第27話 あの子は俺をお兄ちゃんと呼ぶ

「おっはよーございまーす!」


 朝、俺は元気よく挨拶をした。


 今日は<<小鹿亭>>の四日ぶりの営業再開だ。

 あれからモンゴメリーさんが死んだ後も、街に溢れ出してきた魔物は消えることなく街に蔓延った

ままだった。だから冒険者たち総出で街中の魔物を掃討し、その間住民は神殿での避難生活を強いられた。魔物を大方片付けた後は戦死者の弔いをし、壊れた建物などの修繕に着手し……などなどやるべきことは多かった。

 だが今日から<<小鹿亭>>は営業再開で、それは俺にとっていつも通りの日常が戻ったことを表す。だから自然と朝の挨拶にも力が入ってしまったという訳だ。


「今日は一段と元気だなノエル。悪いんだが今日はこのパイが焼けたらメイヤールさんのところに届けてくれないか」


「メイヤールさんのところに? はい、いいですよ」


 姐さんの言葉にこくりと頷いた。


 メイヤールさんちは毎月最初の火の日にうちにミートパイを頼んでくれている家庭だ。メイヤールさんがここまで受け取りに来てくれることもあれば、従業員の誰かが届けに行くこともある。

 いつもメイヤールさんにミートパイを届けている定例の日は魔物襲来の騒ぎでそれどころではなかった。だから遅れてしまったが今日届けてくれ、ということだろう。ミートパイの代金はあらかじめもらってしまっているし。


 焼きたてのパイが入ったバスケットを持って街に出る。

 海の方から風が吹いてくると、潮の香りが鼻を擽った。


 真っ白な壁とカラフルなオレンジ色の屋根をした家々が立ち並ぶ街は、今日はなんだかそわそわとした雰囲気に包まれていた。

 時折大工のような人が忙しそうに通りを駆け抜け、冒険者による臨時のパトロール隊が街を巡る中で人々は誰しも不安そうな顔をしている。


 街によって魔物が駆逐されたことが発表された今でも、もしかすればまだ駆逐し切れていない魔物が何処かに潜んでいるかもしれないと皆思っているのだろう。

 それを安心させるためと、万が一魔物がまだいるかもしれないから冒険者によるパトロール隊が街を警邏しているという訳だ。もちろんこれはギルドによる依頼という形なので報酬が出る。俺も<<小鹿亭>>が落ち着いたら、この依頼を受けてパトロール隊に加わるのもいいかもしれない。


「あら、美味しそうな匂いね。どうしたのそれ?」


 聞き覚えのある声に振り向くと、そこには涼やかな青髪のポニーテール。

 クレアがそこにいた。


「あ、おはよう。<<小鹿亭>>の配達物だよ。俺、あそこで働いてるって言ったっけ」


「初めて聞いたわ。へえ、<<小鹿亭>>って食べ物のデリバリーもしてるの?」


「いや、本当はやってないんだけどメイヤールさんちは特別なんだ。ところでクレアはなんでここに?」


「私はあれよ、パトロールの最中。そのメイヤールさんちってこっちの方向?」


 どうやら方向が一緒だから途中まで一緒に行きましょう。

 そのクレアの提案によって、道中の連れが増えた。


「メイヤールさんっていうのは姐さん……えーと<<小鹿亭>>の店主が冒険者をやってた頃のパーティメンバーなんだ」


「ふうん、昔の馴染みへの特別サービスっていうわけ?」


「まあそういうことなんだけど、実はその本人はもう何ヶ月も依頼で街を離れてるんだよね。今から届けるのはそのメイヤールさんの奥さんと娘さん。娘さんがリドリーっていう子でまだ5才で、笑ったときにできるえくぼがすごく可愛いんだよ」


「へえ、そういうのってなんかいいわね」


 クレアがくすりと微笑む。

 住宅街に続く細い通りは太陽の日差しを浴びてぽかぽかと暖かい。明るい小道を歩みながら、やっと平和が戻ってきたのを実感した。


「ほら、あそこがメイヤールさんち」


 小さな可愛い家を示す。

 クレアが後ろから見守る中、コンコンとドアを叩いた。


「おはようございます、<<小鹿亭>>のノエルです! 少し遅れちゃいましたけどパイをお届けに上がりました!」


 ガチャリとドアが開きメイヤールの奥さんが顔を出し……俺はぎょっとした。

 メイヤールの奥さんの顔はやつれ、酷い隈ができていたから。いつもはきっちり結われている髪もところどころほつれている。


「ああ……そうね、もうミートパイの日だったわね……」


 奥さんは茫洋とした手つきでバスケットを受け取る。

 いつもだったらパイの匂いにつられてリドリーちゃんが飛び出してくるのに、家の中は不気味なほどにシン、と静まっている。


「あの、リドリーちゃんは?」


 嫌な予感がしながらも尋ねずにはいられなかった。


「リドリーはこの間、魔物に襲われて……それで、あの子はもういないの」


 もういない。その言葉の意味に胸を撃ち抜かれたような気がした。

 あのちっちゃな女の子。えくぼの可愛かったあの子はもうこの世に存在しないんだ。


「ご、ごめんなさい……!」


 母親の口から酷い言葉を出させてしまった気がして頭を下げた。本当なら泣き叫びたいくらいだろうに、メイヤールの奥さんはただ何日も寝ていないかのような疲れた目で俺たちを見つめるだけだった。


「お悔やみ申し上げます……」


 クレアが静かに言った。


「いえ、いいのよ。正直言うと私まだ実感がないの。朝目覚めればまだあの子が隣にいる気がするの。……なんか、ごめんなさいね。バスケットはいつもみたいに後で返しに行くから」


 それは蜻蛉カゲロウの翅のように透き通って、儚いおぼろげな笑みだった。

 こちらのいたたまれなさを察したのか、彼女は早々に別れを告げてドアを閉めた。


「……」


 あの魔物災害の際すぐに避難できた人ばかりではなく、住人にも何人もの被害が及んでいたことは知っていた。でもまさか知っている人が、それもほんの小さな女の子が亡くなっていたなんて。

 今は街を離れているメイヤールさん本人が戻ってきたらどう思うだろう。家族の元にいればと後悔するのだろうか。考えるだけで胸が痛くてしょうがなかった。


「大丈夫? <<小鹿亭>>までちゃんと戻れる?」


 よほどショックを受けているように見えたのかクレアに心配されてしまった。

 結局、大丈夫だと言ったのに彼女は<<小鹿亭>>までついてきてくれた。


「別に。そろそろ昼食にしようと思ってたからちょうどいいだけ」


 そんな言い訳を添えて。彼女の無骨な優しさが今の俺にはちょうどよかった。


 *


 酒場の耳慣れた喧噪に包まれる。


 クレアは早速テーブルについてメニュー表と睨めっこしている。

 メイヤールさんは姐さんの知り合いなわけだし、訃報は一言彼女の耳に入れておいた方がいいだろう。姐さんはどこかなと酒場を見回したその時だった。


「なんだとてめぇ、もういっぺん言ってみやがれ!」


 響いた怒鳴り声に酒場が静まり返った。

 まだ昼前。この時間帯に酔っ払いの喧嘩が始まるのは珍しいことだが、ないわけではない。なにか物を壊される前に従業員として騒ぎを止めなければ。


「あのお客様、できれば喧嘩などは店の外でやっていただきたいのですが……」


「ああ、すまねえ。ただこいつが死者を冒涜しやがったから声が大きくなっちまっただけだ」


 怒鳴り声を上げた男はもう冷静さを取り戻しているように見えた。

 むしろ取り乱している様子なのは怒鳴られた側の男の方だった。


「本当なんだ、信じてくれ! 俺は見たんだよ、今回の災害で死んだ人間の幽霊を!」


 必死にそう主張する男を、俺は思わず白い目で見てしまった。


 冒険者が冒険譚の次に好きな話と言ったら、怪談話だろう。

 複数人で焚火の番などをする時には決まって、どこそこで無残に死んだ冒険者の幽霊が出るなんて類の話で盛り上がるものだ。

 だが今回の魔物災害のことを話のネタにするには、まだ人々の心に刻まれた傷が生々しすぎる。まるで人が死んだのを面白がってるみたいじゃないか。


「お前、自分が何を言ったのか今一度よく考えてみな。お代はここに置いていくから、俺はもう行くぜ」


 幽霊話に怒った方の男は硬貨を数枚テーブルに置いて、席を立った。


「違うんだ……」


 自業自得ではあるが、テーブルに独り残された男が少しばかり気の毒だった。

 だが彼にしてやれることはない。仕事に戻ろうと踵を返す。


「やあ」


 非常に見覚えのある暗褐色のローブ姿が目の前にあった。


「ハルトさん!」


 神出鬼没を体現する彼がそこにいた。

 今回は一体なんの頼み事をしに来たのだろう……。

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