第40話 迷宮は人を呼ぶ

「ノエル、少し話をしないか」


 レメリアーノから港街ポルト・ガットへと戻る道中。

 俺たちはまた一泊野宿をすることになり、俺が火の番をしている最中のことだった。起きていたライアンが俺に話しかけてきた。


「ノエルは……いや、ヘンリーもモニカも。みんな優しいな」


 彼が隣に座ってぽつぽつと呟くように話す。


「僕は記憶喪失であの暗い場所に倒れていたところを皆に保護されて、何処の誰なのかも分からない。そんな得体のしれない人間なのにみんな親切にしてくれて、臨時のギルド職員にもなれた。これは、すごく恵まれていることなのだと思う」


 彼は本当に自分の出自について何も教えられていないのか。

 彼が見つかった場所がモンゴメリー家の地下であることも。

 恐らくは彼が魔術によって生み出された存在であることも。


 知らなければ幸せだとでもギルド長たちは思っているのだろうか。


「うん。それで?」


 穏やかに話の続きを促す。


「そう。でも、僕は……時々、堪らなく怖くなる」


 パチパチと、焚火が微かな音を立てて揺れている。


「ノエルには笑われるような悩みかもしれない」

「笑わないよ。話してみろ」


 焚火を見つめながら言う。


「僕は――――違うんじゃないかと、思うんだ。僕はただの魔物災害に巻き込まれて記憶喪失になった人間じゃなくて。もっと恐ろしいよく分からないナニカなんじゃないかって。時々、そんな考えに憑りつかれる」


 彼のその悩みはすんなりと俺の頭に馴染んだ。


「僕は、僕は人間なんだろうか? 何が僕を人間だと証明してくれるのだろう」


 彼の声は震えていた。

 彼にとってはその恐怖が野宿の外気よりも身を震わせる冷たいものなのだろう。


「……そんなの、人間だからこそそんな風に思い悩むんだろ」

「ああ……そうか、そうなのか」


 俺の言葉に彼の震えは小さくなっていた。


 俺も、この晩の彼の言葉を聞いて初めて彼を人間だと思えたのだった。


 *


 港街ポルト・ガットに戻り、ギルドに聖女様からの書類を届けてから一週間が経った。旅の間ずっと<<小鹿亭>>の仕事を休んでしまったので、この一週間はその分酒場で働きまくっていた。


「おい、また出たらしいぜ。犠牲者の幽霊」


 大っぴらに噂する酒場の客。

 この間の魔物災害の犠牲者の幽霊が出るという話は、もうすっかりこの街に蔓延っていた。


 もちろんそれに対して怒る人間もいる。

 だが港街の怪談話は次第に違う色を帯び始めていた。


 信憑性が出始めたのだ。

 面白おかしい話としてではなく、本当に幽霊が出ると人々は信じ出している。


 もしかしてアレは、本当にリドリーちゃんの幽霊だったのだろうか。

 リドリーちゃんは本当に助けてもらえなかったことを恨んでるのか?

 考えるだけで胃が苦しくなった。


 そんなある日のことだった。


「ノエルくん、聖女様が街に到着したよ! 明日は教会でクリスティアナ様のお説教があるんだって」


 モニカちゃんがわざわざ酒場まで来て、そう教えてくれた。

 大教会よりは小さいが、この街にも起源教の教会がある。

 明日はそこで礼拝を行うのだろう。


「クリスティアナ様が来たんだ」


 久しぶりに良いニュースを聞いたような気がした。

 そんなに信心深い訳ではないが、明日は久しぶりに教会に足を運んでみようか。


「ノエルくん、明日は一緒に礼拝に行かない?」


 先を越されてしまった。

 だが彼女が俺を見つめる瞳には幸福が満ちていた。

 悪い気分ではない。


「うん、いいね」


 こくんと頷いて、誘いを受けたのだった。


 *


 翌朝、俺とモニカちゃんは教会へ向かった。

 長椅子に腰掛けてしばらく待っていると、礼拝の司会を務めるクレリックさんが現れた。


「あれ、あの子……」


 司会者はレメリアーノで会ったピンクツインテールの子だった。

 きっとクリスティアナ様と一緒に街に来たのだろう。

 確かマリーっていう名前だったかな。


 マリーの司会進行によって賛美やお祈りなどを行っていく。

 この間のレメリアーノでの礼拝と違い、教会に集まった信者たちは誰もが真剣な顔をしていた。

 うとうととしている人は一人もいない。

 誰もがこの間の災害で傷つき、真剣に救いを求めているのだ。


「それではクリスティアナ様による説教です」


 クリスティアナ様が説教台に立つ。

 いつもの慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。

 その表情に何だか胸の内がほっとするのを感じた。


「皆様どうも初めまして。クリスティアナと申します。本日は聖書に記されているある言葉についてお話をしたいと思います……」


 穏やかな声が礼拝堂に満ちる。


 この街も時間が経てば悲しみが癒えて、元の平和な街に戻ってくれるのかもしれない。聖女様の話を聞いてそう思えたのだった。


 *


 そう思っていたのに。

 事件は翌日起こった。


 <<小鹿亭>>で使う魚を買い付けるために、日の出前から俺は市場に向かっていた。随分な早起きをすることになったが、その代わり午後からは休みだ。

 俺は市場まで近道をするために路地裏を通ることにしたのだった。


 日の出前の路地裏はほとんど真っ暗で何も見えなかった。


 ぱしゃん、と自分の足が液体をはねる。

 水たまりがあったのかなと一瞬思ったが、雨は降ってなかったはずだ。

 何か変なものでも踏んづけてしまったかなと立ち止まって下を見る。


 暗闇に慣れてきた目がそれを映し出した。

 真っ赤な真っ赤な水たまりを。


「ッ、」


 悲鳴すら出ないほど驚いた。

 思わず後退ると、俺は何かに躓いて転んでしまった。

 何に躓いたのかとソレを見る。


「――――――――ッ!!!!!」


 今度こそ悲鳴が喉から迸り出た。


 *


「惨殺死体をそこで発見した、という訳ですか」


 ギルド館で俺はボナリーさんに事情聴取をされていた。

 身体に付いた汚れはタオルで拭き取ってもらったが、まだ血の臭いが全身にこびりついている。


 路地裏に転がっていた死体……無残に引き裂かれていた。

 魔物に食われている途中の人間の死骸はそれはそれは惨いものだと<<小鹿亭>>の常連さんから聞いたこともあるが、あれはきっとそれ以上だ。


 例えるなら、そう。食べ物で遊ぶ子供のように、人間の身体を弄んだ痕だ。

 幾重にも引き裂かれ、串刺しにされ、貫かれ。それでも、あれが男性の死体だと判る程度には原型を留めていて……駄目だ、はっきり思い出すとまた吐きそうになる。


「はい、あれはまるで……悪魔の仕業のようで……」

「ふむ。魔物の生き残りが人気のない場所で生き残り続けていたのでしょうか」


 彼に説明しながら、つい最近似たような言葉を聞いたなと思い当たる。


「ボナリーさん、あの関係ないことかもしれませんが……レメリアーノの"切り裂きジル"って知ってますか?」


 もしも聖都からこの街まで悪魔が来たのだとしたら……

 そんな、最悪の想像が頭を過ったのだった。



 それからボナリーさんはすぐさまレメリアーノのギルドに連絡を取ったらしい。

 そして"切り裂きジル"について詳しい冒険者の人がこの街に派遣されてくることになったようだ。もしかしてそれってシャルルさんたちのことだろうか。


 聖女様も、"切り裂きジル"も、シャルルさんたちも。

 まるですべてがこの街に集まってくるかのようだ。


 <<迷宮>>は人を呼ぶ。


 迷宮の財宝を求めて冒険者たちが殺到し、その冒険者を相手に商売する人間たちが集まり、さらにそれを……という風に連鎖していって近くに迷宮が生まれた町が発展することを「人を呼ぶ」と表現する。


 でも、この街は……それだけに留まらないものを呼び寄せている。

 そんな気がした。

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