第1章 第一の禁忌

第1話 頼まれ事

 冒険者酒場<<小鹿亭>>専用の船着き場に、一隻の船がいかりを下ろす。

 船の積み荷は肉や調味料。船員から積み荷を受け取り、<<小鹿亭>>の厨房へと向かう。冒険者酒場での仕事は、いつも船が錨を下ろすところから始まる。


 *


 「おーい、ビヤを三人分くれ!」

 「はい、ただいまー!」


 轟くだみ声で呼ばれ、ジョッキにビヤを注いで飛んでいく。

 テーブルで待っているのはいずれも自分より遥かに屈強そうな冒険者が三人、だ。

 それでも怯むことなく笑顔を浮かべて彼らの前にジョッキを置いていく。


 「ノエル、酒場で働くのも板についてきたんじゃねえか?」


 冒険者の一人がにこやかに話しかけてくる。

 その男は目元に大きな傷跡があって一見強面だが、気さくな人物だともう知っている。


 「あはは、やっと慣れてきたような気がします」


 苦笑いを受かべると、次のテーブルへと急いだ。



 ――――実際、こんなことばかり板につくはずではなかった。

 酒場の陽気な店員になるためにわざわざ村を出てきたわけではない。

 冒険者としてこの街の<<迷宮>>を深層まで踏破し、華々しく名を上げるつもりだった。

 だが現実は残酷だった。俺の腕では<<迷宮>>にまるで歯が立たなかった。

 冒険者として日銭を稼ぐこともできず、副業として始めた酒場でのアルバイトが今や本業になってきている。



 「お待たせしましたー!」


 溜息を吐きたい心境を押し隠して、手を上げて店員を呼んだ客のテーブルへと向かった。


 「ご注文はなんでしょう?」


 にっこにこの笑顔と共に尋ねる。どんな時も屈託のない笑顔を浮かべられるのはもはや俺の特技と化していた。


 「いや、実をいうと注文というわけではなくてね……」


 客の容姿を見た瞬間、珍しいなと思ってしまった。

 若さの割に纏っている暗褐色のローブなど仕立てが良さそうでいい装備品だということが見て取れる。カラスの濡れ羽色の髪に、ハンサムな顔立ち。それだけでも充分目立つのだが、その男は右目が黒、左目が紅というオッドアイだったのだ。


 「ボクの個人的な頼み事を聞いてほしいだけなんだ」

 「はい? 頼み事?」


 聞き返すと、男は異なる色の双眸を細めて実に胡散臭い笑みを浮かべた。


 「でもここで口にする訳にはいかなくてね。ここの宿に部屋を取ってるから、後で部屋に来てくれないか?」


 男の台詞に思わず自慢の笑顔を崩して眉を顰めてしまった。

 この酒場は宿屋に併設されているから、別に部屋を取っているというのは不審ではない。ただ大抵の場合、そういう文句で誘いをかけられるのは女性の店員だ。つまりは金を払うから『お相手』をしてくれということである。

 俺が客の前でありながら後ずさってしまったのも無理はないという訳だ。


 「ああいや、違う違う。そういう話じゃないよ!」


 彼も俺の勘違いに気が付いたのか、慌てて手を振る。


 「ボクは同性愛者という訳じゃない。ただ本当に君に頼みがあるだけなんだ」

 「でも、俺に一体なんの頼みが……?」


 一定の距離を保ったまま尋ねる。


 「だからそれを言うためにもボクの部屋に来てもらいたい訳だけれど……ほら」


 男が脈絡なく胸元から首に提げていたものを取り出した。金属製のタグだ。それを目にした途端、俺の目がまん丸に剥かれた。


 「なっ、S級冒険者……!?」


 ギルドに登録した冒険者には明確にランク分けがされている。俺は最低ランクのEランクだ。

 そしてそのランクはギルドから支給されるタグを見れば分かる。目の前の男が見せたそれにははっきりと「S」の一文字が刻印されていた。言う間でもなく最高ランクだ。初めて見た。伝説上の存在じゃなかったんだ。


 「これで信用してもらえたかな?」


 男の笑みは相変わらず胡散臭かった。


 「え、ええっ、でもSランクのお方が俺なんかに何の頼みが……!?」


 そんなすごい人が一体何を頼むというのか。混乱は深まった。


 「いや頼みというのはそんなに大したことじゃないんだよ。だからこの後来てくれないかな?」


 そこで俺は迷った。それは別にこの男が信じられないからということではなく……


 「その……俺はこの後、予定があって……」


 思わず目を伏せた。

 Sランク冒険者様の頼みをわざわざ断る価値のある予定とは思えなかったから。


 「へえ、それはどんな予定?」

 「俺はまだ冒険者になるのを諦めてないんです。それで、週に三回はここで働いた後に<<迷宮>>に潜ることにしてて、今日はその日なんです……」


 迷宮に潜ると言っても、第一階層をうろちょろとするだけだ。そんなもの彼にとっては冒険とは言えないだろう。それでも俺にとっては命がけなのだ。


 「……ふうん、それは大事だね。こっちはいつでも時間があるから、明日でもいいよ」


 それでも男は鷹揚に頷いて、認めてくれた。


 「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」

 「いやいやお礼を言うのはこっちの方だよ。頼みを聞いてもらうんだからね」


 彼の胡散臭い微笑みが、本当に人のいい笑みに見えてきた。オッドアイだというのもかっこいい。


 「ただ、君が無事に<<迷宮>>から戻ってこられるようにおまじないをしてもいいかな?」

 「はい! はい?」


 つい反射的に返事してしまった。

 しまったと思ったときにはもう遅い。男が宙に複雑な文様を描くかのように指を動かし出した。


 「ちょ、ちょっと待っ、」


 黒い光としか言えないものが俺の身体を包み込んだ。昏く、黒いナニカなのにそれは闇ではなく光り輝いていた。


 「はい、おまじない終了」


 男の声と共に光は消えた。


 「俺に何をしたんですか?」


 狼狽しながら彼の顔を見つめるが、彼は笑みを顔に張り付けるばかりであった。


 「だからおまじないだよ。君が無事に帰ってこれるように」


 彼はそう言うが、黒い光に包まれるおまじないなど聞いたことがない。


 「……これは君にしか頼めない頼み事なんだからね」


 動揺していたせいか、彼がぼそりと呟いた言葉を聞き漏らしてしまった。


 「はい?」

 「いやいやなんでもないよ。明日の昼頃、ボクの部屋に来てもらえるということでいいかな?」


 彼の言葉に頷いて、それで大丈夫ですと請け負った。

 どんな頼み事かは分からないが、S級冒険者との縁ができたのは俺の人生始まって以来の大事件かもしれない。胸がどきどきと高鳴っていた。

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