第7話 緑髪の魔術師ヘンリー

 我に返った俺がまずしたことは、ハルトさんが宿代を先払いしているかどうか姐さんに確認することだった。目の前で宿代の踏み倒しを許してしまったなんて沽券にかかわる。


 そして宿代の無事を確認した後、俺はやっとするべきことを思い出した。

 そうだ、昇格試験の準備をしなければ。幸いにして装備を新調するだけの金もある。


 今日は水の日。水の日と太陽の日は酒場で働かず、完全な休みにしている。

 身体を休めたり冒険の必需品を買い込むのに週に二日は休みが必要だ。

 あとあんまり酒場で働く日を増やし過ぎたら、そのまま冒険者を辞めることになってしまいそうな気がして機械的に休みを設定した。だって酒場で働いてる方がずっと楽に稼げるから――――意識してないときっと俺は楽な方に流されてしまう。


 「ついに初めての昇格試験か……」


 昇格試験の概要は<<小鹿亭>>の常連さんに教えてもらったことがある。

 戦闘試験、筆記試験、実技試験の3つがあると聞いている。そして一つ一つの試験は100点満点だけれど、3つ合わせて200点を超えればそれでいいそうだ。極端な話を言えばどれか一つが0点でもほかの二つで100点を取れれば合格ということだ。

 ギルドが欲しいのはオールラウンドな冒険者ではなく、様々な能力を持った多種多様な冒険者だからということだそうだ。


 戦闘試験。試験官と戦うことでその成績が点数となる試験。

 全試験の合計で結果が出るので、試験官に負けても合格できる可能性はある。

 俺は試験でいい点を取れそうかと言うと……どうだろう。剣に魔力を通す魔力剣と、あとハルトさんにもらった加護はあるものの試験官に通用する気はしない。目の前で傷が治ったからと言って点数がもらえるとも思えないし。


 筆記試験。冒険者に必要な知識を試す試験だ。

 「ここで働くなら読み書きは必須だ」と姐さんに言われたので、足が治るまでの間は読み書きを勉強していた。だが制限時間内に文章を読んで書いてを終わらせられる気がしない。口頭試験にしてもらおう。

 試験内容に必要な知識はと言うと、冒険者の集う酒場で働いていたおかげで豆知識だけは豊富だ。ただそれが試験に通用するかどうかは分からない。試験勉強をするべきだろうか。


 そして実技試験。これは実際に<<迷宮>>に潜って指定の物を取ってくる試験だ。

 試験官と二人一組で<<迷宮>>に潜り、試験官がそばで逐一戦闘の腕前や採集の手際を見るらしい。

 Dランクの昇格試験では第二階層に潜ると決まっている。そう聞いた。

 かつて俺が足を切り落とされたトラウマの場所だ。酷く自信がない。まあ今はハルトさんの加護があるし、本番では試験官もついてるから死にはしないだろうけど。


 総合すると……全部自信がないということだ。

 うん、せめて少しでも有利になるように今日は装備を整えて勉強しよう。そう決心したのだった。


 *


 俺はまず防具屋へと向かった。

 今持っている剣は酒場で働いた金をコツコツと貯めて買った物で、魔力の伝導率が高い魔法剣士用のものだ。これより質の高い物を買うとなると金貨2枚程度ではどうにもならない。

 ということで武器は買い替える必要が無いので鎧を買いに来たのだ。いくらハルトさんの魔術が身体を治してくれるとは言っても、昨日のオークの一撃は痛かった。4,5階層に出てくる魔物からの攻撃で動けなくなっているようではこの先通用しないだろう。

 防具屋に並んでいる既製品の鎧の数々を眺める……。

 「ううん、鉄製の鎧はどれも高いなぁ」

 鉄鎧の値段を見て思わず独り言を呟いてしまう。貯金を切り崩せば手が届かなくもないが、今後の生活費や急に装備が壊れた時のことを思うとそれは不安だ。

 となると現実的なのは革鎧だろう、と飴色の革鎧に視線を移す。胸と腹、肩を覆うタイプの鎧で動きやすそうだ。前でベルトを締めて装着する形になっているのか、ボタンのように縦に並んだベルトがかっこよかった。これを着た自分の姿を想像するとちょっとワクワクする。よし、試着しよう。


 「へへ、買っちゃった……」


 十数分後、俺は目を付けた革鎧と、それとセットになっているブーツを纏って防具屋から出てきた。革鎧と同じ色合いだからお洒落に見えますよと乗せられて、ついつい買ってしまったのだ。

 臨時収入の金貨はほとんど使ってしまったが、後悔はしていない。鏡に映った俺の姿はいっぱしの冒険者のように引き立って見えたから。

 今度<<小鹿亭>>の常連さんにでも革鎧の手入れの仕方を聞こう。少しでも長く使っていきたいから。


 今度は街の図書館へと向かう。

 ギルドの筆記試験の勉強をどうやってするかと言うと、過去に出た問題を纏めた本があるのだ。ギルドが公式に出した問題集もあれば、冒険者が独自に分かり易い解説を添えて出版した本もある。

 そしてそれを買うのは高いから図書館で勉強するという訳だ。ここが大きな街でよかった。田舎にはまず図書館なんてないから。

 図書館に入り、問題集の棚を探し……。


 「あった」


 Dランク昇級試験問題集の薄い冊子を見つけて手に取ろうとすると、同じ本を取ろうとした他の人と手がぶつかってしまった。


 「あ、すみません!」

 「あーこちらこそすまない」


 手がぶつかったのは銀縁眼鏡の細身の男だった。この国ではよくある緑色の髪が癖っ毛でくるくると跳ねている。見たところ同年代くらいだろうか。白いローブを纏っているのが印象的だ。


 「ふむ、なるほど。キミも規制のせいで覚悟を決めて昇格試験を受けることにしたという口か」


 「へ?」


 「誤魔化さなくてもいい。試験を受ける権利を得てはいたものの、受かるには準備が必要だろうと思ってすぐには受けなかった。ところが今回の<<迷宮>>への入場規制ですることが無くなったので、今週末の試験を受けることにした。そんなところだろう?」


 眼鏡のグラスをキラリと輝かせて緑髪の男は言った。


 「あー……うん、そんなところ」


 まさか規制の直前に資格を得ていたとは言いずらくて、男の言葉を肯定した。

 そうか昇格試験の権利を得てもすぐには受けない人もいるのか。というかこの男の言いようからして、そっちの方が多数派なのかもしれない。ちょっと恥ずかしかった。

 ちなみにギルドの昇格試験は毎週太陽の日に行われる。だからあと四日あるのだ。


 「やはりそうか。実のところオレもそうなんだ。ちょうどいい、せっかくだから一緒に勉強しないか」

 「ああ、いいよ」


 断る理由も見つからなかったので、頷いた。

 正直読み書きができるようになったばかりの俺がちゃんと本を読めるかどうか不安だったから助かる。


 「オレの名はヘンリー・エインズワース。いずれSランカーとなる男だ」


 彼が眼鏡のツルをくいっと上げて名乗った。Sランカーになるだなんて大した自信だ。


 「は、はあ……俺はノエル。目標のランクは特にない、かな」


 図書館の椅子に腰かけながら俺も名乗る。

 目の前の生活をこなすのに精いっぱいで、目標など考えたこともなかった。俺は一体何ランクの冒険者になりたいのだろう。


 「では始めようか。実を言うとオレは適度に雑音があった方が集中できる性質でね。共に勉強する人がいるのは助かる」


 雑音扱いされたような気がしたが、気にせず本を開いた。質問を投げかけるのは間違いなく俺の方が多いだろうから……それもごく基本的なことで質問することになるだろうから、文句は言わない方がいいだろう。


 それにしてもまたあくが強い人と知り合いになってしまったものだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る