第2話 迷宮にて

 「はあ、せいっ!」


 汗を流しながら剣を振るう。緊張に胸が鼓動している。もうとっくに完治したはずの脚の傷がズキズキと痛んでいるような気がした。

 ぶおんと空気が唸る音が聞こえ、慌てて飛び退った。一瞬後、俺がいた場所をスライムの触手が薙ぎ払った。

 スライム。<<迷宮>>の第一階層に出る代表的なモンスターだ。物理的な攻撃では決定打を与えられないことで新米冒険者を苦しめる。もちろん普通ならば俺の持っている剣でも大したダメージを与えることができない。

 だが俺はスライムを相手にするのだけはかろうじて得意と言えた――俺が持っている特技のおかげで。


 「はあっ!」


 剣を掲げ、その刀身に『力』を籠めていく。

 今がチャンスなのだ。スライムは時折その不定形の身体の一部を触手のように伸ばして攻撃してくるが、長い間保っていられないのか一度攻撃すると触手が一旦体の中に戻っていく。そして再び触手を伸ばしてくるまでに少しの間があるのだ。

 『力』を籠め終わると刀身は淡く白い光を発し始めた。よし、準備万端だ。


 「喰らえっ!」


 俺は全力でスライムに切りかかった。刃はスライムの粘体を切り裂いて真っ二つにした。

 スライムは液体のようにべしゃりと地面の上に平たくなったかと思うと、それきりもう動かなくなった。それと同時に俺の剣を纏っていた淡い発光もふっと消えた。


 この力こそ俺が冒険者の底辺としてなんとかやれている理由でもあり、俺が冒険者になろうなんて分不相応な夢を抱いてしまった原因でもあった。

 小さい頃から俺は怒ってる時や興奮してる時に持っている物が淡く発光してしまうことがあった。

 ある日村を訪れた冒険者が「それは魔力だな。昔からいるんだ、物に魔力を籠めるのが生まれつき上手い奴が。良かったな坊主、修行すれば魔法剣士になれるかもしれんぞ」と幼い俺の頭を撫でて言った。

 それが冒険者に憧れるようになったきっかけだった。

 だが甘かった。ちょっとした特技が一つあるくらいで、知識も経験もなしに通用する世界じゃなかったんだ。


 「ふう……」


 一息つきながら、スライムの体液の中に沈んでいる小石を拾った。暗い翡翠色に輝く宝石のような石、これが魔石というものだった。

 これをギルドに持っていけばいくらかの金になる。だが一階層に出現する敵だ、大きさで値段は多少前後するものの銅貨数枚分にしかならない。

 スライムの体液自体も加工すれば売れるようだが、俺にそんな技術があるはずもない。体液の採取依頼も受けていない。下の階層の魔物の素材ならばそのままでも買い取ってもらえるようだが……。

 基本的に一階層の敵だけ倒して生活できるようになってはいないのだ。だから俺は冒険者兼酒場の店員なのだ。

 ともかく無傷でスライムに勝利できた。今日は調子がいい。

 さらなる獲物を求めて俺は通りへと戻った。

 第二階層へと向かう開けた大きな道。これが一般に通りと呼ばれている。よく冒険者が通るだけあって、ここに出現するモンスターも少ない。この通りからあまり離れないようにしてはぐれモンスターだけ狩るようにすれば、敵に囲まれるようなこともない。

 何処へ行こうかと考えあぐねていると、後ろの方から足音が聞こえて振り返った。


 「あ、ノエルくん」

 「モニカちゃん……!」


 そこには俺を見つけて控えめに手を振る一人の女の子の姿があった。

 彼女はたった一人でこの<<迷宮>>にいるが、俺と同じソロ冒険者という訳じゃない。彼女は巫女なのだ。

 巫女とは昔々この街にまだ<<迷宮>>が無かった頃から根付いていた土着の宗教の聖職者で、モンスターが街にまで溢れ出してこないよう<<迷宮>>の一階層に結界を張っている。そのおかげで一階層にはほとんど動物同然の魔力の少ない魔物か不定形のスライムみたいのしか上がってこれないのだと。

 だから一階層と二階層以降では魔物の違いは段違いなのだ。そして俺は初めて<<迷宮>>に足を踏み入れた時に意気揚々と二階層まで下りてしまい、そこで死にかけて心を折られたという訳だ。


 「今日はモニカちゃんの当番なんだ?」

 「うん、そうなの」


 栗色の長髪を複雑に編み込んだ髪型の彼女は、おずおずと微笑むだけで可憐だった。

 巫女は複数人おり、当番制で第一階層の結界を点検していた。巫女の人は誰もがソロで第一階層を歩き回れる程度の実力は有している。だからモニカちゃんもこうして一人でここにいるのだ。

 モニカちゃんは最近見習い巫女から一人前になったばかりらしく、つまり俺が冒険者になったのとほぼ同時期ということだ。第一階層ばかりうろちょろしている俺はモニカちゃんとすれ違うこともしばしばあり、彼女には親近感を抱いていた。


 「じゃあ、頑張ってくるね」

 「うん、じゃあね」


 彼女がまた手を振って、通りのその先へと向かった。

 小走りになった彼女の大きな胸がたゆんたゆんと揺れているのに視線が吸い寄せられる。いや、違う、別に彼女のことをいやらしい目で見ている訳ではない。ただ村にはあんなに胸の大きい子はいなかったからつい見てしまうんだ。


 「ふう、さてがんばるか!」


 モニカちゃんと会話したことで気分がリフレッシュした。今日は調子もいいことだし、頑張れば明日の昼ごはんをちょっと豪華にできるくらいには稼げるかもしれない。よし行くぞ、と思ったその時だった。


 「きゃあぁーっ!!!」


 絹を裂いたような悲鳴が響き渡った。


 「モニカちゃんっ!」


 俺は反射的にモニカちゃんが向かった通りのその先へと向かった。

 巫女が結界を張り直す場所――――第二階層への階段がある大広間へと。

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