第30話 りどりぃね、かおがいたいの
赤い夕陽に照らし出されたのは、メイヤールさんちのリドリーちゃんだった。
彼女は右手で顔の半分を押さえていた。
「リドリーちゃん、無事だったの!?」
彼女に駆け寄る。
彼女が実は死んだのではなく、はぐれただけだったのだろうか?
「いたい……おにいちゃん、いたいよう……」
見たところ彼女の身体には傷は見えなかったが、彼女は痛みに呻いていた。
彼女が手で押さえている顔に傷があるのだろうか。
「そこが痛いの? お兄ちゃんに見せてくれるかな?」
屈み込んで彼女に視線を合わせて尋ねる。
「うん。りどりぃね、かおがいたいの。かお……たべられちゃったから」
彼女がぶらんと手を下ろす。
そして彼女の顔半分が見えた。
それはまるで何かに貪られたかのように――――
「おにいちゃん、なんでたすけてくれなかったの……?」
こんな傷を負って、生きていられる人間がいる訳がない。
「あ、ぁ、あああああぁぁぁぁぁッ!!!!!!」
理解すると同時に俺は絶叫を上げて駆け出していた。
何も考えられなかった。
ただただ恐怖から逃れるために手と足を動かす。
必死で駆けながら、胃から酸っぱい液体がせり上がってくるのを感じていた。
<<小鹿亭>>に辿り着くと俺は胃の内容物をすべてトイレに吐き出し、そしてベッドで毛布に包まって震えた。
あれは何だったんだ。
目を閉じても彼女の顔半分が瞼の裏に見える。
幽霊。そんな言葉が頭に浮かび、瞬時に自分を頭の中で殴りつけた。
あの可愛かったリドリーちゃんが幽霊になって出てきたのかもしれない。そんな考え自体が、彼女を冒涜している。
じゃあ、あれは何だ。
彼女は言っていた。「なんで助けてくれなかったの」と。
あれは俺の罪悪感だ。
リドリーちゃんが死んでしまったと聞いた時、心の何処かで感じたはずだ。
俺のせいだと。
図書館に向かうのではなく、逃げ遅れた市民の避難を手伝いに行っていれば救える命もあったと思ったはずだ。そこから無理やり思考を逸らしていた。
俺があの時モンゴメリー家に向かった意味もあったはずだと思っていた。
実際には俺がいなくてもギルド長か誰かが何とかしたんじゃないだろうか?
俺のせいだ。
あの小さい命が失われたのは俺のせいなんだ。
その罪悪感が目に見える形となって俺を責めた。
俺は無力で、いつも間違えてばかりだ。
何者にもなれない。
*
眠れない夜を過ごした。
窓の外から見える空が白んできたのに気づき、身体を拭いて口の中をゆすいで新しい服に着替えた。
今日は休日だ。だが何をすればいいか思いつかない。
仕方なく俺は宿の廊下の窓から外をぼうっと眺めていたのだった。
「おや、ノエル。早いじゃないか」
背中にかけられた声にビクリと振り返る。
後ろにいたのは姐さんだった。
「なんだ、徹夜でもしたみたいな顔じゃないか。何かあったのか?」
顔に隈でもできていたのだろうか、姐さんに見抜かれてしまった。
でも昨晩のことは言えない。リドリーちゃんの幽霊を見たなんて言えば、昨日酒場で怒鳴られていた男と同じことになる。
「まさかメイヤールの家のことで気に病んでるのか?」
言い当てられた。
「アンタが気にすることじゃないさ。心優しい冒険者はこういう災害があると、すぐこの人もあの人も自分が助けられたはずだって気に病むがな。アンタも含めて被災者だってことを忘れている」
心なしか姐さんの声音が優しく聞こえた。
「ま、明日からシャキンとすることだ。<<小鹿亭>>の自慢の店員がそんな湿っぽくちゃ敵わないからな」
ぽん、と姐さんが軽く俺の肩を叩いた。
その言葉を聞いて、少なくとも俺は『小鹿亭の店員』としては他人に認められているんだなと実感した。
思えば仕事に慣れてきて多くの常連さんに顔を覚えられた。
みんな「ノエル」と俺の名を呼んで笑いかけてくれる。
それでいいのかもしれない。
村で思い描いていたような輝かしい何かでなくとも、誰かに認められていれば。
人はそれで充分幸せになれるのではないだろうか。
そのまま部屋でぼうっと時間が過ぎ去るのを待つ一日になるかと思っていた時だった。俺の部屋を訪ねてくる人がいた。
「クレア、ヘンリー……!」
予想外の組合せが部屋の外に立っていた。
青髪ポニーテールのクレアと緑髪癖毛のヘンリー。
二人には何か接点があっただろうか。
「ノエルっ! 三人で<<迷宮>>に潜るぞ!」
何が何やら分からず俺は目を丸くした。
どうやらこういうことらしい。
数十分前、クレアとヘンリーの二人はギルドでほぼ同時に同じ依頼書を手に取った。
「あ、あのときの人……!」
「む、君のことはモンゴメリーの家で見かけたな」
と二人は互いに見覚えがあることに気づき、話に花が咲いて俺が共通の知り合いであることを知ったらしい。
「ノエル、オレとパーティを組む約束をしたよな」
「ノエルくん、私たちあの時協力関係を結んだでしょ。それってパーティを組んだのと同義よね」
示し合わせたように二人が俺に迫る。
二人はすっかり意気投合したようだ。
ヘンリーの奴、自分で言っていたより人付き合いが上手いじゃないか。
「ええ、でもまだこの間の試験の結果も出てないし……」
と二人を宥める。
そう、ギルドは災害後の処理や対応に追われていて、この間の昇格試験が果たして合格だったのか不合格だったのかそれとも後日やり直しをするのか、それすらまだ報せが来ていないのだ。
そういえばこの間のギルド長は、みんなが激務に追われてる中を抜け出して助けに来てくれたのだろうか……。
「それなら大丈夫だ。規制は解除されている。Eランカーでも潜れるぞ」
「強化されて透徹級になった魔物が生き残っているのは今だけよ。こんなチャンス滅多にないわ」
強い魔物がまだうろついているというのなら、なおさらEランカーだけで潜るべきではない。そんな正論は到底二人に通じなさそうな雰囲気だった。冒険者として生きるって、これくらい逞しくなきゃいけないのかな。
結局、予定もなかった俺は二人に半ば引っ張られるようにして<<迷宮>>に潜ることになったのだった。
「それで、受けた依頼の内容って?」
革鎧を着込み、剣を腰に装備した状態で<<迷宮>>へと向かっている。
ヘンリーのしっかりとした足取りや健康的な顔色を見るに、彼はもうすっかり快復したようだ。まあ<<迷宮>>に潜るというからには、ちゃんと元気になったということだろう。
「今回の騒動に目を付けた『魔術街』からの依頼だ。なるべく多くの透徹魔石を採ってくれば、それだけ買い取ってくれるということだそうだ」
「多くの冒険者がこの依頼を受けてるから、今頃<<迷宮>>の魔物は阿鼻叫喚ね」
「もう一度言うけど、ちょっとでも敵わなさそうな魔物とは戦わないからな」
二人は俺の実力を買い被り過ぎてるんじゃないかと不安で、再三口にした。
魔法剣が使えるだけでクレアは俺のことを「有能」だと口にしたのだ。ドラゴンの首を俺の魔法剣で切り落としたのはたまたま出来たことなのだと、二人はちゃんと分かっているのだろうか。
「案ずるな。あれからオレも秘策を編み出したのだ」
「私も、今より強くなりたいの。その為には窮地に自ら身を投じるくらいじゃないとね」
彼らの返答を聞いて胸中に不安を滲ませながら、俺たちは<<迷宮>>への入口階段を下っていった。
「第二階層まで行くぞ。先日、街に溢れ出してきたのは元々第一階層にいた魔物だ。つまり第一階層にいた魔物で透徹級の奴はもうほとんど残っていないだろう。さりとてあまり奥に行くのも危険だ。だから第二階層で狩りをするのがベストだろう」
「ゴブリンやオークぐらいなら、まあいけるかな」
マンティコアみたいな、あれぐらい強い魔物は避ける。
そう約束をして俺たちは<<迷宮>>を進み出した。
思えばちゃんとパーティを組んで<<迷宮>>に潜るのは初めてだ。
緊張と期待に胸が高鳴った。
第二階層への階段にすら辿り着かないうちに、前方に魔物の姿が見えた。
「おい、あれ」
言わなければ天井に張り付く黒っぽい塊を二人は見逃していただろう。
昇格試験の時にクレアが相手していたオオコウモリと同じ種類の魔物に見える。
「ふむ。あれは恐らく透徹級ではなかろうが……いいだろう。オレの"新技"の実験台になってもらうとしようか」
ヘンリーは眼鏡を押し上げながら、ニヤリと笑みを浮かべたのだった。
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