……」


「バターはデザートですよ?」


「死ぬわ! ……いただきます」


 無塩バターのみならず塩の入ったバターすらもデザートにされたら本気で死ねる。

 俺はバターの処遇を後回しにして、オリーブオイルに漬けられているマッシュルームやベーコンをパンに乗せて食った。

 アヒージョならフランスパンだろ、とか言ってはいけない気がする。

 言ったが最後、このストーカーが変な方向にハッスルする予感がしたのだ。


「あぁん! 私の作ったものを九郎さんが食べてる! 私の愛が九郎さんの体の一部になってるぅ!」


 このストーカーが何も言わなくてもこうなる奴だってことくらい、俺はもう分っていたはずなのに。

 いや、それだけじゃない。

 こういう奴には、最悪のド定番があることを食ってから思い出した。


「おい、一応聞いておくが、お前自分の体の一部とか入れてないだろうな」


「何言ってるんですか? 体の一部を相手に注ぎ込むのは男の人の役目じゃないですか。女の私は九郎さんに注ぎ込んでもらえるのを待つだけです」


「ド下ネタじゃねえか!」


 俺はつい声を荒げてツッコミつつ、最悪なことを悟ってしまった。

 こいつがボケばかりかます理由を。


 こいつにとっては、俺とのありとあらゆるやりとりは全て性的交渉なのだ。

 だから自分の体の一部を俺に食わせることはしない。

 こいつの言う通り、性的交渉で自分の一部を相手にそそぐのは男の役割だから。


 それは安心できる。全く安心できない考え方だが人肉を食わされないという意味で安心できる。


 だが、会話すら性的交渉のメタファーにされてはたまらない。

 ツッコミを俺にさせるのが目的だった、などというスト子の行動原理を察してしまった俺は、黙ってアヒージョをパンに乗せて食い続けた。

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