第3話 オークとの邂逅

 「モニカちゃんっ!」


 大広間へと向かうと、そこには尻餅をついて竦み上がっているモニカちゃんと――――それを見下ろす大きな大きなオークがいた。オーク!? 一階層には人型の魔物なんて絶対に出ない筈なのに!

 豚のような三角形の垂れ耳がついた大男であることから、この魔物がオークであると判る。オークの背丈は2mは超えていた。オークは通常なら4,5階層辺りから出てき始める魔物だと聞いている。もちろん俺が敵うわけはない。


 右膝の付け根がズキズキと痛んだ。初めて<<迷宮>>に足を踏み入れた日のことを思い出す。

 あの日俺は第一階層の魔物を倒せることに調子に乗って、いきなり第二階層へと降りてしまった。そして第二階層の魔物と戦い……右足に痛みが走ったと思ったら、膝から下が無くなっていた。

 偶然治癒術が使える冒険者が通りかかってくれたのと、切り口が綺麗だったのもあって足はくっついたが、あの時は死を覚悟した。


 あの時と同じ空気を感じる。何か大きな過ちを犯してしまった代償であるかのように、眼前に死が立ちはだかって冷たい空気が肌を刺してくる感覚。


 足が完治してからすぐにまた<<迷宮>>に潜るようになると、「大怪我をしたのに勇気があるな」と雇い主である酒場の店主は褒めてくれた。

 でもそれは違う。勇気があるからじゃない。冒険者としての活動を続けなければ分からなくなってしまうからだ。なんで酒場でなんか働いているのか。なんでこの街にいるのか。何のために村を飛び出してきたのか。何のために生きているのか。夜、ベッドの中で目を閉じると否が応でも煩悶した。


 ここで彼女を見捨てたら、何のために生きているのか決定的に分からなくなってしまう。俺は考えるまでもなくモニカちゃんとオークの間に飛び出した。


 「ノエルくん!?」


 オークの振り下ろした棍棒が俺の身体に直撃した。


 「ぐあ……ッ!!」


 衝撃に吹き飛ばされ、俺はもんどりを打って大広間の壁にぶつかった。

 呼吸が止まる。口を開こうとすると、血反吐が口から吐き出された。内臓をやられたのだろうか。身体を動かそうとすると全身が酷く傷んだ。きっとあちこちの骨が折れているに違いない。

 オークが俺を吹き飛ばしたのを見たモニカちゃんは、立ち上がって何かを構えていた。


 「待ってねノエルくん。いま助けるから……っ!」


 それは一見すると緑の葉が茂ったただの木の枝に見える。

 だがそれは巫女が使う魔法の杖なのだと俺は知っている。

 つまり彼女はオークと戦うつもりなのだ。俺がここに倒れているから。駄目だ、逃げないと。

 彼女は呪文を唱え始める。


 「リン・カ・サン・ラ・シャ・スイ・ル・ナル・ミ……」


 巫女の扱う古代言語による呪文だ。

 彼女は一語一語をはっきりと、しかし素早く紡いでいく。

 魔術は呪文が長くなればなるほど威力を増すものだ。

 きっと彼女はオークを一撃で沈められるほどの魔術を紡ぐつもりなのだ。

 だがそれには絶対的に時間が足りない。オークがもう彼女の間近に迫っている。

 彼女を助けなければ……!


 「う、ああ……ッ!」


 声が出た。もう血反吐は出ない。

 手足が動く。驚いて自分の身体を見下ろすと、俺の全身を黒い靄が包み込んでいた。見ている間に靄に撫でられた箇所の傷が治っていくのが見えた。なんだこれは。


 「シャイグ・シャイグ・セレ・ミタ・リケ、シャイグ・シャイグ……っ」


 モニカが呪文を唱えながら間一髪のところでオークの攻撃を避けた。

 考えている場合じゃない。彼女を助けるんだ。


 「うぉああああッ!!!」


 立ち上がり、オークに向かって一心不乱に突撃した。

 駆け出し、一歩一歩を踏みしめているその間にも骨が継ぎ、傷が塞がっているのを感じる。

 オークはいま俺に向かって背を向けている。

 もう倒れたと思っていた俺が動けるのがよほど意外なのか、首だけ振り返ったオークの目が間抜けに見開かれていた。俺はその背に向かって全力で剣を突き立てた。


 「ゴァアッ!?」


 無我夢中でオークに突き刺した刃には、芯まで魔力が籠って光り輝いていた。

 オークは悲鳴を上げて俺に棍棒を振りかぶる。


 「シャイグ・セレ・ミタ・リケ――――ッ!」


 モニカが呪文を呼び上げる声が力を振り絞ったかのように一際大きくなり、魔術が完成したのだと悟った。

 オークの身体から素早く剣を抜いて、飛びのく。

 その瞬間、大きな大きな炎の弾がオークに向かって真っ直ぐに飛んでいく。


 「グァアアッ!!!!」


 オークが業火に焼かれて苦しんでいる。こんな強力な魔術が使えたなんて、凄い。

 俺はその場に立ち尽くしてオークが焼かれている様に見入っていた。

 やがてオークだった黒焦げの死体ができあがるまでずっと放心していた。


 「はっ、モニカちゃん大丈夫!?」


 オークがもう二度と動かさないことを認識して、やっと生き残ったことに気が付いた。慌ててモニカちゃんの元に駆け寄る。


 「私は大丈夫! ノエルくんこそ怪我は!?」


 彼女が俺の全身に目を走らせる。

 ちょうどその時、黒い靄が最後の擦り傷を治して消えていったのが彼女の目に入ってしまった。


 「え、これ……凄いね!? 傷が全然ない!」


 彼女が目を丸くして俺の胸板や腕をバンバンと叩いて無傷なことを確かめる。

 力加減に容赦がない。傷が残ったままだったらこのダメージで崩れ落ちていたかもしれない。……でも彼女に怯えられなくて良かった。


 「ごほっ、う、うん、大丈夫だから、ちょっと、」

 「あ、ごめん!」


 彼女は慌てて手を引っ込めた。


 「何でかよく分からないけど、オークに吹っ飛ばされた傷がひとりでに治っちまったんだ」

 「ノエルくんにも理由が分からないんだ?」


 彼女の深緑色の瞳が真っ直ぐに俺を見上げている。

 「ふっ、これが俺の能力なんだ」とか言って格好をつけるべきだったかと一瞬考えてしまう。止めておこう、嘘を吐いたっていいことはない。


 「なんか不気味な靄が出てたけど、これって呪いとかじゃないよな?」


 その代わり情けない顔して彼女に尋ねた。だって怖いもん。


 「ううん……少なくとも私は傷を治しちゃう呪いなんて知らない。おばば様に聞いておこうか?」

 「ああ、それは助かる」


 頷いたところで気づく。そうだ、オークの魔石を取っておかないと。

 丸焦げになってしまったので他の素材は駄目そうだが、魔石は何をしても大抵は無事なのだと聞いている。酒場で普段冒険者たちの会話を耳にしているので、豆知識だけは豊富なのだ。

 炎はもう鎮火している。オークの死体に近づくと、剣先で炭と化した死体を崩して魔石を探した。


 「あった!」


 輝くものを見つけてそれを拾い上げて掲げる。が、変なことに気づいた。


 「なんだか……金剛石みたいに綺麗だね、それ」


 モニカちゃんが口にした通り、魔石は透明に透き通っていた。

 俺がさっき拾ったスライムの魔石のように普通は何らかの色がついているものだ。それは魔石に含まれている魔力の属性を表しているらしい。だから普通は透明なわけがないのだ。


 「これ、魔力がないハズレってわけじゃないよな?」

 「ううん、そんなことはないよ。ちゃんと魔力を感じる」


 巫女であるモニカちゃんは物に籠っている魔力を感じることもできるらしい。

 そういう俺も魔石から魔力を感じる。物に魔力を籠めることが出来ると、籠められた魔力を感じることもできるのだ。


 「まあいっか。万が一ハズレだったらごめんだけど」


 彼女の手を取ると、手の上にこの透明な魔石を乗せた。

 彼女にあげようと思っていたから、売れないような代物だったら嫌だなと思って一応聞いたのだ。


 「えっ、これ……」

 「あげる。モニカちゃんがオークを倒したんだし」


 手に乗せられた魔石を見て彼女の顔が赤くなる。


 「だだだ駄目だよ、ノエルくんがいなかったら私死んでた! だからこれはノエルくんのだよ!」


 モニカが魔石を突き返そうとしてくる。これでは話は平行線を辿りそうだ。


 「じゃあ、これを売った金を山分けでどうだ? 俺とモニカは臨時のパーティってことで」


 パーティを組んだ冒険者たちは大抵の場合報酬を等分にする。

 その習わしに従うならば彼女も納得するだろう。


 「ノエルくんと、臨時のパーティ……。うん、いいね」


 彼女ははにかんでその提案に頷いたのだった。

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