第42話 俺は未だ勝利を知らない

「おにい、ちゃん」


 リドリーちゃんは赤い血を垂らしながら俺たちに近づいてくる。


「へえ。あれがリドリーちゃんっていう子? 少なくともそう見える?」


 こんなにも悍ましいものが近づいてくるというのに、ハルトさんはむしろうきうきしているようにすら見えた。


「はい……そう見えます」


 こうしている間にもリドリーちゃんに見える何かが一歩一歩近づいてくる。

 時折よろめく彼女は、限りなく目の前で生きていて、かつ死んでいる最中であった。


「よし、じゃあアレを捕らえてみよう」

「はあ!?」


 彼の信じられない一言に耳を疑った。


「その、あ、ああ、あれって、」

「確かめてみなければ正体は分からない。そうだろう?」


 彼は、ハルトさんは。前に向かう人だった。


 恐怖の原因があるのならそれを解明し、取り除く。

 彼はそうしてSランカーにまで登り詰めたのだろう。

 俺みたいな、防御してしまう人間とは違う。

 咄嗟に逃げを選ぶ俺とは違う。

 彼は『勝つ』ことを知っている。


 俺もそうならなければならない。

 彼から学ばなければ。


 一度はもう冒険者は止めると決めたが、それは違う。

 俺はまだ一度も『勝利』を知らない。

 恐れるものがあるのならば、それに打ち勝たねばならない。


 俺はハルトさんの言動に初めて気づいたのだった。


「さて……まず普通に触れることはできるのかな」


 ハルトさんが彼女に手を伸ばす。

 ハルトさんの手はリドリーちゃんの柔らかい頭髪に触れようとして……すり抜けた。彼女の身体はハルトさんの手に触れられた瞬間、まるで残像のようにたのだ。


「やっぱり幽霊、なんですか?」

データだけの存在をそう呼ぶのなら、或いはそうかもしれない」


 ハルトさんは紅い瞳でリドリーちゃんを見つめている。

 彼のあの紅い方の瞳は確か鑑定の魔眼だとかなんとか言ってなかっただろうか。

 その目には何が見えているのだろう。


 彼女に実像がないと分かるとなんだか急にほっとした。

 ハルトさんが彼女に触れられないということは、つまり彼女も俺たちに触れられないということだ。彼女は害を及ぼすようなものじゃない。


「じゃあ、今度は彼女の奥を探ってみようか」


 言うなり、ハルトさんは腕でリドリーちゃんの身体を貫いた。

 いや、水面に手を突っ込んだみたいに、彼女の胸から何処かへと彼の腕が沈み込んでいるのだ。


 彼に最初の『頼まれ事』をした時と一緒だ。

 彼に俺の胸の中に手を突っ込まれ、そして俺の身体の中でガチャンと金属音がしたのだった。


 アレは一体何をしているんだ?


 と思っていると、リドリーちゃんの身体が急に激しく霞み出した。


「おっと逃げちゃダメだよ。時空停止アクティブ・キャンセル


 彼が囁くように呪文を呟くと、黒い靄が彼女を包み込んだ。

 そして彼女の身体が残像のように掠れた状態のまま止まった。


「さて。キミはどのように発生しているのか。その秘密をゆっくりと見せてもらおうじゃないか」


 ハルトさんの腕は一体何処に通じているのだろう。

 見守っているしかない。


「ふむふむ、なるほど。これはこれは」


 ハルトさんは腕を動かしながら一人頷いている。


「何か分かりましたか?」

「ああ、分かったよ。これが人為的なもの……つまり『禁忌』によって発生していることがね」


 『禁忌』。その言葉に目を見張る。

 また、悪意のある誰かがいてこの街に何かをしている。

 その事実が刃のように胸に突き刺さる。


「この『禁忌』を知る何者かは、先日の魔物災害の犠牲となった人間のデータを利用して再現している」


 彼の説明は相変わらず意味が分からない。

 もしかして俺に理解させようという気がないんじゃないだろうか。


「でも再現は独立したものじゃない。データの発現に生命エネルギーを持つ他の魂の輝きを必要としている。つまり、キミがこの路地裏に足を踏み入れてこの子が姿を現したのは決して偶然ではなかったということさ。やっぱりボクの仮説通りだったね」


「???」


 やっぱり俺への説明じゃなくて彼の独り言だよね、これ。

 俺が理解できるかどうかをまったく考慮していない説明にそう感じたのだった。


「そもそも幽霊現象というのは、生きた人間の想起と宙を漂うデータが天文学的な確率で絡んでデータの再現をしてしまうというのがその正体なんだ。けれど、『禁忌』を施した何者かはこの街に犠牲者のデータを広く濃く撒き散らしている。この街では生きた人間の誰かが意識下無意識下に関わらず想起すれば、高確率でデータが再現されることになっているという訳だ。最も、データの弱点として人が多い場所では生命エネルギーが多すぎて発現自体ができないんだけどね」


 俺も彼の説明を理解しようとするのはやめよう。

 そう思ったのだった。


「君がこの子の幽霊を初めて見たとき、その直前に心の何処かで一人娘がいなくなってしまったメイヤール家のことを心配していなかったかな。或いはリドリーちゃんとやらを救えなかった自分の無力さを嘆いていなかったかな。もしくはこの薄暗い路地裏の入口を見て『幽霊が出そう』と思ったりとか。そういう想起が、例え自身で知覚出来ない無意識下での思考であっても、幽霊を呼び覚ますんだ。今のこの街はそういう風になっている」


「つまり、俺が彼女のことを考えてしまったから……っ!?」


「いや、悪いのは『禁忌』を利用した誰かさ。街に幽霊を出現させて何をしたいのかなんて皆目見当もつかないけれど、それは本人に聞けばいい。もうすぐこの子の情報からが完了する。そうすれば誰が犯人か分かるよ」


 彼が何を言っているのかは分からないが、彼が犯人を突き止められるということは分かった。やっぱりSランカーは凄い。


 そう思っていた時だった。


 俺たちの周りの地面がぼこぼこと沸き立つ。

 まさかさっき妄想してたみたいに、魔物が地面を貫通して湧き出してきたのか。


 咄嗟に剣を抜くと、湧き出して来た何かは三人ほどの人間の形になった。

 どれも知らない顔だったが、彼らは共通して虚ろな目をしていて――――どう見ても生きているのがおかしいほどの傷を負っていた。


「まずい、自動迎撃プログラムだ。こいつらはデータだけの存在とは違うぞ。ボクは逆探知で手が離せない。ノエルくん、ヤれるか?」


「でも、この人たちは……」


 この人たちは盗賊でも何でもない普通の一般市民だ。

 刃を向けてもいいものか躊躇いが生じる。


「大丈夫だ、犠牲者たちはあの災害の時に死んだんだ。こんな歪んだ形で蘇らせられた人間を斬ったところで、何の罪にも問われないよ」


 罪に問われるかどうかを気にしている訳じゃない。


 けど彼の言いたいことは分かった。

 何をしても彼らを救うことはできない。

 だから、俺たちは俺たちの生命を優先する為に彼らを斬るしかない。

 そういうことですよね、ハルトさん。


 ここで彼らを斬ることを躊躇うのは、それこそ自殺のようなものだ。

 俺を大事に想ってくれている人たちを悲しませる訳にはいかない。


 何よりハルトさんを守らなければならない。

 彼は俺に大事なことを気づかせてくれた人なのだから。


「あ゛ァ……」


 彼らが両手を突き出して俺たちに向かってくる。

 彼らはアンデッドのようなものだろうか。

 ならばこれだと剣に昏い闇を蔓延らせるイメージをする。

 剣身に黒い靄が纏わりつく。


「へえ……!」


 ハルトさんが驚いたような声を上げる。

 そういえばこれ、ハルトさんの魔術を勝手に借りているんだった。

 後で彼に怒られるかもしれないが仕方ない。


「はぁぁッ!!」


 俺は声を上げてアンデッドのような犠牲者たちに斬りかかっていった。

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