第31話 不確かで混ざり合って濁っていて忌まわしくて

「オレの"新技"の実験台になってもらうとしようか」


 新技というのはさっき言っていた秘策というやつだろうか。

 天井のような高いところにいる魔物を攻撃する手段を持っているのはヘンリーだけだし、彼に任せることにする。


「オレの新技は……これだ!」


 そう言ってヘンリーは白いチョークのようなものを取り出した。

 彼はそのチョークを魔法の杖のように宙で振り回す。

 何の魔術も発現してないようだが……と思っていると、気づいた。

 天井に止まっているオオコウモリの翼に白く魔法陣が描かれている。


「あれは、もしかして……」

「ああ、そうだとも。発動、水穿ウォータッ!」


 短縮詠唱と、簡易魔法陣の複合発動。

 彼の十八番が遠隔で発動した。

 杭のような鋭い水がゼロ距離からオオコウモリを貫く。


「ギ……ッ!」


 オオコウモリは何が起こったかも分からないまま、地面へと落ちていく。


「遠隔で魔法陣を描き、一言で中詠唱並の威力を持つ魔術を発現できる、という訳だ」


 ヘンリーが眼鏡を押し上げながら今やったことを説明する。


「凄いじゃないか……っ! 魔術師はみんなこういうことができるものなのか?」


「いえ……私も魔術について詳しいわけじゃないけど、あそこまで素早く魔法陣を描けるなんて並大抵のことじゃない筈よ」


 クレアの言葉にヘンリーが得意げに頷く。


「ふふ、そうだとも。詠唱での魔術の発動に比べ、魔法陣による魔術は指定すべきことが多い。発動する場の属性等々考慮に入れなければならないことも山ほどだ。それをここまでの速度で描けるのは『魔術街』でもオレくらいなもの……」


「おおお……」


 ヘンリーは思いの外凄い奴だったんだろうか。


「……だというのに『魔術街』の古老たちと来たら! 『魔法陣を描く素早さなど魔術の深奥の探求には到底関係のない曲芸でしかない。ま、冒険者とかいう俗物としてなら頂点に立てるかもしれんがな』だと!」


 と感心していたら、突然ヘンリーの感情が爆発した。


「ククク、それならそれでいいさ冒険者の頂点に立ってやろうじゃあないか。そう考えてオレは『魔術街』を飛び出し、<<迷宮>>のあるこの街へと来たという訳だ」


「そ、そうか……大変だったんだな」


 ヘンリーの気持ちも分からないでもなかった。

 自分の才能を下らないものと一蹴されるのは辛いことだ。


「その気持ち、分かるわ」


 何故だかクレアも頷いていた。

 彼女も似たような経験をしたことがあるのかな。


 奇妙な共感を共有しながら、オオコウモリの魔石を回収して俺たちは<<迷宮>>の第二階層へと進んだ。


 *


「燃え上がれ鋼――――ッ!」


 炎を宿した魔法剣でゴブリンの身体を切り裂く。


「はぁあッ!!」


 クレアが槍を振り回して、二匹のゴブリンを一気に押し返す。

 そのまま素早い突きで一匹、二匹と仕留めた。


水穿の檻ウォーター・ケージ!」


 地面に描かれた魔法陣から吹き上がった水の槍が残りのゴブリンを閉じ込め、そして串刺しにした。


「ち、こいつらもハズレか……。新たに湧出ポップした奴らだったみたいだな」


 戦闘が終了すると、ゴブリンたちの魔石を確かめてヘンリーが呟いた。

 <<迷宮>>から新たに魔物が染み出してくることを湧出ポップと呼ぶのだ。


「もう第二階層には透徹級は残ってないのかしらね」


 額の汗を拭いながらクレアが息を吐く。

 もう何匹か魔物を倒したのだが、透徹魔石はドロップしていない。


「今の<<迷宮>>は普通の状態じゃないから、一階層下りるだけでもリスクは何倍にも跳ね上がると思う」


 冷静に意見を口にする。


「確かにな。だが今のオレたちの実力ならばもう一階層くらいならば下りても大丈夫じゃないか?」


 ヘンリーの意見。

 確かに俺たちは危なげなく魔物を倒してきている。

 第三階層までなら実力が通じるのではないかという彼の意見も分かる。


「分かった。じゃあ第三階層への階段へと行こう」


 頷いて賛同した。慎重に行動すれば大丈夫だろう。

 万が一の時には俺が身体を張ればいい、そんな思いで。


「階段は確かこっちにあったわよ、ね……」


 先に角を曲がって様子を偵察しているクレアの言葉が途切れた。


「どうしたんだ?」


 静かに彼女に駆け寄って、そして彼女が見ているものと同じものが視界に入った。

 そこにいたのは何の変哲もないただの雑魚のスライムだった。

 ただ、ことを除けば普通のスライムだ。

 スライムは獲物を身体の中に閉じ込めてゆっくりと消化することで栄養とする。

 だからそのスライムの中には溶けた人間の一部がぷかぷかと浮かんでいて……


 つい、この間の出来事がフラッシュバックした。


 ユアンと呼ばれていた巨大スライム。ドラゴンを叩き切った後の、モンゴメリーさんとユアンとスライムの身体が混ざり合って分離しきれない半端な死体。ガラスケースの中の液体に浮かんでいたライアンという青年。ケースの中から出されたときのあどけない表情。リドリーちゃんの顔。

 そういったものが頭の中で混ざり合って……


「う――――ッ、」


 俺は胃の中の物を撒き散らしながらその場に膝を突いた。


「ノエルっ!」

「ノエルくん!」


 結局その後、俺は立てなくなってしまった。

 クレアとヘンリーに支えられるようにして<<迷宮>>を出た。


 情けない。冒険者失格だ。

 いや、元々向いていなかったのだ。

 もう冒険者としてはやっていけないと感じる。

 <<迷宮>>にもう一度潜ることを考えるだけで胃が躍る。


 自分の不確かさを叩きつけられたようだった。

 人間だった物が浮かぶ不定形の魔物に、自分の未来本性を連想してしまったのだ。

 そしてそれはもう頭から離れない気がする。


 もう冒険者はやめよう。

 ごく普通に酒場の店員として生きていくのだ。

 冒険者酒場に錨を下ろそう。


 *


 そう決意した翌日のことだ。

 俺はギルドに呼び出されたのだった。


「この間の昇格試験の結果を発表する。待たせて申し訳なかった」


 目の前には机に腰掛けるギルド長とその横に立つボナリーさん。

 そして俺と同じく呼ばれたクレアとヘンリーがいた。


「再試験が必要な者にはその旨を書面で伝えている。そしてやり直すまでもなく合格だという者には直接合格を伝えている。つまり……君たちのことだ」


 ギルド長が厳めしい顔を軽く綻ばせる。

 その表情で、俺たちはDランク冒険者になれたのだと理解した。

 クレアとヘンリーも嬉しそうに顔を輝かせている。


「そして級の上がった冒険者にはギルドから直接依頼をすることがあるのは知っているな? 早速、一つ依頼をしたい」


 え、俺はもう冒険者をやめるんだけどな。

 そう思うも口を挟める雰囲気ではないので黙っている。


「起源教の聖女に書類を届けてほしい」


 起源教の聖女? 胸の内で首を傾げる。


「私から説明をいたします」


 ギルド長の横のボナリーさんが説明を引き継ぐ。


「実を言うと、起源教の聖女クリスティアナ様から今回の魔物災害を受けてこの街を慰問したいとの打診がございました。それに際しまして事前に必要な書類を届けてほしいのです。こればかりは伝書鳩で済ませる訳には参りませんので」


 偉い人のやりとりにはいろいろ書類が必要なんだなあ、と感想が浮かぶ。


「そういうことなら私は辞退させていただきたいのですが。女神教徒が起源教の教会に足を踏み入れたら、向こうもいい気はしないでしょう」


 クレアがきっぱりと口にする。

 俺もああやって断れば良かったのか。


「ああ、いいとも。これは別に強制ではない。君たち以外にもこの依頼に同行する者はいるしな」


 同行者? 一体誰だろう。

 そう思ったその時、コンコンと部屋のドアがノックされた。


「噂をすればだ。入りたまえ」

「失礼します」


 その可憐な声に心臓が跳ねた。この声はまさか……


「巫女のモニカです、よろしくお願いします」


 モニカちゃんだ!

 と喜んだ瞬間、もう一人入ってきたのに気が付いた。


「どうも、ライアンです」


 あの時地下研究所から助け出した青年、ライアンがそこにいた。

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