第37話 赤い尻尾

「あなたたち、お姉さまに頭を下げさせるなんてどういう了見!?」


 ピンク髪のクレリックは予想通り俺たちに噛み付いてきたのだった。

 聖女様が勝手に頭を下げてきて俺たちも困惑したくらいなんだけどな。


 ピンクツインテールの子が持っている杖には黄色ジョーヌの紐が結ばれている。

 彼女は下から三つ目の階級のクレリックさんということだ。


「えっと……」

「言っておくけど、お姉さまはね! 統一戦争で10代の頃から活躍していた英雄なのよ!」


 彼女はどうやら俺たちに口を挟ませる気がないらしい。

 モニカちゃんもいきなり怒られてどうしたらいいのかオロオロとしている。


「ちょっと平和になったくらいであなたたちのような木っ端冒険者に舐められていいような存在じゃないんだから、お姉さまは!」


 この子にはさっきのヘンリーの一言が聞かれていなくて、本当に良かったなと思った。もしも聞かれていたらこのピンクの火山が爆発していただろう。


「あの、僕たちも決してクリスティアナ様への敬意を欠いていたとかそういう訳ではなくってですね……」


 ライアンがあたふたとしながらピンク髪の子を宥めようとしている。

 俺たちの代表者は彼だと思われているようだし、ライアンに任せてしまおう。

 そう思っていた時だった。


「あら、マリー!」


 クリスティアナ様が書類を手に抱えて戻ってきた。


「お姉さま!」


 先ほどまでの怒りはどこへやら、マリーと呼ばれたピンクの子の顔はキラキラと輝き出した。


「ふふ、何かお話でもされていたのですか?」

「今オレたちはこの女にいびられ、」

「うわー!!」


 告げ口しようとしたヘンリーの口を慌てて塞いだ。

 油断も隙もあったものじゃない。

 架け橋になってくれと言われてきたのに、不和の種を撒いてどうする。


「?」

「少しばかり他愛のない話をしていただけですわ」


 マリーはにこにこと一心にクリスティアナ様の顔を見つめている。

 彼女は本当にクリスティアナ様のことを崇拝しているのだろう。

 

 そっとヘンリーの口から手を離すと、彼はむすっと不機嫌そうではあるが黙ったままでいてくれた。口にしない方がいいことだという事を分かってくれたようだ。


「あらそうなの。マリーにお友達が出来て良かったわ」


 クリスティアナ様もマリーに慈愛の微笑みを投げかけている。

 確かにこんなにも優しい微笑みを毎日のように浴びていれば、半ば彼女の狂信者のようになってもおかしくはないかもしれない。そんな風に思ったのだった。


 よくよく見ればクリスティアナ様とマリーの耳には全く同じイヤリングが付いていた。マリーの髪の色にそっくりな桃色の石があしらわれている。

 マリーが贈ったのだろうか。二人は本当に仲良しなんだろう。


「はい。こちらが書類でございます。お待たせしてしまって本当に申し訳ありませんでした。私がそちらを慰問する時には、また貴方がたに会えるかしら?」


「どうでしょうね。会えるといいなとは俺たちも思います」


 そんな会話を最後にして、俺たちは大教会を後にしたのだった。


 *


「んあ? メシの匂い?」


 食欲をそそる匂いが鼻を擽り、オレは意識が覚醒した。


 身体を起こすと、オレはベッドに寝ていたことが分かった。

 だが見覚えのないベッドだ。

 オレは確か昨日吸血鬼ヴァンパイアに喧嘩を売りに行って……そしてどうなったんだっけか。

 あの吸血鬼ヴァンパイアが自分で髪を切ってオレの束縛から逃れやがった辺りから、急に記憶がぼんやりとしている。


 辺りを見回すと、件の吸血鬼ヴァンパイアの姿はすぐに見つかった。

 どうやらオレは独り身の人間が暮らすようなごく狭い部屋にいるらしかった。


「は? 料理?」


 吸血鬼ヴァンパイアのしていることを後ろから覗き込んで、呆然とした。

 この吸血鬼ヴァンパイアはことこととシチューを煮込んでいる。一体何の冗談だ?

 吸血鬼ヴァンパイアっていうのは人間の血肉だけで生きるものじゃないのか?


「おや、起きていたのか」


 吸血鬼ヴァンパイアが振り向く。


吸血鬼ヴァンパイアっていうのはもっとこう……穢れた生き物じゃねェのかよ。なんで料理なんて泥臭いことしてんだ」


 オレは思わず脱力してしまった。夢を壊された子供のような気分だ、とはオレの売った喧嘩を児戯扱いした彼には口が裂けても言えぬが。


「君が目を覚ました時に腹が減っているだろうと思ってね。だがその様子ならいらなさそうだな」


「い、いるいる! めっちゃ腹減ってる!」


 慌てて空腹を主張し、部屋にあった食卓についた。

 吸血鬼ヴァンパイアは後ろを向いて料理の続きを再開してくれた。


 オレは彼に敗北し、ここに捕らわれている。

 そういうことだろうか。


 この奇妙な状況にぼんやりとしながら、なんとなく吸血鬼ヴァンパイアの後ろ姿を眺める。


 そしてオレは気が付いてしまった。

 吸血鬼ヴァンパイアが後ろで一纏めにした髪の房の短さに。

 小さな小さな赤い尻尾が彼の後頭部にちょん、とくっついているかのようだ。


「ぶっははははは!! おっ、お前それ、可愛い尻尾だなおい!」


 腹を抱えて大笑いする。

 彼の尻尾に焦げた箇所は見当たらない。きっとあの後で焦げた毛先を自分で切ったのだろう。自分で散髪する吸血鬼ヴァンパイアなんて想像するだけで本当に面白かった。

 腹の底から笑ったのは随分と久しぶりのことのような気がする。


「そうだな。誰かさんのせいでね」


 お盆を持ってこちらへと来た彼は、にこにこと笑いながら額に青筋を立てていた。おやまあ、随分と人間らしい表情を浮かべることで。


「ま、そっちの方が男前でいいんじゃねェか?」


 ニヤニヤとしながら彼の髪を揶揄うのを楽しんだ。


 彼がオレの前に置いた盆の上には、シチューとパンと蒸した魚とコップに入った水が乗っていた。

 ごくりと唾を飲む。この狭い部屋は地下室なのか、窓がないから時刻は判然としないが、自分の感覚からするともう昼ごろのような気がする。

 空腹の身にはこの食事は堪えがたいものがあった。


「いただきます」


 手を合わせて食前の祈りを一言で済ませると、料理に手を付け始めた。

 オレが食事を口に運んでいる間、彼は壁にもたれかかってオレのことをじっと見つめていた。


「何だよ、見られてると食べづらいだろ」

「君は怯えないのだな。君が言う吸血鬼ヴァンパイアに囚われているというのに」


 なんだそんなことか、とシチューに入っていた柔らかい鳥肉を味わってから答える。肉の旨味が口の中に広がる。


「だってオレを殺すつもりなら、オレはこうして目が覚めてないだろうしな」


 蒸し魚をナイフで切って、フォークで口に運ぶ。

 白ワインで蒸され、レモンを添えられたそれは口の中に爽やかな旨味をもたらした。


「分かっていても警戒心ゼロで躊躇なく敵の出した食事を口にするなんて、普通はできないことだと思うがな」

「敵? 敵じゃねえだろ。オレはただ単に遊びに来ただけだ」


 御子の玉体に手出しをすればどうなるか、知らぬはずもあるまい。

 どんなにオレに非があったとしても御子が殺されたとなれば……そうだな、戦争にでもなるかな。

 ことのはを狩るためにオレが傍若無人を振るえるのは、御子としての権力ゆえとオレは承知している。


「君はそう思っていても、俺は君を尋問するつもりなのだがね」

「はいはい、さっさと何でも聞けばいいだろ」


 こんな立派な食事を出しといて何が尋問だ。

 彼がオレを手荒に扱うつもりがないことは明白だ。

 まあ彼が何か聞きたいことがあるというのなら、答えてやるのも吝かではない。


「では聞こう。貴様たちはあの研究をどうする気だ? あれは『魔術街』でも禁術指定エンバーゴーズされた危ういものだということは知っているだろう」


「そんなのオレが知る訳ねえだろ。オレたちはいつもそれっぽいものを探し出してきて回収するだけだ。集めたことのはは研究者どもが捏ね繰り回している。始まりのことのはを開発するためにな」


「それじゃあ、あの研究を悪用することはないんだな」


 吸血鬼ヴァンパイアの表情が少しほっとしているように見えて、それが意外だった。

 この吸血鬼ヴァンパイア、まさか本当に本気で人間のことを思っているのか。


「そんなことを心配していたのか。安心しな、オレたちハイエナは一度自分のモノにした獲物は誰にもやらねェ」


 パンを乱暴に噛み千切り、咀嚼する。


「今度はこっちから聞こうか。あんたは吸血鬼ヴァンパイアの癖にそんな風に人間の心配をして、ギルド長までやっている。それは何故だ? あの時だって、日差しを我慢しながら地下研究所に駆けつけてきたんじゃねえのか? 吸血鬼ヴァンパイアがそこまでする意味はなんだ? オレはずっと、それを聞きたかった」


 コップの中の水を一気に飲み干すと、ダンッとテーブルに置いて彼を睨みつけた。


「なるほど、そういうことか……理解したぞ」


 ところが彼はオレの質問に答えるどころか、うんうんと一人で何かに納得し出した。


「あ?」


「いや何、今の質問で君のことが理解できてね。君は――――哀れな人間だな」

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