第32話 接吻け
「どうも、ライアンです」
想い人のことも忘れ、現れたその男に目が釘付けになった。
忘れようもない金髪碧眼の青年がそこにいる。
「皆知っていると思うが、先日の魔物災害の折りに保護されたライアンという冒険者だ。何でも記憶喪失らしく、身元が分からないため現在は臨時のギルド員ということになっている」
身元が分からない。この明らかな嘘をギルド長がわざわざ全員に伝える意味は「そういうことにしておいてくれ」というお願いだろう。
故ライアンの棺と遺体は回収されて父親と同じ墓に埋まっているのに、新しく造り出された彼はここにいる。
そのことが奇妙で不確かで……あまり深く考えないように思考を逸らす。
「臨時職員ではありますが、当ギルドの代表として今回の依頼に同行させて頂きます」
ライアンはそつのない挨拶と共に頭を下げた。
ここだけ見れば彼はまるで普通の人間だ。あの時の不安げなあどけなさの面影はない。
あの時は動揺していただけだったのだろうか。それともこの短期間で、精いっぱい普通の人間に見えるような立ち振る舞いというものを学んだのだろうか。
彼の姿に胸の底がざわつく。
「私はこの街の神殿代表巫女として、付いていきます」
モニカちゃんが軽く頭を下げる。
「女神教徒は駄目なのに、巫女はいいのか?」
とヘンリーが疑問を口にする。
「ええ。起源教と女神教では教義が相容れませんが、巫女の信じる古代宗教は精霊を信仰する素朴なもの。対立するどころか、この街と聖女様との架け橋としての役割がモニカ様には求められています」
そう説明したのはボナリーさんだ。
「精一杯がんばります!」
モニカちゃんの宣言。彼女の表情はやや緊張しているように見える。
任せられた大役に見合うように気を張っているが、内心は不安もあるのだろう。
そんな彼女のことを守りたいという気持ちが湧いてくる。
依頼の内容は書類を届けるだけなのだし、受けてもいいんじゃなかろうか。
冒険者をやめるの、ほんの少しだけ先に延長しよう。
そう決めて俺はこの依頼を受けることにしたのだった。
*
「世界三大迷宮の一つが存在する港街、ポルト・ガット」
桜色の唇が言葉を紡ぐ。
「そこから起源教の大教会がある聖都レメリアーノまで。ふふ、これって大冒険だよね」
そう俺に微笑みかけるのはモニカちゃんだ。
ギルドに俺たちが呼び出されたのは夕方のことで、もう辺りは暗くなっていた。
だから俺が彼女を神殿まで送ろうと提案して、そうして俺たちは二人っきりの夜の散歩を楽しんでいる。
「そうだね。まさかモニカちゃんと一緒に旅ができることになるなんて思わなかったな」
旅の間は彼女の姿を目に焼き付けていられる。
そのことを思うと楽しみで仕方なかった。
「うん、私も嬉しいよ、ノエルくんと一緒で」
「う、うん……っ」
互いに照れて顔が見れない。
どうしよう、何を話せばいいのだろう。
「あのっ、手を繋いでもいいかな……?」
声に振り向くと彼女が上目遣いに俺を見つめていた。
俺の勘違いでなければ、彼女の深緑色の瞳は好意を滲ませていた。
「ああ」
考えるまでもなく彼女に手を伸ばした。
それを彼女がおずおずと握る。その手は緊張しているのか汗ばんでいた。
いや、それとも俺の手が汗をかいてるのか。
「その、これは、えっと……」
「ダメだったかな?」
「いやいや、そんなことは! ただ、嬉し過ぎて……。何でただの新米冒険者に過ぎない俺が、君にって」
モニカちゃんが隣でくすりと笑う。
彼女から花のようないい香りが漂っているような気がして、くらりとしそうだ。
「ノエルくんが立派な冒険者かどうかは関係ないよ」
形のいい唇が微笑みを作る。
そして、
「私は初めて会った時からノエルくんのことが気になっていたんだよ」
なんて、夢みたいな言葉を続けた。
「え……なんで?」
思わず尋ねていた。
「初めて会った日、私たち二人とも孤児なんだねって話になったよね」
俺たちは<<迷宮>>で会い、安全域で少しばかり会話をしたのだった。
彼女の口からその時のことが語られる。
自己紹介の折に、巫女は元々神殿に拾われた孤児で名字などないのだと彼女は言った。俺はそれに反応して俺も村の孤児なのだと話した。
「それで私はノエルくんに聞いたよね。村での暮らしはどうだった、って」
そんな話もしたっけか。まったく記憶にない。
「そしたらノエルくんは硬い表情になってただ一言、『最悪だった』。それで話は終わり」
モニカちゃんに対してそんな不愛想な対応をしていたのか過去の俺~~!!!
過去の自分の行いに胸の内で悶絶する。
冒険者になりたての頃は随分と余裕が無かったのだ。
「私は神殿に拾われて、おばば様や大巫女様に愛されて育てられてきた。でも、ノエルくんはそうじゃなかったんだなって感じたの。だから愛される喜びを知ってる私が、その分ノエルくんのことを守ってあげたいなって思ったんだ」
そんなことを思っていたなんて。
モニカちゃんのことを見つめる。
「だから、もしノエルくんが辛いときとか、悲しいときは私を頼ってね」
ぎゅっと胸の中が熱くなるようで、同時に優しい暖かさが包み込むようで。
一人の人間の言葉だけでこんなに幸せな気分になれるなんて知らなかった。
いや、遠い昔には俺も知っていたのだろう。本当の両親が生きていた頃には。
「駄目だ。いや、いいんだけど、それじゃ駄目だ」
気が動転して要領を得ない返事になってしまう。
「俺もモニカちゃんの支えになりたい。だって、対等に、君と付き合いたいから」
「付き合いたいって……」
「うん」
彼女に真っ直ぐ向き直ると、彼女の肩を抱く。
そしてこの幸せな気持ちの返答を――――唇でしたのだった。
*
「フフクハハハハハ、さあ出発だっ!」
<<レメリアーノ>>への出立の日、ヘンリーはやけにテンションが高かった。
「こちらが聖女様への書類です。頼みましたよ」
ボナリーさんが赤い封蝋の押された封筒をライアンに渡す。
彼はそれを丁寧に鞄の中へと仕舞った。
そんな中俺とモニカちゃんは先日のことが気恥ずかしくて、顔も合わせられないでいた。
パーティメンバーがそんな空気にまるで気づく様子のないヘンリーとライアンで助かった。普通だったら目敏く気づかれて、揶揄われていただろう。
……ボナリーさんがいつもより一層にこにこと俺たちの様子を見守っているような気がするが、きっと気のせいだ。
「こちらはギルドの馬車ですので、レメリアーノまで真っ直ぐ行きます。道中、大して強い魔物の生息域もありませんし、貴方がたで十分対応できると思います。帰りもこの馬車で大丈夫ですよ」
「はい、わざわざ見送りありがとうございます」
ボナリーさんに向かって頭を下げる。
忙しい中来てくれたのだ、感謝しかない。
「それでは、良い旅を。モニカ様との思い出作りにもなるといいですね」
ボナリーさんはにこやかな顔のまま囁いた。
くっ、やはりこの男勘づいていたか!
気づかれていたことに顔を赤くしながらも、俺は馬車に乗り込んだのだった。
俺、ヘンリー、モニカちゃん、そしてライアンの四人が馬車に乗り込んだ。そしてギルドが雇ったのであろう御者が馬に鞭を打ち、馬車はがたごとと動き始めた。
俺たちの冒険が始まったのだ。
この胸に満ちる高揚感、ヘンリーが突然高笑いを始めたのも頷けた。
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