第34話 聖都レメリアーノ
「ノエル、おはよう! 今日もいい天気だな!」
「ノエル、今度僕にも魔法剣の使い方を教えてくれないか?」
「ノエルは乗り物酔いはしないのか? すごいな!」
翌日から、それは始まった。
ライアンが俺に懐いてやたらと馴れ馴れしいのだ。
俺に声をかける彼の顔を見て、まるで母親にじゃれつく子供のようだと思った。
「ライアン。そんなにはしゃいでいたらお前こそ酔うんじゃないか?」
そして俺もそんな彼を邪険にはできなかった。
それをすることは己の悪心を認めるのと同義なような気がしていた。
なにせ彼は生まれたばかりの赤子。
そんな彼に冷たい態度を取ったら、俺の方が悪に決まっている。
「ノエルくんとライアンさん、仲が良くなったんだね。よかったよかった」
俺たち二人の様子を見て、モニカちゃんは何故だか上機嫌そうなのだった。
「それにしても昨日のオレの活躍はどうだ、見事なものだったろう!」
ちなみにヘンリーは誰と誰がどんな仲だろうがどこ吹く風だ。
彼は彼の道を行く。
三日目は、何事もなく。
馬車は月が出る前に聖都レメリアーノへと辿り着いたのだった。
間に合うために早朝に起きた甲斐があったというものだ。
馬の蹄が石畳を踏んでカポカポと小気味いい音を立てる。
夕暮れの中、街灯に魔術師たちが魔術で灯りを点けて回っている。
吹きつける風が潮の香りを孕んでいないのが何だか不思議だった。
大きな街と言えば、あの港街しか知らなかったから。
今日は聖女様を尋ねに行くにはもう遅い。
馬車はギルドがあらかじめ予約を取っていた宿屋の前に泊まる。
<<猪足の微睡み亭>>。店に入る前から中の笑い声と喧噪が聞こえてきた。
どうやら繁盛している宿屋のようだ。
宿にチェックインし、まずはそれぞれの部屋に荷物を置きに行く。
そして宿に併設されている食堂に夕食を摂りに降りる。
辺りを軽く見回して先に降りてきていたモニカちゃんと……彼女に声をかけている男の姿があった。
「やあ、カノジョ。一人? 良かったら一緒に食事しない?」
「なっ……!」
モニカちゃんが茶髪の怪しい男に話しかけられている!
彼女と男の間に立ちはだかるべく足を速める。
だがその前にモニカちゃんの返答が聞こえた。
「ご、ごめんなさい、あの、私は、もう恋人がいるので……」
彼女がそこまで言ったところで、モニカちゃんと男の間に滑り込んだ。
「なるほどね、噂をすれば影っていう訳か」
「その、つまり、彼女は俺の……」
男らしく「モニカに近寄るな!」とでも一喝すれば良かったのだろうが、他人に対して怒り慣れていなくてもごもごとしてしまう。
そうか、俺はもうモニカちゃんの恋人なのか……。
「ふふ、そんなに睨まなくても大丈夫さ。人のモノには手を出さない主義でね。カノジョが一人に見えたから声をかけただけなんだ、悪かったよ」
茶髪の伊達男は茶目っ気たっぷりにウィンクする。
「どうしたノエル、急に走ったりして」
後からヘンリーとライアンたちがやってくる。
「へえ、そっちの子たちも可愛いね。良かったらオレと今晩遊ばないか?」
伊達男はなんとヘンリーたちにまで声をかけ出した。
男も女も関係ないのかコイツ……!
「ほらほら、そこまでにしておけシャルル。すまんな坊主ども、コイツときたら見境がなくて」
そんな伊達男を止めたのが眼帯のおっさんだった。
「師匠、いいところだったのに……!」
伊達男が眼帯のおっさんを振り向いて睨みつける。
その表情は彼の印象を若くさせた。
伊達男は
「シャルル、おめぇが今やるべきはナンパじゃなくて聞き込みだろぉ?」
眼帯のおっさんがシャルルと呼んだ伊達男の耳を引っ張る。
「いだだだっ、だって可愛い子がいたから、つい」
「ついじゃない!」
なんだか愉快な人たちもいたものだなと彼らのやりとりを眺める。
「ああ、そうだ詫びといっちゃなんだが坊主どもにも忠告しておこうか」
眼帯のおっさんが俺たちを見る。
「最近、聖都では冒険者の男が殺害されている事件が何件か発生している」
「え……っ!?」
おっさんが口にした内容に瞠目した。
「と言っても殺されたのはどいつもこいつも犯罪者一歩手前のならず者だ。だが殺され方が少々特殊でな……」
「特殊、とは?」
ヘンリーが興味を持つ。
「そこまでは言えねえよ。まあそいつらが殺されたのは真夜中のことだ。あまり夜遅くまで出歩かない限りは安全さ。儂らはギルドからこの事件の調査を依頼されたから知ってるんだがな」
「そうなんですか。貴重な情報をありがとうございます」
ライアンが頭を下げる。
「いやいや、いいんだよ。コイツが絡んで怖い思いをさせちまったからな。さ、行くぞ」
そしてシャルルという伊達男は眼帯のおっさんに引っ張られて去っていったのだった。
「ああいう人もいるんだな……」
ライアンが感慨深げに呟いた。
*
「ここが、大教会か……!」
目の前に聳え立つ威容に首が痛くなるほどだった。
あの街の教会すら大きく感じたのに、大教会はそれ以上だった。
尖塔のようなものがいくつも突き出ているその装飾に、「何もここまでトゲトゲさせる必要があるのか」なんて思ったりするのだった。
「わああ、すごいなあ! こんなものは初めて見た! なあ、ノエルもそう思うだろ!」
ライアンは今日もやっぱりいちいち俺に話しかけてくる。
俺の何がそんなに気に入ったのだろうか。
「ああ、うん、そうだな」
適当に答えながら大教会へと足を踏み入れる。
途端にライアンは大人しくなった。流石に教会の中では静かにしなくてはいけないということは分かっているか。
大教会の内部をがっしりとした何本もの大理石の柱が支え、ステンドグラスに描かれた精霊様が俺たちを見下ろしている。とても美しい。言葉を失うほどに。
ライアンが手近な神官にギルド員の証であるバッヂを見せて聖女クリスティアナ様に取り次いでもらうようにお願いする。書類はちゃんと直接彼女に渡すように頼まれているから。
そしてどれほどか待たされただろうか。
「聖女様ってどんな人だろうね」
そうモニカちゃんと言葉を交わしていた時だった。
その人は現れた。
長い睫毛に縁どられたハシバミ色の瞳。
それが子を見守る母親のそれのようにとろんと垂れて、慈悲深さを感じさせる。
彼女を表す言葉はまさにこの二文字しかない。
「聖女」、そうとしか言えない美しい
「どうも皆さまおはようございます。港街ポルト・ガットからようこそいらっしゃいました」
声まで優しく温かく、聖女然としていた。
彼女の髪は白と黒を基調としたベールの中にぴっちりと仕舞い込まれている。
半袖の装束から伸びるすらりとした白い手がクレリックとしての杖を握っている。
彼女の手にしている杖に結ばれている紐の色は
これは確か上から数えて三つ目の階級なはずだ。つまりとても偉い人……!
他のクレリックの女性はベールから髪を覗かせている人もいるし、やっぱり偉い人は服装もちゃんとしてるということだろう。
「これはクリスティアナ様。わざわざお会いになる時間を作って下さり感謝いたします」
ライアンがすらすらと言葉を並べて頭を下げる。
そうしていれば彼はまるで物語に出てくる王子のようであった。
そういえば彼も元は貴族なんだったな、と思い出す。
「こちらがお届けに上がった書類でございます」
「まあまあ、これはどうもご丁寧にありがとうございます」
聖女様は恭しい手つきで封筒を受け取る。
「はい、確かに受け取りました。それではまた明日、ここに来ていただけますか? 中身を確認した上でそちらに渡さなければならない書類もございますので」
「承知いたしました。ではまた明日の、同じ時刻に参ります」
「ところで、つかぬことをお伺いしますが……」
聖女クリスティアナ様が俺に視線を移す。
「お二人はとても似ていらっしゃいますね。もしやご兄弟なのですか?」
お二人、とは俺とライアンのことだろう。俺と彼は目と髪の色が同じだから、ぱっと見は似ているように見えるかもしれない。
「いえ、違います。目と髪の色が彼と同じなのはまったくの偶然です」
きっぱりと答えた。
ライアンがちらりと俺を見る。
「あらまあ、そうでしたか。これは失礼しました。髪と目だけでなく、なんとなく立ち居振る舞いなども似ているように思いましたもので」
今度は俺がライアンをチラリと見た。そんなに似ているところがあるだろうか?
「そちらは巫女の方ですよね。お会いになれて光栄です」
聖女様がモニカちゃんに向かって頭を下げる。
「そんなっ、こちらこそ光栄です! クリスティアナ様のお話はポルト・ガットまで届いてますので!」
モニカちゃんも頭を下げる。
俺はクリスティアナ様が何をしてる人なのかとか、まったく知らない。
少なくとも俺の耳には届いてないようだ。
「いいえ、私こそ嬉しいのですよ。精霊様を信仰する巫女の方と相まみえることができて。太古から信仰されてきた精霊様は始祖神ゼーデ様の御使い。巫女様たちには信仰の祖として見習うべきことが沢山あると常々思っていますの」
クリスティアナ様はモニカちゃんに優しい声を降り注がせる。ほんわりとしたモニカちゃんと優しい聖女様が会話を交わす光景は桃源郷のようで、ずっと見ていられると思った。
「今は時間が無いのですけれど、機会があればお茶でもできたら良いですわね」
「ええ、本当ですね」
美人なクリスティアナ様に見つめられて、モニカちゃんも頬っぺたが少し赤い。
女の子もやっぱり美人に見つめられると照れるものなのかな。
その後も一言か二言ほど聖女様と言葉を交わして、俺たちは神殿を後にした。
「さて、明日までまる一日時間が空いたな」
「じゃあその……」
モニカちゃんがチラチラと目配せをしてくる。
ボナリーさんも言っていた。思い出作りになるといいですね、と。
ここはその、モニカちゃんといわゆる――――デートなるものをするチャンスではなかろうか。
「あの、モニカちゃん……っ、」
「ノエル、一緒に街を見て回らないか!」
勇気を振り絞って口を開いた瞬間、割り込んできたのがライアンだった。
少しは空気を読めと思わず恨めし気に彼を見つめてしまった。
しかし口に出しては言えない。
モニカちゃんは何故か俺とライアンが仲良くなったように見えることを喜んでいる。彼女は善性の人だ。俺の中のライアンへの嫌悪感を理解できるはずもない。
モニカちゃんに嫌われたくない。
だから、ライアンとは仲良くしなければならない。
「ならば全員で観光だな。まさかオレだけ置いていくとは言わないよな?」
ヘンリーが眼鏡をキラリと光らせる。
彼の期待に満ちた表情に、ふっと肩から力が抜けるのを感じた。
「ま、そうだな。全員でこの都を楽しむとするか」
このパーティならば、案外上手くやれるんじゃないか。
俺はそんな気がしてきていた。
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