第22話 濁るもの

 「やあ、よく来たねえ!」


 貴族街のモンゴメリー家。強大な魔物が街中をうろついているのを避けながらそこを訪れると、あの時の中年の紳士が笑顔で出迎えた。ヘンリーとボナリーさんと顔を見合わせ、こくりと頷くとモンゴメリーさんに話しかけた。


 「モンゴメリーさん……こんな状況だっていうのに、どうして避難しないんですか?」

 「避難だって、まさか! もうすぐ息子が蘇るっていうのに父親が立ち会わない訳にはいかないだろう!」

 「息子……? モンゴメリーさん、死人が生き返るわけないでしょう?」

 「ところがどっこい! 死者蘇生の術を神が授けてくれたんだ」


 彼の笑顔は狂っているようには見えないのに、その口から出る言葉はまるで狂っていた。

 モンゴメリーさんの息子というと、この間話してくれた仲間を守って死んだという息子さんのことだろう。


 「生命の因子というものは知っているかね?」

 「はい……知ってます。図書館で読みましたから」

 「おお、あの論文を読んでくれたのか! 嬉しいねえ」


 油断しないようにヘンリーとボナリーさんに目配せをする。


 「神は教えてくれた。死んだ息子のものとまったく同じ配列の生命の因子を持つ生命体を生み出せば、それは息子が蘇ったのと同じだと。息子が生き返るんだ!

 嗚呼、何度後悔したことか。息子が冒険者になりたいと言ったのを許すべきではなかったと。だがその後悔の日々ももう終わる!」


 彼は興奮しながら豪邸の天井を仰ぐ。


 「ああ、今まで長かった。なかなか安定した数の透徹魔石を確保できなくてね。だが透徹魔石自体もこの魔術で生み出せばいいのだと気が付いた時には自分は天才かと思ったよ! ついでに息子を見捨てて殺したこの街の汚らわしい冒険者たちにも復讐できる、一石二鳥だ! この街の冒険者たちも最期に息子の糧となれて本望だろう!」


 「モンゴメリーさん……貴方が犯人だったんですね」


 「犯人だって? 妙なことを言うなあ。この魔術が全人類を幸福に導くものだと、君なら分かってくれるだろう? なにせ君は息子と同じ目をしている!」


 彼の言葉に心を揺さぶられる。

 確かに一度はそう感じた。この魔法があればどんなにいいだろうかと。これさえあればきっと不公平なんてものは生まれない。不純物が混じらないようにみんな「普通」に造られた人間たちは、きっと誰もが相手を思い遣ることができて互いを理解することができる。そこに暴力はない。

 でも……あの時彼女モニカに握ってもらった手の温かさを思い出す。


 「全人類を幸福に導く、か……確かにそう思います。でも、貴方にとっては、もうこの街の人たちは『人間』の内に入らないんですね。

 俺は、この街でたくさんの人に助けられてきました。<<小鹿亭>>の姐さんに常連さん、モニカちゃんにおばば様に、防具屋さんに、ギルド員さんたちに、通りがかりの名前も知らない冒険者さんに、あとクレアとヘンリーとボナリーさん。彼らに危害を加えようとするなら、貴方は俺の敵です」


 本当はモンゴメリーさん、あの日貴方のかけてくれた言葉にも救われたのだけれど。


 「……そうか。残念だねぇ」


 モンゴメリーさんがすっと手を上に掲げる。そして開いていた手を軽く握った。


 「やれ」


 その指令と共に豪奢な絨毯の下がぶくぶくと膨れ上がる。膨らみの数は……多分、三体分。絨毯の下にスライムでも潜ませていて、生命因子を操作する魔術で強化しているのか?

 あの時のスケルトンのように、強化され切る前に倒してしまわなければ……!


 「ダメです、一体を倒してる間に残りの二体に囲まれます!」


 ボナリーさんに腕を掴まれて止められた。


 「火炎ファイアッ!」


 代わりにヘンリーが短詠唱魔術で絨毯の内側の膨らみの一つを攻撃した。


 だが、間に合わなかった。魔物は完成されてしまった。


 焼け焦げた絨毯の下から姿を現したのは、獅子ほどの大きさの四足歩行の魔物で、さそりのような尾を持つ……マンティコアだ。それが三体。

 <<小鹿亭>>の常連のおっさんたちが第五階層でマンティコアに遭遇したといっていたのを思い出す。マンティコアの驚異的なところはその毒もさることながら、圧倒的な筋力から繰り出される恐るべきスピードだ。

 こうして目の前にするとあのおっさんたちはどうやって倒したのだろうと思ってしまう。その気安さに忘れがちだが、あのおっさんたちも相当な手練れなんだ。


 「ああ、やはりスライムは便利だな。浅い層に現れるから運び込むのも簡単で、かつどんな配列をも許容し得る無限の可能性を持つ。この手に限るよ」


 モンゴメリーさんが陶酔したように呟く。やはりスライムが元だったようだ。


 「火炎ファイアっ! 火炎ファイアッ!」


 ヘンリーが立て続けに魔術を打ち込むが、マンティコアはやはりその持ち前の素早さで簡単に避けてしまう。


 「はぁッ!」


 突出した一体のマンティコアに向かってボナリーさんが短剣をひらめかせるが、これも避けられてしまった。


 「人間相手ならば私の速さについていける者は早々いないと自負しているのですが……流石にこれは」


 ボナリーさんが苦笑いを浮かべる。


 「仕方ない。広範囲魔術で焼き払う。援護を頼むぞっ!」


 ヘンリーが一歩後ろに下がって呪文を呟き始める。援護とは、魔術が完成するまでの間守っていてくれという意味だろう。彼の方を振り返らずにこくりと頷くと、剣身に魔術を籠める。打ち立てるは炎。燃え上がれ鋼――――ッ!


 沸き上がった炎によって剣先のシルエットが不定形のものへと変わる。そしてヘンリーを守るために彼の前に立つ。


 「ああ、なんという自己犠牲! やはり君は息子に似ている。息子もそうやって仲間を守り――――そして死んだッ!」


 三体のマンティコアが一斉に身を屈める。その姿勢から一気にバネのように跳んで冒険者の首に食らいつくのだと聞いたことがある。

 その内の一体のマンティコアの視線は確実に俺の方を向いている。他の二体はボナリーさんを狙っているのだろうか。分からない。とにかく迎え撃つしかない。


 マンティコアが、跳んだ。


 刹那の時間が何倍にも引き延ばされたように、マンティコアが真っ直ぐに跳んでくるのがスローモーションで見える。大丈夫だ、マンティコアは本能で首を狙うと分かっている。そこを狙って攻撃すればいい。ただそれが速いだけだ。もしも失敗したらなんて恐れはない。だって、俺は死なないから。


 ザクリッ。


 刃と爪が交差する。

 マンティコアの爪は俺の肩肉を深く削ぎ落し、俺の炎剣はマンティコアの頭を咥内から貫いていた。

 それきりマンティコアは動かなくなった。


 「ぐ、ァ……ッ!」


 肩が焼けるように熱い。元通りに治ると分かっていても、いまこの瞬間の痛みに耐え切れずにその場に蹲った。


 ボナリーさんは一体のマンティコアの背中に乗り、それをマンティコアが振り落とそうとしている。

 さっきマンティコアがボナリーさんに飛び掛かった瞬間に、ボナリーさんが高く跳び上がり宙返りしながらマンティコアの背中に綺麗に馬乗りになる様子が視界の端に見えていた。

 ボナリーさんはマンティコアのたてがみをがっしりと掴むと、その脳天に思い切り短剣を突き立てた。二体目のマンティコアも倒れ込んで動かなくなった。


 残り一体はどこだと視線を巡らせたその瞬間、影が頭上を覆った。

 最後のマンティコアが俺の頭上を飛び越えてヘンリーを襲いに行ったのだと理解して振り向く。


 「ヘンリーッ!!」


 振り向いたその瞬間には、マンティコアはヘンリーの間近にいて、牙を剥き出しているところだった。どうしても間に合わない。彼は詠唱中で無防備だというのに――――


 そして、無常にも牙は彼の首に突き立てられた。


 だが。


 「ハッ、なぜ接近を許したと思っている?」


 ヘンリーは不敵な笑みを浮かべていた。

 見ると彼の首の周りにだけ限定して防御膜が張られている。

 そして彼の足元が光り輝いている。塗料で乱暴に描かれた魔法陣が彼の足元にあるのだ。


 詠唱破却、短縮詠唱、簡易魔法陣、複合発動俺の目には彼が何をしているのか視える


 「火炎竜巻ファイア・ブラストッ!!」


 まるで炎と風が躍っているようだった。

 炎の嵐がマンティコアに襲い掛かり、その身体を地面から引き離し、焼き尽くす。魔力を感じ取れる俺には、これが炎の魔術と風の魔術が混ざっているものだと感覚的に判る。


 戦闘試験の時にジリアンさんに食らわせたのと同じ戦法だ。


 「詠唱が完遂すればそのまま焼き尽くし、中断されればカウンターを喰らわす手段を用意しておく。それが今どきの魔術師の戦い方……だ……」


 ヘンリーが喋っている途中でその場に崩れ落ちた。


 「ヘンリーっ!」


 肩の傷はもう治った、痛みはない。ヘンリーの元へと駆け寄る。


 「ヘンリー、どうした!」

 「尾に、やられた……無詠唱では首だけ守るので、精いっぱいだったからな……」


 その言葉に青ざめた。マンティコアの尾はさそりのそれのような見た目に違わず猛毒を持っている。

 今すぐヘンリーを治癒術師の元へ連れて行かねば。彼に肩を貸して立ち上がろうとすると、飄々とした場違いな声が降ってくる。


 「これで理解できただろう、君たちでは犠牲なしに私に打ち勝つことはできないと。今ならば降参することを許してやってもいいぞ?」


 モンゴメリーさんが微笑していた。


 「何を言ってるのです、これから首を取られるのは貴方ですよ……っ!」


 ボナリーさんが短剣を構えてモンゴメリーさんに向かって走り出す。

 しかし中年の紳士は余裕そうに構えている。まさかまだ何か策があるのか。


 そう思ったその時、ぽつりと鼻先に水滴が落ちてきた。濁った緑色の水滴だ。


 「え……?」


 ふと天井を見上げる。そして見つけてしまった。


 「あ、ああ、あぁ…………ッ!」


 天井にを。


 「分かっただろう、君たちは決して勝てない」

 

 声が絶望を告げる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る