第25話 ボクが来たからにはもう安心だ
落ちていく。
スライムが崩れたような粘性の液体の海の上に、俺の身体はなすすべもなく落下した。
「うぐッ!」
粘性の液体は何の保護にもならず、俺は全身を強かに打った。
身体がジンジンと痛む。だが少しすればこれくらい楽になる。
それよりもみんなだ。みんな無事なのだろうか。
すぐ近くに斬られたドラゴンの首が落ちているのが気色悪かった。
何とか顔を上げると、イリーナさんがボナリーさんに駆け寄っているのが見えた。生きているのだろうか。
そしてクレアが俺の元へと駆け寄ってくるのが見えた。
「ちょっと、大丈夫!? 思いっきりぶつかったわよね?」
「ああ、大丈夫」
答えると、彼女は肩を貸してくれたので何とか起き上がる。
「むす……こを……」
掠れ声が聞こえた。
見下ろすと床に二人の男が瀕死で転がっていた。モンゴメリーさんと、魔術師っぽい方は研究者のユアン・カートライトだろうか。
一目見ただけでもう他人に害を加えられる状態でないと判断できるほど衰弱していた。ユアンの方はピクリともしないところを見るともう死んでいるのではないだろうか。
身体の内側が元に戻り切れずにぐちゃぐちゃなのが、彼の口から溢れ出続ける血液から分かる。
「息子が……地下に……守らねば……」
血を零しながら彼はぶつぶつと呟いている。
「モンゴメリーさん、教えてください。言ってましたよね、神様に息子を生き返らせる方法を聞いたって。それってどういう意味なんですか?」
何が彼を凶行に駆り立てたのか。復讐心だけか。それとも他に何かあるのか知りたくて尋ねた。
「神……ああ、ライアン。そこにいるのか。神は、私が深い悔恨の中にいるときに話しかけて下さったのだよ。その悔いを消す方法があると。お前に報いる方法があると。神は……異世界の神はそう仰った」
モンゴメリーさんの目は真っ直ぐ俺を見上げているのに、その瞳は別の人を映しているようだった。ライアンとは彼の息子の名だろうか。
「異世界の神とはなんだ?」
いつの間にか横にいたギルド長がモンゴメリーさんを見下ろしていた。
「神は……ああ、ああ……っ!」
ギルド長が視界に入ると、モンゴメリーさんの様子が変わった。
もしかしたらドラゴンの首が落ちたのも彼のせいだと思っているのかもしれない。
「お前は……! 息子を、殺させはしない! 神の名に誓って! その名の、」
屋敷の中が光り輝き出す。
「おっと」
突然、空間が横に裂けた。
まるで目の前の光景が一枚の絵であるかのようにモンゴメリーさんの首がある場所が横に裂け、黒い穴が空いた。
それと同時に屋敷の中を満たそうとしていた光は途絶え、モンゴメリーさんは絶命した。その瞳はもう何も映していない。目の前に開いている空間の裂け目は非現実ではないのだ。あの昏く空いた穴によって彼の首は切断された。
理屈は分からないがそれだけは理解できた。
「危ないところだったね、ノエルくん。ボクが来たからにはもう安心だ」
トン、と。
目の前に黒い天使が降り立った。
「ハ、ハルトさん……っ!?」
艶やかな黒髪に暗褐色のローブ、そして黒と紅のオッドアイ。
そこにいたのは俺に加護を与えて異世界へと帰ったはずの男だった。
「ごめんね、もうちょっと早く来るつもりだったんだけどあっちでも色々あってね。なにせもう何年も前にトラックにはねられて死んだはずの人間が戻ってきたんだから」
彼の言葉に、彼が俺を見守ってくれているというのは本当だったのだと知った。
「確かに……助けられたようだな」
気が付くとギルド長が切り落とされたドラゴンの首に屈み込んで観察していた。
ドラゴンの首にはいつの間にか横に裂いたような傷が増えていた。あんなところに斬りつけた覚えはないのに。
「これを見てみろ。奴め、会話している間にドラゴンの首に繋がるようにいくつかの器官を急造して
屋敷の中を一瞬満たした光。あれは
「ノエルくん」
ハルトさんが黒と紅の色の異なる双眸で俺を真っ直ぐに見つめている。その真剣な表情から何か話があるのだと察した。
「はい、何でしょうか?」
肩を貸してくれてたクレアにもう大丈夫だからとジェスチャーして一人で立つ。もう傷は完治した。
「今回のことで謝らせてほしい。本当にすまなかった!」
「えっ、え!? そんな、顔を上げてください!」
ハルトさんが俺に向かって腰を折って頭を下げたので、俺は困惑して焦った。何か謝られるようなことがあっただろうか。見守ってたという割には助けに来てくれない場面は何度かあったけど、それは彼も忙しかったらしいし。
「この男の発言から察しているとは思うが、今回の事件の発端は異世界……ボクの世界から持ち込まれた技術が原因だ」
異世界の神。そうか、異世界というのはハルトさんの世界のことなのか。
「どうやら悪しき技術――――『禁忌』とでも呼ぶべきそれを面白半分にこの世界に持ち込んで遊んでいる異世界人がいるみたいなんだ」
「面白、半分……?」
屋敷の隅ではイリーナさんがボナリーさんのことを治療している最中だ。ボナリーさんの呻き声が聞こえる。よかった、彼は生きてた。ヘンリーももう治療は完了したのかゆっくりと身体を起こしているところだった。
「きっと持ち込まれた禁忌はこれだけではない。……おっと、ああそうだ。ここには地下室があると思う。そこを探しながら話の続きをしよう」
確かにユアンらしき研究者の巨大スライムは下の方から染み出してきていた。モンゴメリーさん自身も息子が地下にとかなんとか呻いていた。きっと地下空間があるのだろう。すぐに調べてみるべきだと俺も思った。
ギルド長やクレアたちと手分けして捜索するとすぐに隠し階段が見つかった。
「キミに……いや、キミたちにお願いがあるんだ」
地下階段を下りながらハルトさんがそんなことを口にする。なんだか一番最初の『頼まれ事』を思い出す。
あの時は何が何やら分からないまま口車に乗せられた印象が否めない。でもそれでも、彼がしてくれたことは確かに善いことだった。
「どうかこの世界から『禁忌』を排除するのに協力してくれないか。本来ならボク一人で決着をつけるべき問題だが、一人の手に負える問題ではない」
彼は暗く顔を俯かせている。まるでとんでもない頼み事をしているのを自覚しているかのように。
「そんなの、考えるまでもないですよ。今回みたいな惨事を止める手伝いをさせてもらえるならむしろ光栄です」
即答した。
今でも、あの優しそうなモンゴメリーさんが自分の考えだけで今回の事件を起こしたなんて思えない。きっと異世界から『禁忌』を持ち込んでいるという人間が唆したのだろう。そうとしか思えなかった。
それにしても『禁忌』か……悪用さえされなければ素晴らしい技術だっただろうに。今でもそう思う。
「私も、できることがあるなら協力したいです」
クレアが追随してくれた。
「俺は……」
ギルド長が答えようとしたところで階段は終わり、俺たちは地下室に着いた。
「うわ、なんだこの臭い」
地下室のドアを開けた途端、充満する臭いに思わず口と鼻を押さえた。
「死体の臭いだな」
ギルド長が答えてくれる。クレアも顔を顰めて口に手を当てている。
そして臭いが何処から漂ってくるか、すぐに分かった。部屋の中央の台の上に棺が置いてあるのだ。臭いは明らかにそこから漂っている。恐る恐る近寄ってみるが、もちろん開けてみる勇気はない。
というか地下室中が粘液で汚れていてじめじめと陰気で正直この空間にいるだけでキツイ。
「大変だ、ちょっとこっちへ来てくれないか」
隣の部屋から俺たちを呼ぶハルトさんの声が聞こえた。いつの間にかハルトさんが他の扉を開けて隣の部屋に行っていたようだ。そちらへと移動する。
「ほら、これ」
そこには、円筒状のガラスケースの中に満たされた液体に浮く一人の人間がいた。
謎の液体に浸された謎の青年。
「生きてる……のか?」
そっとガラスケースに触れてみると、意外にも人肌のような温かみが感じられた。
「おそらくは彼がライアン。モンゴメリー家の長男だろう」
ハルトさんがガラスケースの周りをくるりと一周して観察している。
「こいつも怪物に変身する恐れがある。殺すか?」
一歩距離を置いて尋ねるのはギルド長。
そんな殺すなんて、と振り返った瞬間ハルトさんが答えた。
「いや。モンゴメリー家の当主と研究者が死んだ以上それはない。それは保証するよ」
その答えに納得したようで、ギルド長は双剣をしまった。
「どうやらこのパネルに魔力を通せば中の液体が抜けてケースが開くという仕組みになっているようだね。どうする? 開けばこの中の青年が生きているかどうかも確かめられると思うよ」
ハルトさんが俺をチラリと見て尋ねる。
「その……この中の人がもしまだ生きてて、そしてこのまま放置したら、やっぱりこの中の人は死んじゃいますよね?」
「多分ね」
「なら……開けてください。見殺しにはできません」
俺の返事を聞いてハルトさんはにっこりと笑った。
「うん、それがいいね。君は見殺しにした罪悪感を忘れられるようなタイプの人間じゃないから」
そう口にすると、彼はあっさりと平たい板に手を置いて魔力を通したのだった。ガラスケースの中から液体がゆっくりと抜かれていき、ガラスが下へとスーッと下がって開いた。
中で浮いていた青年が崩れるようにして床の上に倒れる。
近寄ってみると、青年の胸が呼吸に上下しているのが分かった。生きている。
「うぅ……」
「ね、大丈夫?」
クレアが迷いなく彼を助け起こす。
クレアはすごい。俺なんか青年が決して怪物に変化しないと聞かされていたのに、彼を人間として扱うべきかどうかさえ戸惑った。
「ここは……? あなたたちは……いや、ぼくは……だれ、なんだ……?」
青年は見た目の年齢よりもずっとあどけない表情で辺りを見回したのだった。
この時、俺は初めて生命の形を弄るという魔術が悍ましく感じた。
俺が彼の立場だったら自分の人造の生命をどう思うだろうか。
きっと……俺だったら絶対に自分を『人間』であると認識できない。
こんな歪で不自然な生命体と俺が似ているわけがない。
「ほら、何故これがボクの世界では『禁忌』と呼ばれているか理解したろう? 生命を弄るなんて人間には過ぎた技術だ」
異世界転生者クロヤマ・ハルトは俺にだけ聞こえる声で囁いたのだった。
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