第33話 悪心

「乗り物酔いになったら言って下さいね。辛さを緩和できる魔術がありますので」


 モニカちゃんが馬車内のメンツに声をかける。


「ではその時には遠慮なく。実を言うと乗り物酔いしやすいタチでな」


 即答したのがヘンリーだ。

 「はい」だか「うん」だか曖昧な返事をしたのがライアン。


 ライアンの様子を何となく観察する。

 艶やかな長い金髪を後ろで一つに纏め、碧眼は切れ長で涼しい。

 生前はさぞかし異性にモテたことだろう。

 見れば見るほど俺と似ている点なんて、髪と目の色くらいしか思い当たらない。

 モンゴメリーさん、まさか髪と目の色で息子を判別していたんじゃなかろうな。


 いや、共通点はもう一つあった。

 ライアンは腰に剣を提げている。きっと彼も俺と同じく剣士なのだろう。

 と言っても俺は魔法剣士だ。ただの剣士とは違う。


 ……というか彼は戦えるのかな。

 彼の状態は生まれたばかりの赤子のようなものではなかろうか。

 護身のために持っているだけで、あの剣は飾りということもあるかもしれない。


 冒険初日は何事もなくのんびりと時が過ぎ去っていった。

 順調に道を進んだ馬車は宿場町に辿り着く。


 宿代もギルドから出る。

 ギルドからの金品の類をすべて預かっているライアンがそれを支払った。


 ギルドから宿代が出ると言っても、一人一人が個室に泊まれるほど贅沢はできない。俺たち男三人が同部屋で、モニカちゃんは個室だ。


「これで一日目が終了だな」


 部屋に着き、荷物を下ろすとヘンリーが白いローブを脱ぐ。


 レメリアーノまでは順調に行けば馬車で片道三日ほど。

 このまま行けばあと二日で旅の半分は終わるという訳だ。


「魔物が出てこなくて残念だったか?」


 一息吐いているヘンリーに声をかける。


「まさか。最初から期待などしていなかったさ。街からいくらも離れていないのに馬車を襲う度胸のある魔物や盗賊なぞいないだろう」


 『期待』と言うからには、やはり新技を披露するのを楽しみにしていたのだろう。彼の相変わらず具合にくすりと微笑む。


 俺とヘンリーの会話に混ざることもできず、黙って鎧を脱いでいるのがライアンだ。

 俺も彼に対して邪険にしたい訳ではないが、彼とは何を話したらいいか分からない。彼に関して深く考えると、彼を一個の生命として扱っていいのかどうかすらよく分からなくなるから。


 結局、その晩は彼とまともに会話も交わすことなく眠りに就いた。


 *


「気配がする」


 ライアンが突然そう口にしたのは二日目の馬車の中でだった。


「魔物か盗賊か?」


 モニカちゃんに乗り物酔い止めの魔術をかけてもらっていたヘンリーがその言葉に反応する。


「どうやらそのようだ」


 そのやりとりから幾らもしないうちに馬車が止まった。

 俺たちは馬車から素早く下りて武器を構える。


 数人の男が馬車の前に立ちはだかっている。

 どの男もボロキレ紛いの服と武器を身に纏っている。

 どう見ても盗賊だ。


「王国によって世界が統一されてもうすぐ十年経つというのに、治安の悪いことだな」


 ヘンリーが呟きながらチョークめいた彼の杖を動かしている。

 盗賊たちの足元に遠隔で魔法陣が描かれていく。

 それが攻撃のための動作なのだと盗賊たちは知る由もない。


「通行料、金貨5枚。置いてってくれりゃぁ悪いようにはしねえよ」


 盗賊の頭と思しき男がドスのきいた声で脅す。


 金貨が5枚もライアンの持っている財布に入っているかどうか定かではないし、入っていたとしても旅賃が無くなって任務は失敗に終わるだろう。盗賊たちの言いなりになるわけにはいかない。


「もう少し現実的な金額を提示すべきだったな」


 剣を鞘から引き抜きながら、その刀身に炎を籠める。

 大丈夫だ、今度はちゃんと戦えそうだ。

 相手はただの痩せた人間。何も怖れることはない。


「僕たちは与えられた任務をこなさなければならない。断る」


 ライアンもきっぱりと言って剣を抜く。

 まさか戦うつもりなのか?

 もしも彼が怪我した場合には俺が助けなければ。


地穿衝動アース・クエイクっ!」


 不意打ちでヘンリーが短縮詠唱と簡易魔法陣の複合発動をさせた。

 盗賊たちの立っていた地面が突如として盛り上がり、吹き飛ばした。

 魔法陣から外れた場所に立っていて無事だった盗賊に俺は素早く切りかかる。


 「ぐ……っ、あぁッ!」


 盗賊は斧で俺の剣を受け止めたが、炎に炙られて斧の刃が溶けていく。

 それ以前に熱で刃を合わせていられなかったのか、盗賊はすぐに斧を取り落とした。

 無防備になった盗賊の腹を蹴って、地面に転がしておく。

 ここまですれば逆らう気も起きないだろう。


 その間にライアンも盗賊の一人と剣を合わせていた。

 助けに入るべきかと思ったその瞬間、ライアンの力が押し勝って盗賊の刃が弾かれる。

 ライアンが盗賊の首に素早く刃を押し付け、盗賊は降参した。

 少し見ただけで分かってしまった。ライアンの剣技の冴えは俺なんかよりずっと上だと。俺の心配は杞憂だった。


「ミョル・ギク・ヌエラ……っ!」


 静やかに少女の声が響く。

 すると盗賊たちの顔を暗雲のようなものが覆った。地面に倒れ伏していた盗賊たちが、視界が暗くなったことに慌てふためいて手足をばたつかせている。


「巫女の乗る馬車を襲った貴方がたには、精霊様の呪いがかかりました」


 少女の声が朗々と辺りに響く。

 モニカちゃんが馬車から降りてきて、盗賊たちに語り掛けているのだ。


「もしも貴方がたが心を入れ替えぬのならば、精霊様がいずれ貴方がたの魂を冥府へと導くでしょう」

「ひ、ひィい……っ!! お許しをォ!!」


 大の男たちが目が見えなくて方向が分からないながらも、その場で土下座して頭を地面に擦り付けている。


「善行を積みなさい。精霊様はいつでも貴方がたを見ています」


 大の男数人に向かって一人の少女が静かに語り掛ける様は神秘的で、彼女の栗色の髪が風になびく様に思わず見惚れてしまった。見えもしない精霊が本当に彼女の周りを飛び回っているようにすら感じられた。


「ははぁ……っ!」


 そこで盗賊たちの顔を覆っていた暗雲がぷつりと晴れ、盗賊たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


「巫女ってあんな凄い呪いもかけられるんだ……」


 陶然とした心地でモニカちゃんに話しかける。


「え、いや、違うよっ? あれはただの目暗ましの魔術! 精霊様の呪いなんてないよ!」

「え?」

「巫女は精霊様の教えで人を傷つけちゃいけないから、盗賊とかに遭った時はああいう風に対処することになってるの」


 どうやらさっきの神秘的に思えた光景は嘘だったらしい。こんなにも愛らしい顔して堂々と荘厳たる嘘を吐いた彼女のギャップに胸がトクリと鳴った。


「ともかくこれで一件落着だな」


 ヘンリーはローブに付いた土埃を払うと、早々に馬車に乗り込んだ。

 俺たちもそれに倣った。


 *


「今夜は野宿か」


 盗賊に足止めされた分の遅れを取り戻すように馬車は進んでくれたが、日が暮れてきても馬車は宿には着かなかった。御者の提案によって、完全に日が暮れてしまう前に野宿の準備をすることになった。

 そんなことも当然あるだろうと思っていたので、不満はない。


 道から少し外れて焚き木を集めていると、ふと人の気配がした。

 顔を上げるとライアンがいた。同じく焚き木拾いをしていたのだろう。どう言葉を交わすべきか分からず、唇を少し噛んで焚き木拾いに勤しもうとする。


「その……」


 なんと彼の方から口を開いたので再び顔を上げた。


「君は、魔法剣が使えるんだな」

「それがなんだ」


 一体どんな文句を付けるつもりなんだと咄嗟に身構えた返答をしてしまう。


「いや、その、ただ……とてもすごいことだと思って」


 素直な誉め言葉を口にするライアンの顔は、最初見た時のように幼さを感じさせた。やはり今までは気を張って普通の人間らしく振舞っていたのだろうと、その表情から察してしまう。


「べ、別にっ、俺はたまたま才があっただけだ」


 彼の拙い誉め言葉に頬が緩みそうになったのが何だか悔しくて、怒ったような顔をしてしまった。


「でも、才能があること自体がすごいことだと思う」


 真っ直ぐな言葉。

 彼はあくまでも生まれたばかりの赤子のような存在。

 そんな彼の言葉を真に受けて喜んだりしたら馬鹿みたいだ。

 そんな思いでぎゅっと眉根に皺を寄せる。


 大体、彼の剣技の方が凄いじゃないか。


「それで? そんなことをわざわざ言いに来たのか?」


「え、うん。なにか話をして、仲良くなろうと思って……。ギルドの人たちには『今回の依頼を通して交友関係を広めなさい』と言われているので」


 ギルド員さんたちには、俺やヘンリーが旅を共にすれば誰とでも友達になれるようなフレンドリーな人間に見えているのかな。それが例え人間かどうかよく分からない生命体相手でも。


「でも、難しいな。君には何故だか最初から嫌われているようだし」

「な……っ、」


 俺の嫌悪が最初から彼に気取られていた。その事実が俺の胸を突き刺した。

 彼を認められない心が、彼を人間以下だと思う気持ちが表に出ればそれは現実になってしまう。

 俺はそんな他人に対して黒い感情を持つような人間にはなりたくなかった。


「…………嫌ってなんて、いない」


 そう答えるので精一杯だった。


「ほんとか! よかった、考えすぎだったんだな!」


 それでもそんなお粗末な答えに彼はぱっと顔を輝かせて子供のように笑うのだった。


「じゃあ、僕たちは友達。だよな?」


 彼が差し出した手を、俺は内心複雑な気持ちで握って握手したのだった。

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