第36話 お姉さまの生説教を耳にできるなんて

「児戯とは言ってくれるな」


 鬣狗ハイエナが油断なく隙を見計らっている。


「ああ。正直……御子が何故こんなことをしているのか理解できないな。わざわざ人外を相手に選んで喧嘩を売る意味とはなんだ? それこそ子供の遊びのようだ。」


 わざと彼を挑発するようなことを口にする。

 さあ早く飛び込んでくるがいい、と。


「理解できなくて結構、オレを理解できるのはオレだけだッ!」


 御子が再び跳んだ。


 ここだ。

 御子の跳躍に反応できるように全神経を集中させていた俺は、その場で双剣を振りかぶった。

 もちろん刃は御子には遠く届かない。だが振りかぶられた魔剣の刃からは熱風が起こり、真っ直ぐに御子へと紅と蒼の炎が奔る。


 使い手に魔術の心得がなくとも、意図に応えて魔術を放つ。

 これこそが魔法剣と魔剣を隔てる一つだ。


 御子の足が屋根から離れたこの一瞬なら、避けようがない筈。

 迸る炎が御子の姿を包み込む。

 俺に遠隔攻撃の手段があるなど、彼は思いもしていなかっただろう。


「む、肉の灼けた臭いがしない……?」


 炎が消えたそこに彼の姿はなかった。

 まさか灰すら残ってないなんて筈はない。

 ならば、何処に。


「こっちだ」

「む、グ……ッ!」


 グン、と頭が引っ張られる感覚。

 髪を乱暴に掴まれて引き倒される。


「御子ともなると空中で飛ぶことができるのか?」


 痛みに顔を顰めながら、どうやって襲い来る炎を避けたのかと尋ねる。


「そんなんじゃねえさ。ただお前が何か仕掛けてくる気配があったから、雷で自分の身体を弾き飛ばしただけだ」


「出鱈目な」


 御子が俺を見下ろして、嬉しそうに笑いながらパチパチと拳に雷の力を溜めていく。

 こうなれば後は嬲るだけとでも思っているのか。

 ああ、全然駄目だ。この手にはまだ双剣が握られているというのに。


「グレイス」


 蒼剣の名をそっと呼ぶ。

 すると一条の蒼い炎が剣先から細く走る。


「ハッ、オレを攻撃して手を離させようっていう魂胆なら……、」


 彼も喋りながら気づいたようだ。

 そう、この炎の目的は攻撃ではなく。


「髪を焼き切るだとっ!?」


 焔のように赤い紅い長髪が中ほどで途絶え、俺は自由になる。

 油断し切っていた御子は無防備な身体を晒している。

 俺は素早く起き上がると、


「その白い首筋が美味そうだ」


 御子のうなじに牙を突き立てた。


「な、ぁ……ッ!?」


 ゴクリ、ゴクリ。


 傷口から流れ込んでくる豊潤な血液を嚥下する。

 口を離すと、御子の身体はその場に崩れ落ちた。

 彼の身体が屋根から落ちてしまわないように支える。


「ああ、やはり神の子の血は美味であった」


 *


「クリスティアナ様なら、ただいま説教中です」


 翌朝、昨日と同じ時刻に大教会へと足を運ぶとそう言われてしまったのだった。

 昨日ちゃんとクリスティアナ様に確認を取ったのにな。


「あれ、おかしいな」

「大方予定を忘れていたのだろう。あののほほんとした顔、いかにもうっかりをやらかしそうじゃないか」

「こらヘンリー! 相手は聖女様だぞ!」


 ヘンリーの容赦ない物言いに慌てる。こういう時に「そういえばヘンリーも常識がない側の人間だったな」と思い出させてくれるのだった。

 人前ではちゃんとする分、ライアンの方が公共の場では常識的と言えるかもしれない。


「うふふ。良かったら皆さまもクリスティアナ様の説教を聞いていかれてはどうですか?」


 応対してくれたクレリックさんの笑顔が怒気を孕んでいるように見えて恐ろしかった。圧力に押し負けて俺は首を縦に振るしかなかった。


 大教会の礼拝堂では、説教台からクリスティアナ様が信者の人々を見下ろしていた。

 今日のクリスティアナ様の装いは昨日とは違って手首まで隠れる長袖の装束だ。半袖の神官服も清楚で良かったが、説教をするからより格調高い装束にしたのだろう。


「皆様ご存知の通り、教えにより自殺というものは固く禁じられています。ですがそれは自殺をすると魂が地獄に落ちるから、ではございません。苦しんだ末に自ら命を絶った可哀想な魂に神はそんな仕打ちをしません。では、何故自殺をしてはいけないのでしょうか。今日はそれをお話します」


 ステンドグラスから柔らかい陽光が降り注ぐ中、クリスティアナ様の暖かい声が響く。思わずうとうととしてしまっている信者の姿も中にはあった。


「ああぁ、お姉さまの生説教を耳にできるなんて……!」


 礼拝堂の片隅からそっと顔を覗かせるピンク髪のツインテールの女の子もいた。

 服装からするとあの子もクレリックなんだろうけど、なんなんだろう……。


「聖書にはこうあります。『地も川も空も、人も。すべては神の造り給うたもの。故に、この世のすべては神のもの。一人ひとりすべての生命は残らず神に還すときが来るのです』、と」


 厳かというよりも、ただひたすらに優しい声音で。

 こんな人がポルト・ガットに来て、多くの傷ついた人を見舞ってくれるということがどんなに得難いことかやっと理解できたような気がした。


「ええ、皆さまの生命は神さまの造ったもの。つまり、神さまのものなんです。それはつまり皆さまが一人残らず神さまに愛されているということでもあります」


 クリスティアナ様が礼拝堂にいるすべての信者を見渡す。

 一瞬、彼女と視線が合ったような気がした。


「あ、あたしを見た! お姉さまがあたしを見た!」


 うん、きっと気のせいだな……。


「ですから、他人に借りたものを勝手に壊してはいけないように。皆さまの生命はご自身のものではなく、神さまのものなので、勝手に殺してはいけないのです」


 一番前の席に座っているおじいさんがすっかり気持ちよさそうな顔で眠りこけている。あそこがステンドグラスからの陽が一番よく当たって気持ちいいのだろう。

 クリスティアナ様はそれに顔を顰めるどころか、微笑ましそうに一層にこにこするばかりだった。


「どんな生命も、少なくとも神は愛して下さっています。自ら生命を絶っては、愛してくれているかみが悲しみます。ええ、ただ悲しいのです。自殺をした魂に罰は与えません。ただ深く深く悲しみに胸を痛めるだけ……」


 まるで聖女自身が全人類を慈しんでいるかのように。

 彼女は微笑みを受かべる。


「だから、私たちは繰り返し伝えます。『自殺をしてはいけませんよ』と。悲しみを目にしたくないから」


 シン、と居心地のよい静寂が礼拝堂に染み渡る。


「私の話はこれで以上です」


 そしてクリスティアナ様は説教台を下りた。


 拍手でもした方がよいのだろうかと思ったが、信者の人々はそんな素振りを見せない。そこは俺の村の小さな教会で行われていた小さな礼拝と一緒だった。

 礼拝堂の空間はただただ柔らかな静寂を尊重していた。


 *


「本っ当に申し訳ありません! 私、昨日はこの時間に礼拝での説教があることをすっかり忘れていまして!」


 クリスティアナ様が俺たちに大して猛烈な勢いで頭を下げる。

 礼拝が終わった途端にこれだった。


 どうやらヘンリーが言っていたように、予定を忘れてダブルブッキングしてしまったようだ。でも正しい推理だからといって口に出していいとは限らないんだぞ、ヘンリー。


「いえいえ大丈夫です、おかげで素晴らしいお話を聞けましたので!」


 偉い偉い聖女様に頭を下げられていることに、俺たちの方が慌ててしまう。

 俺たち木っ端冒険者の時間がいくら浪費されたところで何の問題もない。


「今お渡しする書類を持ってきますので、少々お待ちくださいませ!」


 クリスティアナ様はびゅーんと何処かに飛んで行ってしまった。

 仕方ないので待つことにする。


「……ちょっと」

「はい、何ですか?」


 声をかけられたので振り向くと、そこにいたのはさっき礼拝堂の片隅で興奮していたピンク髪のクレリックさんだった。

 またもやあくの強そうな人に目を付けられてしまったなと、俺は内心で暗澹としたのだった。

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