第3話
「うん、一緒に行こう」
彼女は満面の笑顔でそう言った。慧に向かって、俺に向かって。その笑顔は可愛らしく、これが現実の世界だったらきっと、相当にモテるのだろうなと思う。
ただ、今の俺には、その笑顔から辛さしか感じることができない。
——なぜか?
それはこの先の物語があまりにも悲劇だからだ。なにせこの俺の演じている慧は事故に遭うのだ。しかも、彼女をかばって。
そのあとの慧はというと、肉体的にも精神的にもつらい日々を送ることになる。ただそれに関して、俺は演じているだけなので辛さは特に感じることはない。
大事のはその後のことである。ある程度予想はつくかもしれないが、この後、慧は事故の後遺症で死んでしまう。しかも、死ぬ時に慧は彼女にこう言う。
「今までありがとう」
と。そんな言葉を聞いた彼女は泣き崩れながら
「慧が死ぬなんて私が許さない。絶対に。だから……死ぬみたいなこと言わないで」
なんて必死になって言う。そんな彼女を見て俺は、毎回、胸を締め付けられる思いに駆られる。
なぜなら俺自身、現実世界で大切な人を最近失ったからだ。それはこの夢が始まる少し前のことである。だから、彼女の気持ちは痛いほどわかる。
だから俺は、買い物に行こうなんて誘い、したくもなかった。彼女が誘いに乗ってきてほしくもなかった。
——でも俺はこの物語に反する行動なんて取る勇気もない。
なぜならば、慧が死ぬまでのこの物語の世界は、現実世界から唯一の逃避することができる世界だからだ。この世界の秩序が乱れる、つまり物語から逸脱するような行動をして、この世界が消えてしまうかもしれない、そんなことだけは避けたい。だから俺は……。
「じゃあ、明日の八時に駅前でいい?」
——————
彼は弱々しく彼女に提案してくる。まるで何か迷っているかのごとく。そんな彼の姿を私は何回も見てきた。
——でもそれはおかしい。
私が愛読していたこの物語の本には、一切そのような描写が無い。彼が何かに迷うなんてことは無い。一直線なのだ。
だけどその本が無い私には証明しようがない。もしかしたら記憶違いかもしれない、そうとも思った。だから私は続けた。
「うん、大丈夫!」
——————
彼女は語尾にびっくりマーク五つ分ぐらい付けた返事をした。そしていつもと同じように、彼女は俺に笑顔を向けてくる。
だが俺は、その笑顔がいつしか消え、涙でいっぱいになるのを考えると、心を痛ませずにはいられない。
そんなことを考えすぎていたせいだろうか、今向き合っている彼女の笑顔に悲しみが見え隠れしているように思える。そしてどこか震えているようにも思える。
でも俺がやるべきはひとつしかない。ただ、物語通りに進めるだけだ。
「じゃあ、決定な」
——————
彼はその真っ白な歯を出して、ニコッとする。でも、その笑顔はどこかぎこちなく見える。
だが、今はそれどころではないのかもしれない。さっきから謎の震えが止まらないのだ。何も考えずに冷静になろうとした。
しかしそれでも全く止まらず、むしろ震えがひどくなった。何だろう、彼の声が遠く聞こえる……。
——————
「……おい、大丈夫か、おい、おい」
なぜだ、なぜ彼女は震えているんだ。なぜ彼女の様子はいつもと違うんだ。
俺は必死になった。俺はどこかで間違えたのだろうか。必死に問う。だが、そんなの何一つとして分からない。
くそ、どうしたらいいんだよ。
その時、思いがけず視界が暗くなった。
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