第21話 生命の因子

 風に揺れる炎のように、緩くウェーブがかった長い赤毛が揺れている。


 彼の冒険譚をいくつか聞いたことがある。

 <<永遠のほむら>>、その名に違わず男はまさに炎の化身のようだった。


 「髪がボサボサなのは見逃してくれ、寝起きでな」


 その男が振り返ると、その顔立ちが抱いていた印象より若いことに気づいた。

 顔立ちの綺麗さだけを見れば20代前半だと言われても違和感がない。ただ、眉間に刻まれた皺の深さと鋭い視線がその地位に相応しい貫録を与えていた。


 「ほらこれ。お嬢ちゃんの物だろう?」

 「あ、私の槍……!」


 男が背中に担いでいたのは私の槍だった。

 投げ渡してくれてもいいのに、彼はわざわざ近寄って手渡してくれた。


 「ギルド長、この時間に起きていて大丈夫なんですか?」


 イリーナ試験官が妙な事を尋ねる。


 「ああ、もう夕刻のようなものだ。大丈夫だ」


 彼はそう言うが、窓から見える空はまだ明るい。


 「それは例の調査のだな? 下へ行こう。そこならじっくり腰を落ち着けられる」


 彼がイリーナ試験官の腕の中にある書類を見て言った。

 私たちはギルド長に先導されて階段を下りていくことになった。

 一階に辿り着くと、彼は廊下の突き当りで止まった。一本道ならば魔物が来ても守りやすいということだろうか。

 なんて思っていると彼は突き当りの壁を押す。壁が向こう側に傾いたかと思うと……回転して、その先に続く階段の存在を露わにした。


 「隠し扉があったなんて……!」


 階段は地下へと続いているようだ。

 確かに地下室ならば魔物は入り込まないだろうが、秘密の地下室なんて。

 このギルドには一体どんな秘密があるというの?


 地下室へ下りると、ギルド長は安堵したかのように息を吐いた。

 室内は意外に清潔感があり、地下室らしいじめじめとした感じはなかった。

 ベッドにソファ、本棚、テーブルに椅子に、向こうはキッチンだろうか。まるで一人の人間がここで生活しているかのような空間だ。


 「助かります」


 イリーナ試験官はテーブルの上に書類を広げて早速読み込み始める。


 「あの……ギルド長さん。何とお呼びすればいいかしら」


 ベッドに腰を下ろした彼に尋ねる。

 勝手知ったる居住まいからして、やはりここは彼の部屋なのだろう。


 「ドゥオとでも呼んでくれ」

 「ドゥオさん、ここのことについて尋ねても大丈夫ですか?」


 ギルドの会館の中にギルド長の私室があること自体はおかしいことではない。

 だがただの私室がなぜ隠し扉の先にあるのだろう。


 「いいや、できればここを出たら忘れてくれると助かるね」

 「……分かりました。そうすることにします」


 不審なところがあるとはいえ、彼には命を助けられたと言っても過言ではない。

 ならば恩人の頼みは聞くべきではないだろうか。そう考えて私は大人しく頷いた。


 「もう少しです、もう少しで絞り込めます……!」


 イリーナ試験官の声が凛と部屋に響いた。


 *


 「ここら辺だ、ここら辺にある筈なんだ……!」


 ヘンリーは本棚から本を取り出して目次のページをめくっては本を戻すという行為を繰り返している。


 図書館に辿り着いた俺とヘンリーとボナリーさんの三人は、ヘンリーが読んだことがあるという実験の内容が載った冊子を探しているところだ。といっても俺にはちんぷんかんぷんで、俺の仕事は周囲の警戒だ。本を探すのは二人の仕事だ。


 「王国歴342年、新緑の月発刊……違う、もう少し先だ」


 『魔術街』でどんな魔術が発表されたか知りたい人間は一定数いるらしく、発表をまとめた本が定期的に出版されているというのだ。

 読みたい本とその内容を検索する魔道具は人がいないからか停止している。だから本の山から自力で探し出さねばならない。


 「あ、あった……! 生命因子操作魔術実験、これだ!」


 ヘンリーの声が図書館に響く。その声に俺もボナリーさんも彼の周りに集まる。

 目次に刻まれたその実験のページをヘンリーがバラララと紙を滑らせながらめくって探す。


 「我々は生命の因子を操作する術を編み出した。これは多くの人々を幸福にすることだろう……」


 目的のページを見つけたヘンリーが内容を読み上げる。


 生命の因子とは。

 生物の姿かたち素質などを決定づける要素のこと。

 我々が金髪だったり茶髪だったり等々一人ひとり違うのは、この生命の因子に刻み込まれた情報が違うからだ。

 生命の因子を操作すれば、これから生まれてくる赤子をすべて五体満足で障害がなく、容姿端麗で頭脳明晰、そして力強く逞しい人間にすることもできる。

 欠点が一つあるとすれば、操作のためには万能魔石こと透徹魔石が必要不可欠なことだ。生命の因子の中に含まれている魔力の属性は、偏りはあるもののすべての属性が含まれているためである。他の魔石では安定しない。


 「なんだそれ……すべての人間を完璧にできるってことか? なんでそんな魔法が禁止されたんだ?」


 内容を理解して、思わず言葉が口を突いて出た。


 「それがあれば、すべての人間が普通になれるってことだろ? それさえあれば、俺みたいに手に持った物が何でも光って村で不気味がられる人間なんかいなくて済んだってことだろ……?」


 「なぜ禁術指定エンバーゴーズされたのか理由が公開されることはない。だがこの実験が本物だとしたら、禁術指定エンバーゴーズされた理由は悪用されれば大きな問題を引き起こす恐れがあるからだろう。ちょうどこの魔物災害のような……」


 「生命の因子を操る……確かに、その魔術を使えば今回のように透徹級の魔物を大量に生み出すこともできるかもしれませんね」


 「そうか……。じゃあ仕方ないことなんだな」


 今回の魔物災害を引き起こした奴は許せない。

 それでも、悪用さえされなければ。この魔法は確かに人々を幸せにしたのではないだろうか。そう思わずにはいられなかった。


 「研究者ユアン・カートライト、出資者エドワード・モンゴメリーか……。うむむ、名前だけではな」

 「この研究は盗まれただけで、犯人は別人かもしれませんしね」


 何か手がかりはないかと二人が隅々まで論文を読んでいる。

 その中でヘンリーの言葉の何かが俺の記憶を突いた。


 「うん……? 待ったヘンリー、今なんて言った?」

 「え? 名前だけでは……」

 「そうじゃなくて、その前だ。名前を読み上げただろ」

 「ああ。ユアン・カートライトとエドワード・モンゴメリー」


 ぎゅっと顔を顰めて、逃げていきそうな記憶を捕まえようとする。


 『何か困ったことがあったら我々モンゴメリー家を頼りなさい。力になろう』


 あの人は確かそう言っていた。


 「そうだ、昨日のあのおじさん! あのおじさんが『モンゴメリー』だ!」

 「なに、知っているのかノエル!?」


 二人に昨日神殿の入口で出会った人物について話した。


 「なるほど。確かに言われてみればこの街に住んでいる貴族の中にモンゴメリーという家があったような気がします」


 まさかあのひょうきんな紳士が今回の襲撃に関わっているなんて思いたくない。だが……


 「何か分かるかもしれない。行ってみよう」

 「ああ」「ええ」


 目指すは海に面した豪邸が立ち並ぶ地域――――貴族街だ。

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