第38話 御子と吸血鬼は語らう

「君は――――哀れな人間だな」

「なッ!?」


 彼は嘲っているのでもなく、本気で憐憫の眼差しをオレに向けていた。

 何故吸血鬼ヴァンパイアにそんな視線を向けられねばならないのか分からなかった。

 困惑は怒りに変換され、カッと頭に血が上る。


「君は今の質問をしたくて昨晩みたいに殴りかかってきたのだろう?」


 吸血鬼ヴァンパイアが言葉を重ねる。


「要は、君は他人とのコミュニケーションの手段として『強奪』することしか教えられてこなかった。普通に尋ねればいいものを、君は答えを奪いに来た。今までもずっとそうだったのだろう?」


 思わず椅子からガタリと立ち上がる。


「だって、そんなこと聞いて素直に答える奴があるかよ! だったら最初から殴った方が効率的だろうがッ! ことのはを盗んでいく鼠にだってずっとそうしてきたんだ! それを、否定するのか! 人間ですらないやつが!」


「ああ、否定するとも。それは普通ではないよ」


 彼は何の誤魔化しもなく、真っ向からオレを否定した。

 言葉も出なかった。怒りすら冷えた。

 彼に提供された食事を完食した後で良かった。

 今だったらきっと砂の味がしただろう。


「さて、君の質問に答えようか」


 オレを慰めるでも何でもなく、彼は普通に会話を続ける。


「何故俺が人間を守ろうとするのか、大体そんな意味の質問だったな」


 力無く椅子に座り直す。


「元人間だからとか、いろいろ理由があるにはあるんだが……まあ一番の理由は『正義の味方』でありたいから、かもしれないな」


「はあ?」


 突拍子もない言葉に眉を顰めた。


「永遠に近い生命を得た俺は、少なくとも心は人間であり続けようとした。その証として俺はなるべく人間の近くで生き、人間の営みを守ることにした。

 最初のうちは苦労したが、今はこの街のギルド長を定期的に務めることで安定した生活を送れている。いつまで経っても年をとらない俺を人々が不審に思う頃になったら何十年か姿を消し、また戻ってきて『何代前のギルド長の親戚だ』と言ってまたギルド長に就任する、という風にな。

 その度に名前を変えた。今はドゥオと名乗っている」


 吸血鬼ヴァンパイアは穢れた生き物。


 そう教会に教えられてきたオレが初めて彼に会った時、オレは胸が高鳴った。

 穢れた生き物である筈の吸血鬼ヴァンパイアが人間を守っているように見える。

 常々抱いてきた疑問を、こいつなら答えてくれるという予感がした。


 オレは帝国の何処かの普通の家庭に生まれ、その日のうちに教会に引き取られた。

 両親が何処の誰かも知らない。

 ただ、きっと幸せに暮らしてるだろうと思う。

 御子の産みの親には莫大な報奨金が与えられるから。


 そして御子として立派に世に貢献する為の教育を施されてきた。

 教会の連中が言うところの『清いもの』にだけ触れさせられて生きてきた。


 でも、オレは……心の何処かで、ずっと、世界はもっと広いものなのではないかという疑問を抱いていた。


 そして彼は本当にその疑問に答えてくれて、結果としてオレは自尊心が粉々になった。


「本当の名前は?」

「そんなことまで君に教える義理はない」


 すげなく返されてしまった。

 吸血鬼ヴァンパイアはケチな生き物、と心の中の新しいノートに書いておこう。


「そもそも俺が定期的にこの街のギルド長をしてること自体、赤の他人に話すのはこれが初めてなんだ。それだけで我慢したまえ」


 小さな子に話すみたいに、優しい声音で言われた。

 何百年も昔から生きている吸血鬼ヴァンパイアからしたら、そりゃオレは赤子のようなものだろう。


「なあ、もう一つだけ聞いていいか?」

「うん。なんだね?」


 ちくしょう、優しい微笑みが癪に障る。

 そんな表情、そんじょそこらの人間よりよほど"人間"じゃねェかよ。


「なあ……普通っていうのは、どうするんだ? 普通の人間はどうやって他人と関わるんだ?」

「ああ……」


 彼は壁にもたれかかるのを止め、オレの前の席に座った。


「今、君がしているようにやればいい。それを君はもう出来ている」


 瞼が熱くなる。

 この野郎、なんでそんな真剣にオレに向き合うんだ。


「俺からももう一つ質問していいか?」

「クソ、もうなんでも聞けよ」


 オレはもう投げやりになって答えた。

 乱暴に涙を拭う。


「どうして君はことのは狩りをしているんだ? 御子というのは、いわば女神教の顔だろう? ずっと教会の中にいてそこで信者に祝福を与えている……そんなものを想像していたのだが」


「ああ、そうか。帝国の外ともなるとそれくらいの事情も伝わってないのか」


 空になった皿が乗った盆を片付けろと言わんばかりに彼の方へ押し出す。


「じゃあ教えてやる。オレにはな、姉がいるんだよ」


 そう言って、語り始めた。


 始祖神ゼーデと女神レムア様というのは随分な気まぐれで、御子が地上に降臨するのに何百年もかかることもあれば、同時代に二人も三人も御子が生まれることもある。

 オレの場合も先に生まれた御子がいて、その女はオレの姉ということになった。もちろん姉も白銀の髪に薄紅色の瞳だ。傍から見ればそれこそ血の繋がった姉弟のように見えるだろう。


 姉は異常者だった。

 姉はとにかく傷ついた人間を見るのが好きだった。

 傷ついた人間を見ると姉はそれはそれは幸せそうな笑みを浮かべた。


 だから姉は、効率よく傷ついた人間を目にする為の行動に出た。

 それは治療だ。


 教会を訪れた信者はもちろん、大病院から小さな施療院まで。

 傷ついた人間が集まるあらゆる場所に出かけて、御子としての奇跡を行使して人々を癒した。


 姉は慈悲深い万人の癒やし手と思われた。

 姉が傷ついた人間を目にした時の愉悦の笑みは慈愛の笑みと捉えられた。


 人は鞭よりも飴で動くことを姉は分かっていた。

 実際、今では怪我人や重病人の方から姉を訪ねる。

 こうして姉は自動的に愉悦を満たすことができるようになった。


 姉の愉悦を知っているのはオレだけだ。

 いや、それとも治癒術師というのは皆大なり小なりそういう嗜好があるのか。


 とにかく、女神教の顔として相応しいのは姉の方だ。

 余り物のオレは御子としての権力を利用してことのは狩りをする為に育てられた。

 同じ人間から知恵という形のないものを奪う狩りの手法を徹底的に仕込まれた。


「そうしてオレはことのは狩りをする御子になったってェ訳だ」

「そうか……」


 彼はただ静かに息を吐いた。

 またオレのことを憐れんでいるのだろうか。

 と思ったら彼は口を開いた。


「ああ、あともう一つだけ聞きたいことがある」

「まだあるのかよ!」


 どんだけ質問するんだよとうんざりする。


「さっきの料理……美味かったか? いやなに、他人に料理を出すのは随分と久しぶりのことでね」

「はあ?」


 思わず呆れた声を出してしまった。

 吸血鬼ヴァンパイアがそんなことを気にするなんて、と言いそうになったが彼の表情を見て口を噤む。その凛々しい表情には、ほんの微かに不安が滲んでいる。

 なんだコイツ、何気なく聞いた振りを装っちゃいるが、本当は味覚まで人間離れしてないか案じてるのか?

 本当に、下らないことを気にする吸血鬼ヴァンパイアだ。


「ンなの、あんな手の込んだ料理美味ェに決まってるだろ。ごっそーさんでした」


 あんたは人間よりもよほど人間らしいんだ、少しくらい自信を持てってーの。

 オレの返答に嬉しそうな表情をする彼に苛々としていたその時、ポケットが震えた。


「おっと通信だ」

「魔道具を持ち込んでいたのか。気づかなかった」


 ポケットから平べったく滑らかに磨かれた水晶を取り出して覗き込む。

 素材もこれに籠められた魔術も、庶民には手の出せない高価な魔道具だ。

 ほどなくして部下の姿が水晶板に移り込む。

 通信を勝手に見てはいけないと思ったのか、吸血鬼ヴァンパイア……いやドゥオとか名乗ってるんだったか……が咳払いをして後ろを向く。


「何? 間違いねェだろうな」


 水晶板から聞こえた部下の声に念を押す。

 部下が詳細を説明する。どうやら部下の語ったことに間違いはなさそうだった。

 すぐに向かう、と伝えて通信を切った。


「何かあったのか?」


 ドゥオが尋ねる。


「あんたにとって良い報せか悪い報せかは分からないが……新しいことのはが見つかった」


 オレは思わず獲物を目の前にした猟犬のごとき獰猛な笑みを浮かべていた。


 ああ、オレも姉のことをとやかく言えないかもしれない。

 オレは狩りと強奪が好きで堪らないのだ。

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