第41話 幽霊騒動

 私は生まれながらに胎にナニカを宿していました。


 捨て子だった私は教会で育ち、当然のようにクレリックとなりました。もしかすれば、両親は私の胎にいる邪悪なナニカに気づいて私を捨てたのかもしれません。


 胎のナニカはいつも泣き喚いていました。

 と。

 胎の中で蠢く昏く黒いナニカは、いつもそれを望んでいました。


 私はそれを無視しました。

 いつもいつも模範的なクレリックであれるように努めていました。その甲斐あってか周囲も私を優秀なクレリックであると思ってくれるようになりました。


 私は本当は人間じゃないのかもしれない。そんな風に思うこともありましたが、周囲からの評判が私を人間にしてくれていた。


 嗚呼。


 アレさえなければ、その化けの皮が剥がれることもなかったのに。


 胎のナニカはもう泣くことはありません。

 今は満足げにクスクスぐるぐると笑っているのです。


 *


 男の死体が人気のない場所で見つかる事件はあれから毎晩のように起きた。

 "切り裂きジル"は確実にこの街にいる。


 それに今日はもう聖女クリスティアナ様がこの街にいる最後の日だ。

 この数日間、クリスティアナ様は病院や神殿などあらゆる場所を訪問して人々を癒した。だがそれも終わりで、明日には彼女達は帰ってしまう。


 胸中に暗い思いを抱えながらも、<<小鹿亭>>で働いている時のことだった。


「やあノエルくん、ちょっと頼み事があるんだけど……」

「嫌です!」


 酒場に現れた黒髪の彼、ハルトさんを俺は咄嗟に拒絶してしまった。

 何というかこう、彼の独特の雰囲気を目の当たりにすると反射的に嫌な予感がしてしまうのだ。


「ははは、手厳しいなあノエルくんは。まだ何も言ってないんだけど」

「あ、すみません……」


 頭を下げて拒絶してしまったことを謝った。

 彼は仮にも命の恩人なのに何をやってるのだろう俺は。


「それで今日の頼み事はね」


 彼は何事もなかったかのように俺に頼み事をしようとしている。

 彼も彼で図々しいところがある。


「近頃、巷で騒がれてる幽霊話の調査さ。キミも噂は聞いたことあるだろ?」


 彼の口にした内容に心が重くなる。

 幽霊。リドリーちゃん。

 思えばその事に関してはずっと逃げてきたような気がする。


「その噂の出処について探りたいのだけれど、何ぶん人手が必要でね」

「あの、ハルトさん。その噂のことなんですけど」


 ハルトさんの方からその話題を口にしてくれた今がチャンスだ。

 今、彼に話さなければ俺はきっと一生このことを誰にも相談できないだろう。


「俺……その噂の幽霊を見たのかもしれません」

「ほう? それは興味深いね、是非聞かせてくれないか」


 俺は彼にあの時のことを語った。


「なるほど。あの後そんなことがあったのか。キミのことを送っていくべきだったかもしれないね」


 一通り聞くと彼はそんなことを呟いた。


「いやいや! 俺ももう立派な男なんですから、そんなのいいですよ!」


 と一生懸命拒否したところで気が付く。

 ハルトさん、今は<<小鹿亭>>に泊まってないなと。


「あれ……そういえばハルトさん、今は何処に泊まってるんですか?」


 他の宿屋に鞍替えされたのなら寂しいなと思いつつ尋ねる。


「え? 夜は向こうの世界に帰ってるけど?」


 ハルトさんはきょとんとしながら答えた。

 向こうの世界って……異世界のことだよな?

 近くのパン屋に行くよりも気軽にふらりと世界を渡る彼に、俺は絶句してしまったのだった。これがSランカー……!


「よし、じゃあその女の子の幽霊と思しき何かを見かけた場所に行ってみよう」

「え……!」


 彼の言葉に身体が固まる。

 あれ以来あの道を通ることすら出来なくなっているのに。

 よりにもよってその場所に行こうだなんて。


「キミの気持ちは分かる。でもどうか手伝ってくれないか」


 ハルトさんが真っ直ぐに俺を見つめて頼み込んでくる。


「ボクはね、この幽霊騒ぎとここ最近の連続殺人事件は決して無関係ではないと思っているんだ」


 連続殺人事件。彼はそんな異世界の概念を口にする。


 殺された人間が何処の誰かは知らない。

 でも、どんな人間だったとしてもあんな風に惨い状態にされる必要はないんじゃないか。きっと、物凄く痛くて痛くて怖い思いをしながら死んだはずだ。


「分かりました……あんな惨いことを止められるのなら、頑張ります」


 *


 <<小鹿亭>>から貴族街方面へと、海に沿うように伸びた道。

 まだあの子の幽霊と遭遇した場所が見えた訳でもないのに、そこを歩く俺は冷や汗をかいていた。


「ボクが何故、幽霊騒ぎと連続殺人事件を結び付けたかというとね」


 歩きながらハルトさんが説明をする。


「毎晩のように見つかる死体……どうにも同一人物のもののようなんだ」

「……は?」


 彼の口にした言葉が上手く呑み込めず、俺は目が点になった。

 死体が全部同一人物? 何を言ってるんだ?

 同じ人間が何回も死んで何個も死体を残すことなんて出来る訳……と考えて気づく。


 俺は既に自分の死体があるのにも関わらず生きている人間を知っている。

 ライアンだ。


「残念ながらDNA……ああ、生命の因子を調べることはできないんだけれど、多分間違いない」

「まさかあの研究が何か関係が!?」

「可能性はあるね」


 ただ、とハルトさんが続ける。


「もし生命因子の魔術が使われているのだとしたら、わざわざ同じ人間を何人も造り出して殺す意味はなんだ? ボクとしてはね。生命因子の魔術よりももっと最悪な『禁忌』が持ち込まれている……そんな気がしてならないんだ」


 あれよりももっと最悪……?

 彼の言葉にぞっと背筋が寒くなる。


「あ……ここら辺、です」


 リドリーちゃんが這い出てきた路地裏の入口が見えてきた。

 もちろん、あの小さな女の子の姿はない。


 もしかすればリドリーちゃんは本当に生き残っていて、大怪我を負っても奇跡的に死ななかった彼女を俺はここに置いてけぼりにしてきてしまったのではないか。

 そんな恐れもほんの少しばかりあったけれど、そんな訳はなかった。


「ふむ、ここから出てきたんだね?」


 ハルトさんが路地裏を示す。


「はい、そうです」

「じゃあ中に入ってみよう」


 ハルトさんは易々と言う。

 いや、あれくらいのことをトラウマに思って気にしている俺の方がおかしいんだ。「頑張ります」と彼に言ったのだから、躊躇ってはいられない。


「はい、分かりました」


 俺たちは薄暗がりの中へと足を踏み入れた。

 路地裏は狭苦しく、汚らしい。

 薄暗い中で道に落ちている犬の糞などを踏みそうになる。


 何より、圧迫されるような感じがあった。

 見上げると空は本当に狭くて、建物が湾曲して俺たちを閉じ込めようとしているかのように思える。


 この街の真下に<<迷宮>>があるという事実が、急に空恐ろしく感じられた。

 地面から今にも魔物が湧き出してきて俺に襲い掛かるんじゃないか。

 そんな妄想に憑りつかれる。


 実際にはこの街と<<迷宮>>は地続きの空間にはないから魔物は入口からしか上がって来れないし、第一、巫女の結界があるから安全に決まってるのだけれど。


 それでも<<迷宮>>の真上に街があるという事実に耐え切れず、あの魔物災害をきっかけに街を離れた人もいるらしい。その感覚が初めて理解できた気がした。


 ひたり、ひたり。


 足音のようなものが聞こえる。

 だがこれが足音だとしたらおかしい。

 足音が軽すぎるし、これではまるで裸足で歩いているような音じゃないか。


 疑問に思いながら振り返ると、そこには……


「おにぃ、ちゃん……」


 忘れようもない、あの子の姿がそこにあった。

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