第29話 白銀の御子と焔の英雄
「み、御子様っ!?」
白づくめの男を見てクレアが驚いた声を上げた。
「なに、知り合いの人なの?」
声を潜めてクレアに尋ねる。
「そんな訳ないでしょ。帝国の臣民ならあの御姿を見れば誰でも分かるわ。あれが地上に遣わされた始祖神ゼーデと女神レムアの御子だと」
数百年に一度人間として地上に遣わされるという二人の神の間にできた御子。
さっきの話ではそう聞いていたが、どういうことか分かっていなかった。
「それって間違いないの? あの人が本当に……神様の子供なの?」
「ええ。数百年に一度、この地上の何処かの家で肌も髪も真っ白で瞳だけが赤い赤ん坊が生まれる。その色が御子様が御子様である証。御子様は教会に引き取られて、そこで世の役に立つ存在になるための教育を受けるの。だからまさか、こんなところにいらっしゃるなんて……」
もう一度御子だという男を観察してみる。
剃り込みの入った白銀の短髪に、神聖さとは程遠い野卑な印象を感じさせる唇の吊り上がった笑み。細身の身体つきではあるが、腕と胸筋の起伏から彼の身体がしっかりと鍛えられていることが分かる。
今一度見ても彼は神聖な存在というよりかは軍人というか、戦士というか……そう、まさしく
「研究所が徴収されるのは明日のはずじゃあなかったかな?」
ハルトさんが額に汗を浮かべながら尋ねる。
「ああ。早めに来るのがコツだ。こうして
御子だという男がそうほくそ笑む。
「ま、待ってください! 御子様は何か勘違いしておられます! 私たちはただ単にこの街で起こった惨劇の原因を知りたくて調べているだけでございます!」
「そうだとも、キミたちが来たからにはこのまま研究所を明け渡すさ」
クレアの必死の訴えにハルトさんが乗っかる。
俺はどう口を挟めばよいかも分からずその場で狼狽えることしかできない。
黒づくめの男たちは何も言わずに研究所の中を漁り始めている。
よくよく見れば男たちの纏っている格好は女神教の神官服だと分かる。
白と黒を基調とした起源教のそれとは違い、女神教の神官は基本的に黒一色だ。
「嬢ちゃんの言うことは信じよう。だが問題はそこの黒い鼠だ」
ツカツカと御子がハルトさんへと歩み寄ってくる。俺は思わず気圧されて後退ってしまったが、ハルトさんは動じずにその場に直立している。
「チラッと見ただけでここからはごっそりと研究資料が持ち出されてるのが分かる。資料を持ち出したのはてめェだろ?」
御子がハルトさんの胸倉を掴む。
それでもなおハルトさんはにっこりと笑みを崩さない。
「ああそうだね。ボクが預からせてもらってるよ。ここに置きっぱなしにするのも不用心だと思ったから。キミたちの到着が明日だと思っていたからここにはないだけで大丈夫、ちゃんと全部キミたちに……」
ドカッ。
目の前の光景が信じられなかった。ハルトさんが喋り終わらないうちに御子に殴られたのだ。瞼が切れたのかハルトさんの紅目の方からツーっと一筋の血が垂れる。
「お前の目は信用ならねェ。いくら嘘を吐いても心は痛みませんって顔だ。そんな奴の提出する資料なんぞ信じられるか?」
確かにハルトさんはさっき「時間さえあればダミー文書作ったのになー」とか言っていた。信用できないのは否定できないが、だからといって殴ることはないじゃないか。
憤りを覚えると同時に、反射的に手をかけてしまった柄から剣と鞘へと魔力が流れ込んでいってしまう。剣が薄暗い地下室の中で淡く発光し出す。
「お、坊主。なんだその光は? まさかヤろうっていうのか?」
御子の視線が俺へと向く。思わずヒッと小さく悲鳴を上げてしまった。
魔力が流れ出すのを止めようと柄から手を離した。
偽ることもできずに相手に感情が伝わってしまうのが恐ろしくてたまらない。
「その気がないならそれでいいさ。こういう鼠野郎はどうせ偽物を渡してきたり、一部を隠したりするだろ? だから二度手間にならないようにここで痛い目を見せておかなきゃな」
「はっ、アルビノに生まれてきたくらいで神の子を名乗ってる人間がよく喋る」
血を流しているハルトさんがぼそぼそと何かを呟いた。
「あ?」
御子がもう一度拳を振り上げる。ハルトさんがまた殴られてしまう。
俺はどうすればいいのだろう。
ハルトさんが無力で弱い人間ならば、迷わず助けに入った。
だが彼はSランカーだ。抵抗しようと思えばできるだろう。それをしないのは抵抗したらもっと面倒なことになるからとか、そういう思惑がある筈だ。
この場における最善とはこの男たちを打ちのめすことではなく、場を丸く収めることだと思う。ただ、どうすればそれが可能なのか分からない。俺は無力過ぎる。
「そこまでだ」
地下室に声が響き渡る。
「誰だッ!?」
御子も、俺も、地下室にいる全員が入口を振り返る。
そこに立っていたのは、
「俺はこの街ギルドを預からせてもらっている男だ。研究資料はすべてここに持ってきた」
ギルド長だ。
御子は彼の登場がよほど意外だったのか、目を見張って釘付けになっている。
ギルド長はバサリと台の上に紙の束を置く。
「我々としては女神教会とコトを構えるつもりはない。だがこれ以上俺の街の冒険者に危害を加えようというのなら容赦はしない」
ギルド長は背中の双剣に手をかけながら男たちを威圧する。
「は……はは、はははははは!」
何がおかしいのか、御子はハルトさんから手を離して高笑いを始めた。
「ひ、ひひ、てめェ本気か? そのナリで、冒険者を守るとか言ってんのか?」
「何がおかしいんだ! ギルド長は立派な人だぞ!」
何をそんなに笑うことがあるのか理解はできないが、命の恩人を嘲られるのが我慢できなくて声を上げた。だが御子は俺の声なんか聞こえてないみたいに無視してギルド長に詰め寄る。
「なァ、教えてくれよ。オレぁ生まれてこの方清らかであれって言われて、清らかなものにしか触れさせてもらえねェで生きてきたんだ。その穢れた身体で生きるってどんな気分なんだ?」
御子が下から覗き込むようにしてギルド長を間近から嗤う。
「黙れ……ッ! それ以上口を開けば問答無用で叩き切るぞ!」
ギルド長が背中から双剣を抜いて御子に突き付ける。
「ああ、分かった分かった。面白ェもん見せてもらったのに免じてこれで手を打ってやるよ」
御子は台の上に叩きつけられた紙の束の一つを手に取ってへらへらとしている。
「おらおら、オレたちの気が変わらないうちに部外者はさっさとここから出ていきな」
俺たちは黒づくめの神官たちに突き飛ばされるようにして研究所を後にした。
クレアは彼らの言動がよほどショックだったのか青い顔で黙りこくったままだった。
「ギルド長。わざわざご足労頂きすみません」
地上への階段を上がりながらハルトさんが口を開く。
「なに。女神教徒の一団が貴族街の方へ向かうのを見かけたという報告を受けたから来たまでだ」
前を歩くギルド長の表情は見えない。
御子に言われた変なことを気にしているのかは声色からは窺えない。
「ボクも痛いことは嫌なので、貴方が来てくれて助かりました」
「ハルトさん、これからどうするんですか?」
研究所も資料も奪われ、悪しき異世界人に関しての手がかりは失われてしまった。一体これからどうやって後を追うのだろう。
「資料には大体目を通して一部は暗記もしてある。とりあえずはそれを元に調査をしてみるつもりだ。悪いがしばらくはキミたちに頼める事はなさそうだ。時が来るまでは普通に生活していてくれ」
ハルトさんは淀みなく答える。確かに俺が彼についていったところで、さっきのように何もできることはないだろう。
「分かりました」
俺は無力感に打ちひしがれながらハルトさんと別れ、<<小鹿亭>>への帰路についたのだった。
海岸に沿うように続く通りを真っ直ぐトボトボと歩く。
遠くに見える水平線には太陽が沈みかけて、空を真っ赤に染めている。
そして鼻を擽る潮の香りと生臭さ……生臭さ? なんだこの血の臭いは?
キョロキョロと辺りを見回すと、ちょうどすぐ横の路地裏の細い隙間から何かが這い出てくるような音が聞こえた。路地裏は薄暗くて何がいるのか見えない。
まさか魔物の打ち漏らしか? 咄嗟に剣の柄に手をかける。
薄暗がりの中から姿を現したのは――――
「おにい、ちゃん……」
「え……リドリーちゃん?」
死んだはずのあの子だった。
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