第7話:男湯は唯一の癒し空間

風邪をひかないようにという言い方をしたとたん、スト子はこれまでの自由奔放さが嘘だったかのように素直に服を着た。


伝え方が9割とはよく言ったものだが、こんな頭のおかしい奴相手にまで相手に合わせた伝え方を模索するのは疲れる。


しかし、うっかり仕事と同じ感覚で相手を気遣うような台詞回しを選んでしまったことが、こうも致命的な失敗に思えてしまうのはなぜだろうか。


「九郎さんのシャツ―♪」


「おいこらなにしてやがる」


 スト子は転んでもただでは起きない。そんなこと、奴が電車の中で俺の臭いをかいでいた時から思い知っているはずなのに、俺は油断していた。

 なるほど、失敗の予感はこれか。


「今すぐ裸に剥いて外に放り出してやろうかこの女……」


「ぴぃ!? 今すぐ自分の服に着替えますからそれだけは!」


 つい漏れ出てしまった本音にスト子は半泣きで反応する。

 いや、案外主導権はまだ俺の手にあるのかもしれない。

 

「……銭湯行ってくる。戻ったら飯貰うわ」


 俺はとりあえず作戦を練るため、一人になれる空間に向かうことにした。

 さしものスト子も銭湯の男湯にまで踏み込んでは来るまい。



 銭湯で少し熱い湯に体を沈めながら、これからについて作戦を練る。

 これから家に戻れば、俺はスト子の作った飯を食うことになる。

 戻らなければ、スト子の用意した食材は廃棄されることになるだろう。

 つまり、食い物を粗末にしないと誓っている俺には選択肢が一つしかない。


「温まったら薬局に行こう」


 大量のバターを食わされることになった以上、胃薬は必須だ。


 あとは、追い返す方法だが。


「家の人が心配してるだろ系は、アウトだろうなあ」


 母親に料理を教えてもらったと言っていたし、なんだか放任主義というか開放的すぎる親御さんのようだったのでうまくいかないと思われる。


 その辺まで考えたところで、俺は絶望というものをまともに味わった。


「なんで一人でゆっくりできる空間を手に入れてまであんな奴のことを考えにゃならんのだ……やめだやめ! 今はくつろごう」


 俺は湯に顎が触れるまで体を沈め、のぼせかかるまでじっと温まることにした。

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