第6話 冒険者酒場に錨を

 「へえ、お前あのSランカーに用事が?」


 翌日。

 <<小鹿亭>>の店主、通称あねさんにあのSランク冒険者の部屋が何処かと尋ねると腕済みしてそう聞き返されたのだった。

 姐さんは赤毛の堂々とした風格のある女性で、目元の皺はやや目立つものの十分美人と言って差支えない美貌を保っていた。こうやって腕組みをするとモニカちゃんよりも大きな胸が強調される。

 冒険者は宿屋に泊まるときに宿代を割引してもらえるから、泊まるときにランクタグを提示することになっている。だから姐さんは泊まっている冒険者のランクは全部知っているのだ。


 「はい、なんだか頼み事があるとか言って。内容は教えてもらえなかったんですけど」


 はきはきと答えたが、姐さんはそれを聞くなり顔を曇らせた。


 「お前それ……掘られるんじゃないか?」


 姐さんは、一度は俺もした心配を口にした。


 「いやいや違いますよ、本人も否定してましたから! いい人ですし!」

 「そうならいいが……もし何かあったら大声で叫べよ。アタシが助けてやるからな」


 男よりも男気のある女傑がこの姐さんであった。

 ただ元冒険者の姐さんでも、流石にSランク冒険者には敵わないんじゃないだろうか。

 心配する姐さんを宥めながら、階段を上がって教えられた部屋へと向かった。



 「やあ、来てくれてありがとう」


 ドアを叩くと、昨日のSランク冒険者さんがにこやかに迎えてくれた。


 「それで俺に頼み事ってなんですか?」


 彼が椅子に腰かけるよう手ぶりで示してくれたので、腰かけながら尋ねる。


 「その前に自己紹介をしようか。君に名前を教えていなかったね。ボクはクロヤマ・ハルトだよ」

 「あ、俺はノエルと言います……!」


 彼が名乗ったのは異国の響きがする名前だった。きっと何処か遠くから来たのだろうと思った。

 そういえば彼のような綺麗な黒髪はなかなか見かけない。

 彼の国では彼のようにかっこいいオッドアイの人がたくさんいるのだろうか。


 「実を言うとボクの故郷はここからすごい遠いところにあってね。つい最近そこへの帰り方が分かったんだ」

 「へえ、そうだったんですか。それは良かったですね」


 人攫いか何かに遭って故郷の場所が分からなくなっていたのだろうか。

 珍しい話ではないので普通に納得して頷いた。


 「これから帰るとこなんだけど、その前にボクの世界とこの世界を自由に行き来できるようにしておきたくてね」

 「はい。はい……?」


 世界? 独特の単語が出てきて首を傾げた。


 「あ、ボクの故郷は異世界にあるんだよ。それでその為にはこの世界に錨を打ち込む必要があるんだ」

 「は……??」


 いきなり話がちんぷんかんになった。流石Sランカーは見ているものが違うらしい。

 クロヤマは胡散臭い微笑みを浮かべたままべらべらと喋り続ける。


 「そして君が<<アンカー>>適性100%適合者だったからその錨になって欲しいんだよね。あ、そのことはこの左目が鑑定の魔眼だから見抜けたんだけどね。ともかく他に適合者も見つからないし、この街に住んでる君が<<アンカー>>になってくれるとすごく助かるんだけど、どうかな? 聞いてもらえるかい?」


 「……???」


 何を言われているのやらまったく理解できずにパチパチと目を瞬いた。


 「いやもちろんお礼もするよ! 君に死なれたらボクも困るから、君にかけた自動治癒と即死無効はそのままにしておくし」

 「あ、あの黒い靄、貴方のせいだったんですね!?」


 やっと彼の言っていることが一つ理解できて叫んだ。

 おまじないとか言って彼に魔術をかけられたことを思い出した。オークに傷つけられた身体が勝手に治ったのはあの時の魔術の作用だったのか。


 「あ、ボクの魔術は役に立ったのかい? それは良かった。向こうに帰っても君のことをそれとなく見守って、君が死にそうになったら助けに来るし。それが今回のお礼っていうことでどうだい?」

 「いやいやいや違いますよ、何を勝手なことをしてるんですか!」


 いくらSランク冒険者と言えど、そういう時には一言断るべきなんじゃないだろうか。

 怒りに打ち震えると、彼はニッコリと目を細めて殊更に優しい口調で言うのだった。


 「でもあれがなかったら君は死んでいただろう?」


 突き付けられた現実に怒りは一瞬で冷えた。

 確かにあの靄が身体を治してくれなかったら俺は死んでいただろうし、モニカちゃんも死ぬより酷い目に遭っていたかもしれなかった。


 「たしかに、そうでした。貴方は命の恩人です、本当にありがとうございました……!」


 立ち上がると、深く深く頭を下げた。

 知らぬ間に助けられていたとはいえ、恩を忘れるべきではない。


 「うん、いいね。君は物分かりがいいし、礼儀正しいね。ボクはそういうの好きだよ」


 彼が鷹揚に頷く気配がしたので顔を上げた。彼が俺ににこりと笑いかけるのが目に入った。


 「それじゃあ取引成立ってことでいいかな?」

 「いや、」


 そもそも貴方が何を言っているのか半分も理解できていないんです。

 そう言うよりも早く彼の手が動いた。


 とぷりっ。


 まるで水面に沈むように、彼の手が俺の胸を貫通した。


 「うわぁああああっ!?」

 「大丈夫さ、君の魂をこの世界の核に下ろすだけだ。君の身体は自由に動けるから安心してくれたまえ」


 やがて俺の身体の中から、ガチャンと金属音が鳴って彼の手が引き抜かれた。

 俺の服にも身体にも彼の手が貫通した穴など空いていない。

 金属音は何だったんだろう。まさか俺の身体の中に金属が埋まっている訳もないし。


 「うんうん、ちゃんと機能しているね。じゃあボクは元の世界に帰るよ。平和な世界ではあったけれど、何かの間違いで第三次世界大戦が起こっていないとも限らないし早く帰って様子を確かめたいんだ。じゃあね」

 「あ、はいさようなら……?」


 彼が手を振るので反射的に手を振り返す。

 すると彼の姿が目の前でシュンッ、と掻き消えてしまった。


 「え……え……っ!?」


 慌てて周りを見回しても何処にも彼の姿は無かった。

 本当に彼は元の世界とやらに帰ってしまったんだ。本当に異世界人だったんだと驚きに包まれる。

 と思ったらまた、シュンッと彼の姿が目の前に現れた。


 「あ、成功成功。ここに戻ってくることもちゃんと出来るね良かった」


 「うわぁ!」


 「実験も成功したから、今度こそ帰るよ。じゃあね、元気でね」


 そしてまた彼の姿が消え、今度こそ戻ってくることはなかった。

 誰もいない部屋に一人ぽつねんと佇みながら、「Sランク冒険者というのは人というよりも天災に近い」という常連のおっさんの言葉は真実だったなとしみじみと噛み締めた。

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