第46話 回想・統一戦争
私が人が殺されるのを初めて目にしたのは、戦乱の最中でのことでした。
それは後に統一戦争と呼ばれることとなった戦でした。
優秀なクレリック、優秀な治癒術使いとして派遣された私の役割は、もちろん負傷兵の治療をすることです。
戦場はマナの攪拌された匂いがしました。
互いの国の魔導兵が魔術をぶつけ合い、空気中の属性が歪められた香り。
この規模の魔術のぶつけ合いがあると、魔術が行使された痕跡が魔術師でなくても肌で感じ取れるというのは本当のことでした。
案内された負傷兵たちのテント、そこは痛みと苦しみの声で満たされていました。魔術により火傷を負った者、手足を凍らされた者、切り傷を受けた者、貫かれた者……それはそれは地獄のような光景でした。
「皆さま、今治療いたします!」
テントの中央に進み出ると、目を閉じて意識を集中させます。
「
広範囲治癒術の発動。
負傷兵たちに光魔術の効果が拡がっていきました。
「おお……っ!」
見る見るうちに負傷兵たちの顔色が良くなっていきます。
「助かった、ここまでの能力を持つクレリックが来てくれるなんて」
兵士の一人、銀色の瞳の女性が私に話しかけました。
「私はアレシア、カーライル隊の副隊長だ」
そう名乗る彼女の右腕は……手首から先がありませんでした。
「それは……」
身体の一部を欠損しているというのに、騎士らしくピンと背を伸ばして立っている彼女の様子に私は恐ろしささえ感じてしまいました。
「ああ、この腕のせいで私はもうここの護衛くらいしかやることは無くてね。治療はいらないよ。この包帯は見苦しいから巻いてるだけでね」
大事なものを失ったというのに、それを悲しむ余地すら戦場は与えてくれないようでした。
「見せて下さい。私なら治せるかもしれません」
実際に身体の欠損を治したことはありません。
でも教会で認められた限りでは、私の治癒術の腕ならば身体の欠損も治せることになっています。
「……!」
アレシアが大きく目を見開く。
その瞳に希望が灯るのがありありと見て取れました。
息を大きく吸い、彼女の右腕に向かって手を翳し、そして詠唱を開始しました。
「始祖なる神ゼーデよ。天上に在します主よ。この者を救い給え。全ての悲しみ、全ての苦しみから遠ざけ給え。主の救いを此処に、
短縮詠唱ではなく、完全詠唱。
暖かい光が彼女の腕を包み込みました。
そして……やがて包帯の内側から盛り上がってくるものが見えてきました。彼女の新しい手です。
アレシアは包帯を外すと、自分の新しい手をまじまじと見つめ、それから私に向き直りました。
「流石だ。流石は最年少で
彼女の言葉がこそばゆくて、思わず顔が熱くなったのをよく覚えています。
「そ、そんな、大したことでは、」
「貴女のお陰でまた戦場へ行ける」
彼女は新しい手に視線を落としながら呟きました。
今思うと、手を見つめていただけではなくて、手を動かそうとしていたのかもしれません。
「無理です! 新しい手足は、再び動かせるようになるには時間がかかるんですよ!」
たとえ体力に溢れた騎士でも、確実に一ヶ月以上はかかるだろう。
「……確かにそのようだな。ではもう何週間かは私の役目はこの基地を護ること、か」
やがて諦めたかのように彼女は自分の手から視線を外すと、その場に跪いたのでした。
「聖女クリスティアナよ――――御身は私が命に代えましてもお守りします」
記憶にある限り、私を聖女と呼んだのはアレシアさんが初めてだったと思います。
「せ、聖女っ!? そんな、大袈裟すぎますっ!」
当時私はまだ若く十代で、自分の力量について無自覚でした。
今でも自分が聖女の称号に相応しい人間だとは思いませんが、客観的には人々が何故私をそう呼ぶのか理解しています。
「いえ。貴女の力はこの国の宝であると言っても過言ではない」
真っ直ぐに私を見つめる彼女の視線に耐え切れず、私は辺りを見回したのでした。
「あの、この基地の他のクレリックの方はどうしてるのでしょうか?」
「皆魔力切れで気絶しているか、魔力切れ寸前だ」
その言葉にじっとりと汗が滲みました。
こうしている間にも前線から転送魔法でどんどんと負傷兵が送られて来ているのです。
数年前までは転送魔法はこんなにも気軽に使えるような代物ではありませんでした。だが王都出身の魔術師の考案した『ハルト理論』だかによって、王国の魔術師の水準は飛躍的に上がったのです。
そうして前線から送られてきた兵を治癒してはまた前線に転送し、また前線から……を繰り返しができるようになりました。おかげで治癒兵は前線に出なくて良くなったものの、魔力切れとの戦いを強いられることとなったのでした。
それに距離の制限もあります。マナの歪んだ匂いが届く程度には、ここも前線に近い場所ではあるのです。
私も例外ではなく、それから次々転送されてくる兵士たちの治療に忙殺されました。
「ふう……」
度重なる治癒術の行使と、急激な魔力の消費に息を吐いた時のことでした。
「奇襲だっ! 結界を張れっ!」
突然響いた声に辺りが騒然としました。
私は訳が分からないながら、咄嗟にテントを覆う防御膜を形成しました。
剣戟の金属音にテントが囲まれ、怒号がテントの外で響き出しました。
後で聞いたことですが、これは敵軍の起死回生を賭けた奇襲だったようです。
いくら戦っても王国の兵士は回復して無尽蔵に送られてくる。
これを阻止するにはこの基地を潰すしかない。
そんな思惑だったと聞いております。
防御膜を二重三重に強化しながら、緊張に汗を浮かべていたその時。
テントに飛び込んでくる人物がありました。
王国の人間ではありません。
カーキ色のマントの兵士。敵国の人間です。
「結界抜けの魔道具だっ!」
テント内にいる負傷兵の誰かが叫びました。
結界をすり抜ける為の魔道具があると聞いたことはありましたが、実際にその道具が自分の結界に対して使われることがあるなんて思っても見ませんでした。
カーキ色のマントの兵士が私に向かって剣を振り上げる。
死を覚悟したその刹那。
「させるものかッ!」
飛び散る鮮血。
目の前で敵兵が胸を切り裂かれながら倒れていきました。
「無事か?」
鈍色に光る剣を振るって血を払い落とすのはアレシアさんでした。
どうやら彼女は片腕で敵兵を殺してのけたようでした。
「……っ」
人が殺された。目の前で。
さっきまで生きていた人間が、今はもう動かない。
私は身体が震えて、動けなかった。
「……すまない。聖女様に見せるべき光景ではなかった。次はここに踏み込ませたりなどしない」
彼女は素早くテントの外へと飛び出していきました。
そして彼女の宣言通り、それきりテントに敵兵が飛び込んでくることはありませんでした。
その晩。
私は仮眠用ベッドで毛布に包まりながらも、昼間の光景を頭の中で何度も何度も反芻してしまっていました。
敵兵の柔らかい肌が鎧ごと切り裂かれ、血飛沫の紅玉を撒き散らしながら倒れていく。
何度も。
何度も何度も何度も。
何度も繰り返し頭の中で再生しました。
その時は初めて目にした人の死がよほどショックだったからなのだと。
そう、思っていました。
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