第8話 新たな友と新たな師

 「なに? この単語はなんて読むか、だと?」


 読めない単語があって質問をすると、案の定ヘンリーに眉を顰められてしまった。機嫌を損ねてしまったか。


 「ふむ、さてはあれか。キミは最近読み書きを覚えたんだな? 読み書きの教育もなされていないような寒村出身で、そこを飛び出してきて冒険者になってから読み書きを覚えた。そういうことだろう?」


 単語一つ尋ねただけで出身まで見透かされてしまった。尋ねた単語はそこまで簡単なものだったんだろうか。


 「さっきは目標など無いと言っていたが、見上げた向上心じゃないか。前衛をやっている者など学に興味のない脳筋しかいないのだと思っていた」


 機嫌を悪くするどころか、意外にも褒められてしまった。

 俺が前衛だというのは、まあさっき買ったばかりの革鎧を身に着けてるから見るからにそう見えるんだろうな。


 「うん、ありがとう。それでこの単語はなんて読むの?」

 「気に入った、試験が終わったらオレとパーティを組むことを許してやろう」


 俺の言葉など聞いちゃいない。

 Sランカーやそれを目指す人はみんなこうなのか?


 「……すまん、間違えた。『許してやろう』じゃなくてえーと、」


 ヘンリーは額に手を当てて考え始めた。今の言葉が横柄過ぎると気づくだけの謙虚さは持っているらしい。


 「その、あー、よかったらオレとパーティを組まないか? オレは見ての通り魔術師だからソロで潜るのは厳しくてね。だからパーティメンバーが欲しいのだが、これが何故だかなかなか見つからないのだ」


 それはいきなり人を雑音扱いするからじゃないだろうか。そう思ったが、口には出さない。その代わり冷静にこう言った。


 「別にいいけど、この単語なんて読むのか教えてくれないか? 勉強を教えてくれたらパーティを組んであげるから」


 こうして俺は教師兼パーティメンバー仮を手に入れたのだった。

 なんというか、ハルトさんが凄すぎてこういうノリに慣れてしまった気がする。


 *


 ヘンリーはノリノリで勉強を教えてくれた。意欲がある者には面倒見がいいタイプなようだ。

 最後には「お互いに合格しよう」と鼓舞し合って別れた。変わった奴だったが、友達になれそうだ。


 「さて、と……」


 空にはもう月が出ている。あとは<<小鹿亭>>に帰って夕食を摂るだけだ。

 そう思っていたのだが、<<小鹿亭>>に帰ると意外な姿をそこに見つけた。


 「あれ、モニカちゃん!」

 「あ、ノエルくん!」


 酒場のテーブルに着いてホットミルクで身体を温めているモニカちゃんがいたのだ。その顔を見てあっという間に身体が熱くなってくる。

 姐さんが遠くから俺のその様子を見て意味深に眉を上げている。面白がっているような顔だ。


 「どうしたの一体?」

 「この時間いるか分からなかったけど、おばば様にノエルくんのこと聞いてきたから」


 そういえばそうだった。そんな約束をしていた。

 あれから真っ直ぐにおばば様とやらに聞いてくれたのか。なんていい子だ。

 かくいう俺は「その件はもう解決した」と伝えに行くのを忘れていたというのに。


 「あー、ごめん……実を言うと、もう原因分かったんだ」

 「え、そうなの? よかったね! あれは何だったの?」


 エメラルドみたいな深緑の瞳で見上げてくる彼女に、俺は事の次第を説明した。

 要はハルトさんという人にかけられた魔術だったのだと。


 「そうなんだ、悪いものじゃなくてよかったね」


 彼女はほっと安堵の溜息をついてくれた。

 確かに悪いものではないが、かといって良いものかというと首を傾げる。


 「あ、それでね、実はおばば様にノエルくんの話をしたら、おばば様がノエルくんに興味を持っちゃって……」


 嫌な予感がした。ここ最近俺に興味を持つ人はみんなろくでもない……じゃなかった、押しが強い人ばかりだったから。


 「ノエルくんに会ってみたいんだって」


 やっぱり。そういう話になるんじゃないかと思った。


 「俺は大丈夫だよ。今からモニカちゃんを神殿に送っていくついでにそのおばば様に会おうか?」


 彼女の手前、俺は快諾した。

 内心ではまた頼み事をされることになるんじゃないかと思いながら。


 「ありがとうノエルくん、おばば様も喜ぶよ。 あ、おばば様は気さくな人だから安心してね」


 モニカちゃんがぱっと顔を輝かせる。

 彼女は普通にしてても可愛いが、笑顔になるともっと可愛い。

 彼女のそんな顔を見るとなんでもしてあげたい気分になってしまうのだった。



 「おばばさま、ノエルくんを連れてきました!」


 神殿の中をぱたぱたと歩いていくモニカちゃんに先導されて奥へと通された。

 途中、<<迷宮>>で何度か見かけた他の巫女さんともすれ違った。

 俺はこの神殿の神様を1ミリも信じていないのだが、入ってきて良かったんだろうかという気分になる。呼ばれて来たのだからいいに決まってはいるのだが、気分的に禁忌感を覚えるのだ。

 それほどまでに月明かりに照らされたこの石造りの神殿は荘厳で、神秘的だった。


 「お、もう来てもらったのかい。モニカは行動が早いねえ」


 神殿の奥まった一室にいる老婆が飛び込んできたモニカを見て笑顔を向ける。

 部屋に灯された蝋燭は蜜蝋ではないのか独特の匂いがしなかった。


 「そしてお主が噂の『ノエルくん』か。よろしくのう」


 老婆が俺ににこりと笑顔を向けた。この人がおばば様とやらか。


 「あ、よろしくお願いします!」


 酒場の店員として培ってきた爽やかな笑顔と共にペコリと頭を下げた。


 「モニカには話を聞いていたが、何でも黒い靄が身体を覆ったと思ったら傷が完癒したとか」

 「あ、それなんですけど……実はあるSランク冒険者にかけてもらった魔術なんです」


 今朝方それを知ったばかりでお伝えし忘れていました、すみませんと頭を下げる。

 それを聞いたおばば様はふむと小さく唸る。


 「そのSランク冒険者、もしやクロヤマ・ハルトという人物ではないかね?」

 「え、知ってるんですか!?」


 驚いて顔を上げた。


 「界隈では有名じゃ。<<創世>>のハルト――――魔術の常識を一変させた男じゃ」

 「へえー……そんな凄い人だったんですか」


 まったくもって知らなかった。


 「うむうむ。彼の存在が知れ渡り出した頃、わしはまだ引退しておらず大巫女をやっておったがな。クロヤマ・ハルトは王都の魔術学校を最年少で主席卒業すると、彼独自の革新的な魔術理論を記した魔術入門書を広く流布させたのじゃ」


 「王都……」


 この街からずっと遠くにあるこの世界で一番大きな街。それが王都だと耳にしたことがある。ハルトさんはそこから来たのだ。その事実が彼の凄さを一番実感させた。


 「今ではどの魔術学校でも教科書として採用されておる。しかし彼がその魔術の深奥まで教えた人物は少なく、直接の弟子だけだという話じゃ」


 「はあ、そうなんですか」

 「そんな凄い人がノエルくんに力を貸してくれたんだね、すごいね」


 俺が適当な相槌を打つ一方、モニカちゃんは目をきらきらとさせて話を聞いている。


 「ただ伝わっていることは彼が魔術を行使するときには黒い瘴気が辺りに漂うということのみ。それでモニカの話を聞いた時にもしや、と思ったのじゃ」


 なるほどそうだったのか。それを知っていたら『おまじない』をかけられた時もあんなに吃驚せずに済んだのに。ハルトさんはすべてにおいて説明が足りない。


 「『ハルトの魔術理論』はわしも目を通したが、異なる魔術体系の古代魔術にはあまり応用できんかったのが残念じゃ」


 古代魔術、巫女の使う魔術だ。オークを焼き払ったモニカちゃんのあの魔術がそれだ。


 「だが本人に直接見てもらえれば何か得られる知見もあるのではなかろうか。常々そう思っておった。そして<<創聖>>のハルト殿はいまこの街にいるのだろう? 是非とも一目お会いしたいものだ」


 おばば様が期待した目つきで俺を見る。言いづらいが、正直に事実を言わなければならないだろう。


 「それがその、ハルトさんはずっと遠くにある故郷に帰ってしまって……」

 「なに!?」

 「あ、でも、故郷からここまで一瞬で転移? できるみたいなので、戻ってくることもあるかもしれません」


 おばば様の目つきが怖くて、ついそう言い添えてしまった。

 流石に異世界がどうのこうのというのは口に出さないけれど。だって異世界人だなんてことを本人の許可なく言いふらしていいのかどうか分からなかったから。


 「長距離転移とは……いやはや噂に違わず凄いお方のようじゃ。どうじゃ、もしハルト殿が戻ってくることがあったら、この婆に口利きをしてもらえんか。なに、礼はしよう」


 「いやいや、いつ戻ってくるかも分かりませんし、それにお礼なんて……」


 「聞けばお主、剣に魔力を通わせる魔力剣の使い手だそうじゃな。だがそれだけでは魔法剣士にはなれぬ。剣に単なる魔力を通すのではなく、構築した魔術を刃に行き渡らせる――――魔法剣を使えるようにならねばな」


 無茶ぶりをそつなく断ろうと思ったのに、その一言に顔に張り付けた笑みが固まった。


 「どうじゃ? わしがお主を魔法剣士にしてやろう。それが礼じゃ」


 老婆はニヤリと笑った。

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