第28話 言狩の鬣狗
ハルトさんが目の前でにこにこと笑っている。
「今日は何の頼み事ですか? あんまり無茶なのは聞けませんよ」
「いやいや違うよ。キミの中ではボクは無茶な頼み事をする人っていうことになってるのかな?」
ハルトさんが俺の口ぶりに苦笑して、用件を口にする。
「今日しにきたのはただの提案さ。今からあの地下研究所を調べに行かないかい」
地下研究所というのはモンゴメリー家の屋敷にあった空間のことだろう。
「調べに行きたいのは山々なんですけど、俺が見ても何も分からないと思います」
あの地下研究所を調べればこの世界に『禁忌』を持ち込んだ人物について何か分かるかもしれない。だがあの時はライアンさん……らしき人物を保護したためにじっくりと調べる時間はなかったのだ。
それにしばらくは魔物の駆逐の仕事や<<小鹿亭>>の掃除などやることもあったし、そういうわけで地下研究所の調査はハルトさんやギルド員の人に任せていたのだった。
というかギルド員さんの人たちは冒険者たちへの報酬やあれやこれやの処理でもっと忙しいので、実質ハルトさん一人に任せたようなものだ。頭の良さそうなヘンリーもまだ無理はできないし。
そもそも俺はただその場に居合わせただけのEランカーだ。
本来なら蚊帳の外扱いされてたって文句は言えない。
「そうなんだけどね、実を言うと事情が変わったんだ。あそこを調査できるのは今日で最後になるかもしれない。一度自分の目で調査しておかなければキミも心残りだろうと思ってね」
「最後って、一体なにがあったというんですか?」
そう尋ねたのは、さっきからテーブルでこちらの会話が気になってそわそわとしていたクレアだった。
「
ハルトさんが声を落としてそう口にした。
くるりと背を向けて、酒場を後にしようとする彼の背中に俺は言葉を投げかけた。
「ま、待ってください!」
「うん? なんだい?」
こんなことを言ってる場合じゃないとは分かっている。
でも俺にとっては大事なことなのだ。
「ここを離れていいかどうか姐さんに聞かないと!」
「私も、さっき注文したパスタにまだ一口も口をつけてないので!」
ハルトさんは俺たちの言葉に目を丸くすると……吹き出したのだった。
「あっはは、ごめんよ。ボクもいささか急すぎたね。ついでにボクもここでランチしていっていいかな?」
*
「それで
貴族街のモンゴメリー家までの道すがら、ハルトさんに尋ねた。
「奴らは
「そ、そんな……! 何者か知らないけどそんなこと可能なんですか?」
貴族街の地区は海に面している。<<子鹿亭>>から海岸に沿うように続いてる通りを歩いていると、さざ波の音が耳朶を擽る。
「ああ――――なにせ相手は宗教だからね」
その言葉にクレアが息を飲んだ。
"はじめに
これが聖書の最初のページに刻まれた言葉だ。
だから、この世界最大の宗教である起源教とその派生である女神教の者は、世界を形作っているのは神の
地下研究所への隠し階段を下りながらハルトさんが説明する。
「そして
女神教。名前は聞いたことがあるが、どんな宗教なのかはよく知らない。
なんでも起源教から枝分かれした宗教で、その元である起源教とは酷く仲が悪いのだとか。起源教の方を旧教、女神教の方を新教と呼ぶ者もいる。
「そうね、ここら辺では馴染みが薄いわよね」
クレアが口を開く。ピンと来てないのを見抜かれたのだろう。
「女神教は、私の国シュラーク帝国の国教。よかったら説明してあげるわ」
そして湿っぽい地下室にクレアの声が響き始めたのだった。
偉大なる始祖神ゼーデはその
人間はそのことに感謝し、考え得る限り最高の捧げものをゼーデに贈った。その一つが生贄の娘レムアだった。
祭儀場に
けれどそれまで快晴だった空に突如として暗雲が立ち込め、雷が神官たちを打った。白銀の青年の正体こそは始祖神ゼーデだった。命を粗末にしようとした神官たちは神の怒りを買ったの。
居場所を失くしたレムアはゼーデと共にあることを望んだ。そしてゼーデはレムアと共にあるうちに人間を知り、人間らしい心を得て、神として足りなかったものを得た。
それは恋心。ゼーデはレムアを娶り、レムアの魂は天に昇って女神となった。
それから数百年に一度、レムアはゼーデとの間にできた御子を人間として地上に遣わせて下さるようになった。御子が大事なものを地上で学べるようにと。
「へえ……」
話を聞き終わると、自然と感嘆の溜息が出た。
やっぱり俺は冒険譚や伝説といったものを聞くのが好きだ。
「結構いい話でしょ? 聖婚祭……いわゆるゼーデとレムアの結婚記念日には、二人の出会いのお芝居が教会で演じられて、それを沢山の子どもたちや若い男女が見に来るんだから」
いいな。それを聞いてモニカちゃんと一緒に観に行ってみたいななんて、ぼんやりと考えるのだった。
「へえ、キミは帝国の人だったのか」
「そう。だから聖職者の方をハイエナ呼ばわりは少し気に障るわね」
「それはキミが彼らを目にしたことがないからそう言えるんだよ」
そんな会話を交わしながらハルトさんは地下室に置いてある机の引き出しを漁っている。
「資料はおおむね持ち出して解読中だけどね。こうなると分かっていたらダミーの文書を用意しておいたのにな」
確かに資料棚らしきものの中は空っぽだ。
ハルトさんの真似をして隅から隅まで見ているが、何もない。
訳の分からない魔道具は下手に触って大変なことになったら嫌だし……。
結局、俺がここを調べても何の役にも立たないんじゃないだろうか。
彼が誘ってくれたのは結局優しさなのだと痛感する。
ちなみにこの間台の上に乗せられていた棺とその中の遺体は、故ライアンの墓から掘り返されたものだったと判明した。今は父親エドワード・モンゴメリーと同じ墓場に眠っているらしい。
新しい息子を造るために必要な生命因子の配列情報を、死体から抽出したのではないかとヘンリーは言っていた。
結局、小一時間ほど地下室を探ってみたが新しいものは何も見つからなかった。
「それで、その世界を創った
捜索に手を動かしながらクレアとハルトさんの二人に聞いてみる。
「
これはハルトさんの説明だ。
「何のためにそんな大それた物を?」
「聖書にやがて終末の時が訪れると書いてあるから。それを避けるためよ」
そう答えたのはクレア。
「まあそれは表向きの理由で、新教は始まりの
と反論するハルトさん。
クレアがハルトさんを睨む。もしかしてこの二人、相性が良くないのでは?
そう思っていた時だった。
「おうおう、人様の宗教にケチつけちゃってくれて。嫌に声の大きい鼠じゃねェか」
聞き覚えのない声が突如として地下室に響いた。
振り向くと大勢の男が扉からこの研究所へと入ってくるところだった。
声を上げたのは真ん中の男だろう。
その男だけ黒づくめの男たちの中で浮いていた。
髪も、肌も、普通の人間ではあり得ないほどの純白。眉毛も睫毛も白。すべてが大理石でできたような身体の中で、その瞳だけが夜明けの空のような薄紅色に染まっていて――――まるで今さっきクレアから聞いたばかりの物語の中から、始祖神ゼーデの化身が抜け出してきたようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます