第20話 永遠の焔

 「禁術指定エンバーゴーズ……?」


 繰り返す声にヘンリーがこくりと頷く。


 「ああ、生命の因子を操る術だとして『魔術街』で発表されたのだ」


 魔術街とは、『オリバスの魔術街』のことだ。世界で最初に魔術学校が出来た都市であり、たくさんの魔術学校がある場所だという。魔術に関することならば王都よりも発展しているとか。ヘンリーは『魔術街』の出身なんだろうか。


 「魔術の行使には大量の透徹魔石が必要だというから目を惹いた。だがすぐに禁術指定エンバーゴーズされたので、結局インチキだったのだと思ってそれきり忘れ去っていた」


 「その……生命のいんし、ってなんだ?」


 「それがオレにもよく分からん」


 ヘンリーは肩をすくめた。


 「分からないのかよ!」


 「どうせインチキだと思って記憶から消去したんだ、詳細など覚えてるはずがないだろう! 図書館で今すぐ記録を読み返すことができれば別だがな!」


 「図書館に行けばあるんだな?」


 俺の問いにヘンリーだけでなく、ボナリーさんもモニカちゃんも息を飲んだ。


 「いや、待て……なぜそんなことを聞く? まさか行くつもりなのか? この状況で街中まで?」


 「ああ、手掛かりが掴めるかもしれないんだろ?」


 「やめておいた方がよろしいかと思われます。知っての通り原因究明にはイリーナが向かっています。彼女を待って、我々はここを守るべきです」


 ボナリーさんが俺の肩に手を置いて首を横に振る。


 「でもイリーナさんはここまで辿り着いてないかもしれない。少しでも早くこの災害を終わらせられる可能性があるなら、行動すべきじゃないのか?」


 一息に言って、本殿の中を見回す。神殿の中には避難者たちがひしめいている。皆一様に怯え、不安に沈んだ顔をしている。


 「先月には若くして死んだ青年の墓が荒らされる事件があり、そこにこの魔物の襲来……! 世界の終わりの予兆じゃ……っ!」


 世迷言を声高に叫ぶ老人までいる。どう考えても墓荒らしと魔物の襲来は関連性がないだろう。今は他の人がその老人を宥めているが、動揺が避難者たちの間に拡がるのは時間の問題だ。


 「分かった……お前が行くならオレも行こう。お前では図書館の中で目的の書類を見つけ出せないだろう?」


 ヘンリーが不遜な言い方で同行を申し出てくる。照れ隠しだろうか。


 「なら、私も行く!」

 「なっ、モニカちゃんは神殿でやることが沢山あるだろう!?」


 モニカちゃんが上げた声に思わず反対してしまった。

 巫女さんたちはいま、交代で結界張りや負傷者の手当をしていると聞いた。流石にその最中に貴重な巫女さんを一人減らそうという気にはなれない。


 「でも、ノエルくんが危ないとこに行くっていうのに、」


 モニカちゃんの表情は必死だ。もしかしてこの間の中年の紳士の言っていたことを気にしているのだろうか。


 「はあ……仕方ないですね」


 ボナリーさんが眼鏡を外すと何処かからハンカチを取り出してグラスを拭き、再び眼鏡をかけ直す。


 「私がノエル様に同行致しますので、モニカ様はここで役目を果たしていて下さい。それで納得して頂けませんか」


 さっきまで反対していたボナリーさんがそう提案してくれた。

 きっと俺とヘンリーとモニカちゃんの三人で街中に飛び出すことになるよりは、モニカちゃんの代わりに自分が同行した方がいいと思ったのだろう。優しい人だ。


 「……そうですよね。分かりました、ありがとうございます。我が侭を言ってごめんなさい」


 モニカちゃんは素直に引き下がる。反対しておいて勝手だが、俺は彼女のその聞き分けの良さを気の毒に感じてしまった。彼女は俺に無茶をさせたくないだけなのだ。でも、俺だって彼女に無茶をして欲しくない。


 「ノエルくん、私、待ってるから。だから無事に帰ってきてね」

 「うん」


 彼女の深緑色の瞳を真っ直ぐに見つめて、約束した。


 *


 目の前で翡翠色の彼女の髪が揺れる。

 帝国出身の私にはこの国特有の緑髪は珍しい。彼女が書類に目を落としている間に細い糸状の緑が揺れる光景は神秘的すぎて、周囲への警戒も忘れて見惚れてしまいそうになる。


 「前々から、不審なものを感じて調査はしておりました」


 イリーナ試験官が口を開く。

 あれから私たちは街中を徘徊する魔物の群れを何とか掻い潜って、ギルドまで辿り着いたのだった。今は数々の書類に目を通している彼女の為に周囲を警戒しているところだ。流石に建物の中までは魔物は入り込んでいないと思うけれど、一応。


 「透徹魔石は複数の商人によって買い占められてますが、それらはおそらく仲介。元を辿っていけば魔石を必要としている何者かを突き止められるはず。そう思っていましたが、まさかここまでの事態になるとは」


 そう語る彼女の表情は一見クールで無表情に見える。


 「もう少し早く調査を開始していれば、何も起きずに済んだかもしれないのに……」


 でも私の目には、確かに自責の念が彼女を苦しめているように見えた。


 「イリーナ試験官。我々にできることはあまりにも少ない、やれることをやるだけです。私は貴女のことを守ります……それだけです」


 出来なかったことを悔いて自分を責めないで欲しい。その一心で口にした。


 「――――そうですね。私も余計なことは考えずに、私のやるべきことに集中しましょう」


 そう口にした彼女が書類からわずかに顔を上げて、その口元を緩める。


 「ありがとうございます」


 本当にずるい。普段ピクリとも表情筋を動かさない癖して、いきなりそんな笑顔を見せるなんて。おかげでなんだかこっちはその必要もないのに顔が熱くなってしまうのだから、ずるいったらずるい。


 バンッ。


 突如として窓の方から大きな音がし、私は咄嗟に槍を構えた。

 見ると特大のイモリのようなものが窓ガラスに張り付いていた。感情のない瞳で建物内にいる私たちを見つめている。


 「火蜥蜴ファイアリザードですね。ガラスが破られないといいのですが」


 彼女はいつでも逃げ出せるように書類を抱えられるだけ両手に抱える。

 彼女のことを守ると言ったばかりだ。もしもあの大トカゲが窓ガラスを突破してきたら私が彼女を守らなければ。窓と彼女との間に立ちはだかる。


 ピシピシとガラスに亀裂が走っていく。大トカゲが力を入れているのだろう。

 背後の彼女が一歩後退る気配を感じる。逃げる踏ん切りがつかないのは、両手に抱え切れずに机に残された書類に未練があるからだろう。きっとあれもないと彼女の調べ物はできないのだ。


 「くっ」


 槍を手放すと、片手で机の上の書類を掴み、もう片方の手で彼女の手を取って走り出した。それと同時に窓ガラスが破られる音が後方で響く。


 「貴女の槍が、」

 「今は逃げるのが先!」


 ちらりと振り返ると、トカゲが炎のような舌をチラチラと見せながら追いかけてきているところだった。鈍重そうな見た目の癖に意外に早い。


 このままでは追い付かれる、そう思った時だった。


 目の前で紅い外套がはためく。


 大トカゲの身体から噴出する炎が紛い物に見えるほどの、赤より紅いほむら色の髪が躍る。私たちと大トカゲの間に一人の男が割り込んだのだと気が付いた時には、一閃はトカゲを切り裂いた後だった。


 「無事か?」


 低い声が尋ねる。その手には二振りの剣。

 一体誰だろう。その疑問をイリーナ試験官の声が解消した。


 「ギルド長!」


 二つ名、<<永遠のほむら>>。

 この街の冒険者ギルドの頂点に立つ男がそこにいた。

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